ウルトラハードコア

 ここ最近のネットニュースはイーロン・マスク率いるTwitterの指揮によって踊っている。
 ネットニュースでチラ見した程度の知識しかないが、色々思ったことをまとめていこうと思う。

 まず最初に、シンプルに賛否で語るとするなら、彼の経営方針には賛成寄りだ。
 別にそういう経営でも良いんじゃないの? 浅い批判記事が多いなぁ、くらいの感想だ。
 ただ前提としてこの意見は所詮ただの一個人の感想でしかない。Twitterユーザーとしてではないし、当然経営者投資家視点の感想でも無い。
 俺にとってTwitterはそこまで重要なツールではないので、最悪潰れて無くなってもそれほど大した問題ではないし、運営方針に関しても同様だ。それに、アカウントの整理などどちらかというと個人的には好感触な改革の方が多い気もする。広告増やすのは勘弁して欲しいが。
 経営者や投資家視点でも当然ない。そのような知識は半端なものしかないし、論じる資格は無いだろう。であるなら口を噤むべきだと思う。

 じゃあ何を言いたいねん、となるだろうが、考えたいのは世界の流れと労働問題だ。
 いやまぁ、無論それらの知識も半端なものしかなく論じる資格は無いのだろうが、すまないがこちらは単に俺が興味があるから論じるだけだ。ダブスタクソ親父だが(笑)
 まぁ別に俺がここで何を言った所で影響力は皆無なので問題ない、ということにしておく。

世界の流れ

 詳しいわけではないが、表面的には「ウクライナ戦争→燃料費高騰→インフレ→米金利上げ→投資より整理へ」という流れがアメリカにあるのだと認識している。浅く理解が足りないところもあるだろうが、まぁその時はその時だ。
 Twitterだけでなくmetaなど、複数の会社が人員整理に動いているらしい。
 マーク・ザッカーバーグだったと思うが、「コロナ景気でもっと成長すると思って人員を雇ったけどやり過ぎた。思ったより爆発しなかった」的な事を言っていたという記事を読んだ。

 実際、ここ数年は大きな変動の時代だ。
 コロナ、ウクライナ戦争、台湾戦争、といった世界規模の事件や、それに伴うリモート=大多数の個人へのITの浸透、スマホ&5G⇒IoTなどのテクノロジー、日本の凋落、中国の台頭、プーチンの強権、アメリカの意地といった政治要素。
 俺が学生の頃は「どうせずっと、昨日と今日。退屈な日々が続くんだろうな」なんて厨二なことを頭の中でぼやいていたものだが、今やそんなことは言えない。
 世界の流れは加速し緊張し、何時今日と全く異なる明日が来ても不思議ではない。

 この早い時代の流れの中では、大企業のCEOたる天才でさえ、正解を選び続ける事は出来ないのだろう。読み間違えることもあるのだろう。
 時代の大きな変革には、必ず3つの技術的ブレイクスルーがある、みたいな話を聞いた事があるが、パッと思いつくのは「インターネット、スマホ」。この二つに並ぶもう一つにしっくりくるものがまだ無いので、あともう一つ何かブレイクスルーがくればまた時代が大きく進むかもしれない。
 歴史を振り返れば、結果をしっている側とすれば冷静にその当時のプレイヤー達の選択を批評出来る。だが当然その時々の彼らは、そして現代のわれわれ自身は、未来の見えない中その時々で正しいと思った選択にベットしていくしかないのだ。

 そしてその大きな時代の流れの中、地球の中心たるアメリカも打撃を受けざるを得なかった。
 どうにかこうにか、上っ面であっても保っていた均衡がコロナを切っ掛けに崩れだした。
 陰謀論者と呼ばれるのは癪だが、俺は所謂ディープステートと呼ばれる集団は存在すると考えている。それが出来る力を持つ人たちが一定数居ると思っているし、力を持つなら行使しないはずがないと思うからだ。
 だが彼らに出来るのはせいぜい、微妙なバランス取り繕うことくらいだ。彼らが居たとして、彼らに出来るのはある程度自分の利益を確保しつつ、それによってパワーバランスを崩さないよう圧力をかける程度だろう。
 それによって不本意にも頭を押さえつけられ利益を奪われる、という表現も出来る。だがパワーバランスの維持によって表立った戦争を事前に潰していた、というのもまた真なのではとはと最近は思う。
 それがコロナ以降の時代のうねりにその手綱を制御しきれなくなった、ということであろう。
 アメリカ大陸からヨーロッパやユーラシアをなんとか言う事を聞かせようとしていたが、ユーラシアの大国がその手綱を振り払った。

