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20代後半で大企業を退職しようと思ったきっかけ②

7月初旬に上司に退職の意思を伝え、2週間ほど引き止めがあり、今週改めて退職の意思を伝えて上司に納得してもらいました。
日系の大企業に総合職として入社すると将来のマネージャー候補として期待されていくと思います。そんな環境にいた私が退職するまでのことの記録として、きっかけと決断に至った理由を書こうと思います。
今回は「きっかけ」です。

書いていると長くなったので2回に分けました。
これは後半です。

尊敬できる人、めざしたい人がいなかった

入社してから、こうなりたいと思う人が社内にいませんでした。
もちろん上の職位の人から評価されるような方はいますし、若手の私より段取りよく仕事を進めて周囲をリードしていくような方もいます。
言葉巧みに様々な関係者を説得したり、冷静な判断をする方もいます。

でも不思議なのですが、誰一人として仕事にやりがいがある、生き生きと仕事をしていると言っている人がいなかったんです。
たまたま私の周りがそうだったのかもしれませんが、仕事柄、20代の若手から60代の幹部層まで幅広い年代・職位・職種の方と仕事をしていますが、皆さん仕事についてネガティブに表現されていました。
良くも悪くもそれに影響を受けたのか、ここにずっといた時の自分を想像できなかったのか。
もちろん、人それぞれ折り合いをつけてこの環境で働いているという方も多いと思います。

ただ私は「なんか違う。」
こうなりたいと思う人は、社外の人でした。
大学時代のゼミの教授、個人で料理教室やオンラインサロンを経営されている方、経済評論家であり大学教授の方、小説家。
「あっ、個人の仕事がしたい。」
そう気づきました。

体調不良が続いた

2年目までは先輩が上にいて、二人で業務分担できていました。
3年目になるとひとり立ちして業務量が増え、徐々に任される業務の質も上がっていきました。また、課長と主任が数ヶ月毎に片方が代わるという状況も2年ほど続き、会社の組織としても変革の時期でその体制を整えるためのプラスαの対応も必要でした。

そうなると残業時間も2年目までの20時間ほどから40時間以上が常態化しました。ほとんど在宅勤務でしたが、通勤時間がなくなるとその時間を仕事に当てられてしまうので、残業時間も増えてしまうのですよね。
深夜残業になる日も多く、仕事の内容としても常に気を張っている状態で、幹部の対応となると一日中気を抜けない状況でした。

そんなこんなで体調不良が続き、
「あっ、これ、ずっと続ける仕事じゃない。」
そう思いました。

そして直属の上司も大きな病気にかかり、
「あっ、自分を守るのは自分しかいない。」
そう気づきました。
もちろん周囲も心配して声をかけてくれましたし、上位上長も気にしてくれていましたが、物理的には変わりませんでした。
やはり、自分のことを一番しているのは自分で、どうしたいか知っているのも自分。自分の人生をどう歩んでいくかを決めるのも自分。

そして「退職」を本格的に検討し始めました。


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