【映画】哀れなる者たち 原題:Poor Things

2024年2月13日

予告でのアヒルの頭を持つ犬とか謎生物に囲まれ、異様で奇っ怪な動きをするエマ・ストーンというインパクトが脳裏に残っていたので、みることを決めていた本作品。
見る前に長い!って思っていた2時間20分という尺、全然長くない。没頭しているうちにすぐに幕が降りてしまう。
映画というコンテンツに込められるものすべてを込めた作品であったと思う。正直映画の賞とかの権威に群がるタイプの映画好きでは無いと自認しているんだけども、金獅子賞ってやっぱすげーんだな。と改めて思ってしまった。やっぱカンヌ、ヴェネツィア、ベルリンはすげーや。

SF、ロマンティック、コメディ(自分はコメディ?って思ったが)とジャンルではそうなっているがこの作品を形容する言葉を自分は持っていないと顧みながら圧し潰されるような世界観。

舞台は近世のロンドン、主人公ベラの親代わりのSF級の天才外科医の外科医療技術、そしてロンドンからヨーロッパを旅する冒険の物語。
自分の説明は何一つ間違っていないが、何も芯を食っていない紹介であることを自覚できるほどの世界観であり、これは見てみないとわからないかも。強いて言うならば現代で再編されたフランケンシュタインの怪物であり、さらにその怪物が自我を持ち成長する童話といったところであろうか。

成人女性の体に胎児の脳を埋め込まれ、蘇生された主人公のベラがまさに子供の成長よろしく、よちよち歩きで歩き出し、言葉を覚え、性の衝動を覚え、自己を確立し、自分が何を目標として生き、そして自分が何者かを知るという段階をエマ・ストーンが怪演。
序盤のあるき方、中盤のあるき方、そして終盤に向かっていくにつれて表情の付け方が時間を経るに連れての変化がとにかく半端ない。
演技自体が役の成長と伴って自然に時間が流れていくので意図的に見ようとしないと「あ、ここが成長したことを示す演技だ!」って気づけ無い。
劇に呑まれているのでハッ、と気づいたときにはベラはまた一歩、人として成長している。といった様相。
それが劇中ずっと展開されている。どうか主人公の成長と、動きと表情を注視してほしい。

また、主人公の脇を固めるキャラクターで親代わりとなって彼女を育て研究していた天才外科医ゴッドはウィレム・デフォーでこりゃまた説得感が半端ねぇw
こればっかりは完全にウィレム・デフォーを配役した時点で勝ちです。

物語の承転に当たる箇所の重要な役目としてダンカンという男が出てくるが、こいつもまた非常に童話の悪役っぽくていい味を出していた。
性の衝動に目覚め、外の世界を知りたいと渇望する頃に性の衝動への向き合い方を利用されてしまいながらも、外へと連れ出してくれる強烈なパワーでベラには非常に魅力的に見えてしまうっていう役割も連れ出す先も明朗でいて且つ中盤に向かっては主人公の成長する力を見誤ったばかりに破滅してしまうっていう流れもまさに童話的で良かった。

出会う人すべてが彼女の成長の切っ掛けとなりそのすべてを受け入れ成長するベラ自身が「人は進歩する」という答えにたどり着いていくところは歪でグロテスクで生々しくて色欲で塗り固められながらも愛を描いた作品であるからこそストレートに表現された人間讃歌を感じる瞬間であった。

性欲を吐き出すためだけのセックス、お金を求めるために行うセックス、男の欲望に応えることが快感となるセックス、そしてそれと同軸に語られる、主人公が成長につれて世界への興味、勉学や知識欲の増大、他者への慈しみ、自己の成功へ結びつける努力という要素が折り重なりつつもまとまった脚本が見れるのはすごかった。

主人公がきちんと成長を終えた後にウィレム・デフォー演じるゴッドのもとに戻り自分がどこから来たのかということを種明かしされたあと、過去を探るためにまた家を飛び出していくという流れについてはマジでびっくりした。映画のびっくり演出として久しぶりに口に手をあてて驚いた顔をしました。
ただ、この過去を探るシーンは割りと端折られていたかんじがかなーーりしたんだけどおそらく尺的な問題だよなぁ。と。フル尺で見てみたかったぜ。

主人公の成長とそれを取り巻く人々に一切のムダがない。
完全に計算し尽くされた完全な“映画”としての作品だった。

以上。




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