 平和というのは弱者に厳しく、しかし優しい時代だ。
 平和の名のもとに反抗すら許されずジリジリと搾取されていく。
 しかし少なくとも強者の戦いに巻き込まれ致命傷を負うことは少ない。

 乱世というのは弱者に優しく、しかし厳しい時代だ。
 弱者の中に眠る極僅かな強者が立身栄達の機会を得て、世の富を攪拌し弱者に行き渡らせる。
 だがその戦いに否応なく弱者も巻き込まれ、生き残れるものとそうでないものが分かれる。

 基本的に富と言うのは徐々に上層に沈殿していくものだ。
 荒療治が無い限り、持つ者はそれを元手に更なる富を手に入れ、持たざる者は社会の進歩に取り残され相対的に貧しくなっていく。
 故にマルクスの言う通り、階級闘争的な物は定期的に必要性が出てくるものだとは思う。
 持つ者の資産を砕き、世の中全体に攪拌するために。

 だからやはり、乱世は弱者に優しく、厳しい時代なのだ。
 生き残れるかの保証は無いが、生き残れたものにはそれなりの恩恵がある。

 俺はどうだろうか。
 本音を言うと、乱世を望んでいる。
 弱者の中に眠る一握りの強者であることを願っている。
 そうであるかは分からない。むしろ自信なんて無い。
 だが、まぁ良いのだ。その過程で生き残れなかったとしても、その程度の人間だったのなら無理にこの世に生きて居たいと思わない。
 何も成し遂げられない、真に凡百の人間であったのなら、俺はそこに、自分自身の生命に価値を見出せない。
 だから、実質リスクが無いのだ。

 世界は今緊張状態を迎えている。
 先の見えない社会の中で、一握りのプレイヤー達が必死に鎬を削っている。その体勢を整えている。
 そして同時に、その他大勢が時に予期しない動きで時代を動かす。
 何時だって力ある者が己の描く理想に世界を導こうと力を奮うが、結局時代を動かすのはその他大勢だ。
 大勢が静的な時は力ある者の力が強いが、何人も民衆の奔流を制御することは出来ない。うまくその奔流をほんの少しだけ自分の望む方向に誘導して曲げて、その流れに乗れたものが栄光を手にする。

 そしてきっと、その決壊の時は近いのだ。
 もうすぐ最後のピースが生まれ埋まり、時代に大きな変革が起こる気がする。それは来年かもしれないし、少なくとも10年以内だと思う。そんな気がする。

 そして、その奔流をほんの少し自らの望む方向に曲げるだけのために、多くの人の力が必要だ。
 そしてそれは誰でも良い訳ではない。
 自分の手足となってくれる忠実な部下。いや、それでもまだ足りない。同じ夢を見て自身の命を燃やしてくれる仲間が必要になる。
 利害による統制ではまだ足りない。
 夢のための献身を出来るだけの人間的大きさが無ければその時点で能力不足だ。
 Twitterという世界に大きな影響力を行使できるサービス。それに実際に携わり、文字通り奉公(おおやけに身を奉げる)ことを出来る同志にだけ残ってもらいたい。そして信頼出来る残ったメンバーとともに世界と向き合いたい。
 それがイーロン・マスクの見ている世界では無いだろうか。
 彼の描く理想が、そしてどういった影響力を行使しようとしているのかは知らないが、その姿勢自体は悪くないと個人的には思う。
 そういった視座で行動しているのにやれ「やり方が強引だ」だの、やれ「サービスが使いづらくなった」だのミクロな反論をされたところでコバエみたいなものでしかない。が、説明しても理解はされないだろうから無視している。そんな感じかなと。

 だがまぁ、実際問題経営や株価的な観点で言うとそういったミクロこそが重要なのが今の社会のシステムだ。
 投資というのは大概理想の応援の為ではなく自身の配当のためにされるものだ。そして配当の額は自分以外の投資家によって変わる。故に投資家は実態自体より実態を皆がどう評価するかに過敏になる。そして評価なんて曖昧なものに、大勢の声はめっぽう強い。
 だから経営的には長期的な理想より短期的なイメージを優先する方が基本的には正解、なんだと俺は把握している。
 これもまた大して勉強したわけではないから間違っている可能性は大だが。
 ともかく、その認識が正しければ経営的にはイーロン・マスクのやり方は悪手な気もするが、分からん。悪手であっても構わないのかもしれないしね。

