大義

 最近人に勧められて「ビジョナリーカンパニー」という本を読んだ。ただあまり面白いと思えなくて、わりかしザっと読み飛ばした。
 ただその時同時に「ビジョナリーピープル」というのもあるよと聞いていたので、続けてそれも借りて読んだ。これが滅茶苦茶面白くて二日で読破した。
 正直なんというか、単純に抽象的な言葉が多いと言うのと、英語を直訳したんだなと思えるような文章に感じたのもあり、あまり文章がスッと入ってきたとは言えない。だが理解に及ばずとも、現代の傑物たちの熱量と情熱は損なわれず俺の中に伝播してきた。
 会社経営の粋など興味は無いのだ。成長し続ける会社を作ることに興味は無い。俺は世界を0.1mmでも動かした個人になりたいのだ。それ故にこの本に書かれた先達たちの言葉は、改めて自分で購入して何度も読み返そうと思う程に、俺の中で転機となった。

 この本の中で繰り返し語られる言葉がある。
 ビジョナリーな人であるには、己の中の大義への情熱を保ち続けるのが必須だ。
 そしてここ暫くずっと自問自答していた問いも、それだった。

 俺にとっての大義は何か。

 大義というと、仰々しく聞こえるかもしれない。他人のために、という要素が大きく感じるから、個人的には多少違和感がある。
 もしかするとまだこの本をきちんと読解出来ていないのかもしれないし、少なくともここに書かれている言葉を素直にそうだと頷けるほどに俺は立派な人間では無い。誤った解釈をしているだろうことを前提に、今は自分なりに考えてみる。

 俺にとっての大義、と問いかけた時に、まず最初に返ってくるのは「格好良く生きたい」だ。これだけだと極めて個人的な欲望に思える。
 じゃあ俺にとって「格好良く生きたい」というのは何なのか。その原形はまず間違いなく、「ひぐらしのなく頃に」の前原圭一だ。一番多感だった時に人生を変える程の強烈な衝撃を受けたのが圭一だった。
 じゃあ圭一の何にそこまで強烈に憧れたのか。それには幾つかの要素がある。

 まず「ひぐらしのなく頃に」という作品の設定自体が重要だ。ネタバレ込みで話すが、オヤシロ様の祟り、つまり雛見沢症候群によって人の疑心暗鬼が増幅され惨劇が繰り返されているという舞台設定だ。
 そこでは上っ面の平穏は狂気の下に暴かれて、血しぶきを上げながら皆が泣き嘲笑う。本当はそこにあったはずの本物の優しさや想いすら一緒に殺してしまったことを最期に嘆きながら、全員が救いの無い終わりを迎え、そして繰り返す。繰り返しても尚配役が変わるだけで、惨劇もやはり繰り返す。
 圭一はそんな世界で一番最初に正気を保ったまま、無かったことになった未来の自分の過ちに気付き、大切な友人の心を救う。そして、デウスエクスマキナによって無慈悲に惨劇が再び始まる。
 その次の周ではもう、圭一は自分の過ちを覚えていなかった。だがそれでも、それと分からずとも過つことなく皆を引っ張っていった。
 その姿は唯一この閉塞した時間の中で記憶を保ち続け希望を失いかけた少女にとっては、一筋の、しかしとても心強い光だった。
 俺は梨花ちゃんだった。

 現実に生きる俺は、別に時間を繰り返してなど居なかったし、身近で死んだのは近所で拾ったサワガニくらいのものだった。
 だが当時はまだそこまで言語化出来ていなかったが、その時から既に現実に薄ら寒さを感じていたのだ。狂気によって暴かれていないだけの、薄い上っ面の平穏でしかなく、本物があるという実感は無かった。
 そんな自分に見たひぐらしで、まずその上っ面が暴かれたことに胸がすいた。そこに確かにあった本物が否定されたのが悲しかった。閉塞した現状を打破できない無力さに落胆し失望し、諦めきれなかった。
 圭一は決して聖人ではない。下ネタは言うし、口は達者で頭も回るが実行力は然程。追い詰められて人を信じきれなくなる弱さもあるし、それどころか過去に傷害事件を起こしたことさえある。だが、その心に宿る炎だけは誰にも負けなかった。その熱が周囲を巻き込み、動かし、運命をいともたやすく打ち砕いた。その作戦に置いて実際に圭一がやった行動自体は特別技術が必要なものではない。だが間違いなく圭一の熱が多くの人を動かし、彼が居なければ運命は変わらなかった。
 俺の最内翔という名は「しょうもない」をひっくり返したというだけではない。この漢字を選んでいるのは、仲間たちの中心(最も内側)で、彼らを巻き込んで笑い、前へ進もうとしている(飛翔)圭一への憧れもあるのだ。

 俺は圭一に憧れた。
 希望が持てず変える事が出来なそうな閉塞した現実を、特別な技術はなくともその言葉と熱だけで水面の波紋のように変えていく、彼に憧れた。
 その憧れが俺をここまで拗らせたとも言えるが、その憧れが今の俺を作っているという事はまず間違いがない。