仕事を生きがいにするという事

 ウルトラハードコア
 この言葉に込められた意味は、世界的な影響力を持つTwitterに携わるということに誇りを持って、自分を信じてついてきて欲しい。この仕事自体にやりがいを感じて生きがいにして、命を燃やして欲しい。そういう物だろう。
 そして実際、Twitterはそう強気に求められる企業だし、イーロン・マスク自身もそう求められるだけの自信と自負があるのだろう。
 能力はあるが人間性は玉石混交な社員達を篩にかけ、人間性重視で改めて採用を再開する。そういう精鋭部隊的なプランニングなのだろう。

 当たり前だが、それは理想的だ。
 そして同時に、それは理想だ。
 誰もがそう在らんと望み、十分に人が集まらず妥協する。
 分かりやすく成長させられ、測定できる「能力」を重視する方が余程分かりやすくミスが無い。

 俺だって思う。
 仕事にやりがいを持って、それを生きがいとして生きていけたらと。
 だが心底思う。それがどれほど難しいことかと。
 人は根本的に、自分の利益を追い求める生き物だ。
 基本的に人と協力するのは自分が得られる利益を効率よく最大化するため。だというのに自身のリソースを他者のため捧げようというのは、その本質と矛盾しているのだ。
 その矛盾を乗り越えるためには幾つかのハードルがある。
 まず自分の仕事がどのように作用し、どのような人にどのような幸せを提供できるのか、それを具体的に理解想像し、納得出来ること。
 次に自分が恵まれていると理解すること。他者の献身が回りまわって今の自分の幸福となっていることを具体的に理解想像し、納得できること。そしてその他者が経済を繋がっている全ての人々であることを同様に把握すること。
 そして世界中の人々、或いは神から恵まれた自分の能力や立場を使って最大限の献身をすることによって、回りまわって自分の幸せを更に伸ばせるということ。

 そんなこと、ちょっと世の中が見えている人であれば誰だって言われれば理解はしているのだ。口でそのメカニズムも説明できるだろう。
 だがその感覚を実感として持てているかと言うと、中々難しい。俺だってそうだ。
 理解は出来る。が、食うものにも困る身にはそんなの理想論だ。
 誰かの笑顔より今晩の俺の飯だ。
 自覚の有無はさておくと、大体の人はそうだ。
 実感として捉えるには経済の規模は大き過ぎ、それ故に分かりやすい”給与”でそれを代替的に理解する。それが今の社会だと思う。

 ただ、それでは理想には至らない。
 私を滅し、公に奉げる。滅私奉公。
 その純粋なる高みに至れる人間性と洞察と頭脳を併せ持ってこそ、大義は成し遂げられる。
 リモートワークやジムといった働きやすさという「自分の利益」を目当てに働いている限りは至れない境地。
 多分イーロン・マスクも別にリモートワークが悪い、非効率だと思って禁止しているわけではないんじゃないか。単に「滅私奉公試験」のためにジムを取り潰しただけであって、暫くするとまた復活してもおかしくは無いと思う。

 実際の所、滅私奉公の境地のどこが格が違うのかは、具体的には俺も理解はしていない。当然だ。まだ未体験の境地なのだから。
 ただ何となく、必要と思ったこと、必要になったこと、そういうものに直面した時、それがどれだけ大きな壁でも自分の利益を考えてブレーキを踏まずいられるかが違うのかな、と想像する程度だ。

 ただ、まぁ。
 やはり並大抵のことではないとは思う。
 恵まれた環境と、踏ん張らざるを得ない逆境の両方を経験し、そこで考え抜いて行動し抜いた人でしか、至れない境地だとは思う。

 そしてきっと、そういった優秀な人材はグローバルな選択肢の中から、最も自分の能力を発揮できる場所を選ぶだろう。
 つまり、日本からは優秀な人材は皆出ていく。そうやってまた富の上層への沈殿は広がっていく。

 まこと、弱者には乱世は辛いものよ。

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