 話を戻そう。俺の大義は「格好良く生きたい」で、「圭一のようになりたい」だ。そして「希望の持てず変える事が出来なそうな閉塞した現実を感じている誰かの光になること」だ。
 その現実と言うのもかなりはっきりしてきている。「自分のやりたいことも分からないまま肉体の維持のために生き続ける」という現実だ。

 人は想像する力を持ちながら、肉体という現実に縛られている。月額13万円(東京都の生活保護の支給額)の維持費が一度でも途絶えれば、二度と再開が出来ない死を迎えてしまう。
 それは当たり前のことだし、仕方の無いことだし、必要なことだ。矛盾なくして人は人であれない。
 だが、当たり前を変え仕方が無いに噛みついて必要なことへの取り組み方を変えてきたのもまた、人間のはずだ。なのに今はどうだ。
 一度豊かさを得たにも関わらずいつまでもその栄光に縋って変化をしようとしない社会。人々。豊かさの使い道も考えないまま豊かさだけを求める。
 俺はそれが憤懣やるかたない。人は自分の理想を追っている時が一番幸せで、十分条件ではないけど必要条件として自分の人生を生きている事が成功秘訣としてあると誰もが知っていながら、それを現実問題無理なもののままにしていることが。
 確かに自分の望みを知ることには途轍もない苦悩と時間が必要だし、自分の人生を生きると言うのはとても恐ろしいものだ。それらを得るためにはかなりのリソースを投資する必要があるというのが現実だ。
 だからこそ折角稼いだ豊かさを、その次代が自分を見つめる機会のために投資するのが、人の次のステップではないのか?
 問題を解決することは大事だ。だが問題を解決するだけでは、人の欲望は尽きないということは誰もが知っているはずだ。まだ解決しなければならない問題は社会に山積みだ。それでも誰かが問題を解決してくれるのを待つ世界のままでは、いつまでも希望も幸福も手に入れられないと、何故気付かないのか。

 勿論これは青い理想だ。今そうなっていないのには理由があって、そうするために必要な能力もリソースも、俺は持っていないのかもしれない。
 だが理由も、リソースも、この理想が間違っていると批難する理由にはならない。是非を評価できるのは今を生きる人々では無く、歴史によってのみだ。他者の理想の否定は、利害の対立によってのみ成立しうる。
 これは逆の立場でも同じだ。即ち、俺には自分の理想が正しくて今の現実が間違っているという断定が出来るはずも無くて、ただ俺はこんな現実を認めたくないという理由で異を唱えているだけだ。

 しかし、現実問題として、当然異を唱えるだけではいつまで経ってもニートの戯言だ。
 行動せぬものに他者を否定する権利などない。だが、今の俺に何が出来る。
 資金もスキルも実績も無い。俺にあるのはこの30年間思考の世界に逃げ続けた経験だけだ。
 それしかないなら、それを使うしかない。実際こういういい方も出来る。
 俺はコロニー落としを試みた経験がある。悪逆皇帝となって全ての罪を背負って死んだ経験がある。仲間を生き返らせるために終末のラッパを吹き世界を崩壊させたことを誰にも言えず抱えた経験がある。時間を操った代償に世界の無慈悲さを知った上で、世界を騙しきって望む未来を手に入れた経験がある。使い魔となって好きな女の子のために大軍相手に命を賭したことがある。
 当然俺にはニュータイプ能力も、ギアスも、鬼呪装備も、リーディングシュタイナーも、ガンダールブのルーンも無い。大それたことを成し遂げる実力手腕は欠片も無い。
 だが例え自分の物でなくとも、追体験によって感じ、考え、学んだことで価値観が変わったり洗練されたのであれば、それは立派な人生経験と言えるだろう。
 人の力を借りれば自分に出来ないことも成し遂げられるのが人間だ。だが借り物の価値観で自分の人生を生きる事は出来ない。そういう意味では、俺はかなり貴重な人生経験を積んできた人間とさえ、言えるだろう。物は言い様、使い様だ。
 勿論その論理の滑稽さを理解はしている。だが滑稽でもそれしか持っていないのであれば、無茶苦茶でも使っていくしか無いのだ。

 俺はそれを元手に、現実にアプローチをしていかなければならない。
 そのアプローチ方法はまだ具体性の弱い段階だ。

 高校卒業した若者に2,3年の生活費の扶助と、数多くの人生経験の機会を用意する。その2,3年は働かなくてもいいし、職場体験をしてもいい。転々としてもいい。思ったのと違ったを繰り返し、感じた違和感を見つめ、本当に自分が情熱を持てる何かを探す切っ掛けを掴む期間、「ウェイター」。その資金社会の大人達に出してもらう。それは親以外の大人達も自分達の青い自分探しを応援し、見守ってくれているという事実となる。『自分探しを真剣に』
 こんなのが今のところの目標アイディアだが、流石に今の俺からは飛躍しすぎている。
 となるとやはり今の俺が挑戦できそうなのは、何度か触れているなんでなんでおじさんか。もう少しブラッシュアップは必要だが、あの発想自体はわりと俺の中で的を射ている感があるのだ。

 取り合えず、今のところ考えているのはここまでだ。
 結局寝れずに夜中の3時過ぎに風呂に入って、まだ寝れないなと明らめ6時までこんなのを書いている。
 願わくば、この日々が自分に取って、世界にとって必要なものだったと思えるようになりたい。

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