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福島と沖縄、そして、ひめゆり

 福島で原発事故が起きるまで、私は、沖縄のことを深く考えたことはありませんでした。
沖縄戦があったこと、基地をずっと押しつけられてきたこと、それが深い差別のうえに立っていること……。
そんなことを、たいして考えずに生きていたなんて、本当にバカだったなと思います。

 原発事故が起きたあと、〝福島〟と〝沖縄〟が比較されるようになり、福島を取材するなかで、少しずつ沖縄の歴史とも向き合ってきた、という感じです。

 そんななか、5月末に「ひめゆり平和祈念資料館」の前館長で、ひめゆり学徒隊の生き残りである島袋淑子さん(91)を取材させていただく機会がありました。

 私が、初めて、ひめゆり平和祈念資料館を訪れたのは、2013年の夏でした。福島の友人と一緒に訪ねました。

 そのとき友人とふたりで、展示されている元学徒隊の方々の手記を読み、号泣したんです。

「いつの時代も犠牲になるのは、子どもたちや弱い立場の人たちなんだよね。福島も同じだよね……」
と言いながら。

 間もなく沖縄戦が終結して74回目の6月23日がやってきますが、ひめゆり平和祈念資料館は今年の6月23日で開館30周年を迎えます。

 島袋淑子さんは御年91歳。
資料館が開館した当初から現在まで、〝語り部〟(資料館では、「証言員」と呼んでいます)として、来場者に自らの戦争体験を語っておられるのです。
 元学徒隊で現在もご健在なのは、6人。(学徒として駆り出されたのは222人で、うち戦争で123人が死亡)そのうち4人が、いまでも月に数回、資料館で語り部をされています。
 さすがにご高齢のため、2015年からは、戦争を知らない世代の方々が跡を継ぎ、メインの語り部になっています。しかし、戦後74年経っても、体験者が来場者に説明している資料館なんて、そうそうないんじゃないでしょうか。
 
 じつは、あまり知られていないことですが、「ひめゆり平和祈念資料館」には、県や国のお金は一切入っていません。OBたちでつくった〝ひめゆり同窓会〟で、寄付を集めて建てたそうです。
 そして今現在も、元学徒隊の方々が直接運営にかかわり、完全に民間の資金だけで運営されています。(公的な資金が入ると展示内容にも制約が入ることがありますからね)
 それでも、入館料は大人310円、と他の資料館とそれほど変わりません。同様の資料館の中では希有な存在だということです。

「いまでも、どこで亡くなったかわからないお友だちのことを思うと辛いんです」

 取材させていただいた日、資料館を訪れた小学生たちに、ときに涙を浮かべながら、そう語っていた島袋さん。
 子どもたちに繰り返し、こうお話されていたことが、深く心に残っています。

「どうか、おかしいことは、おかしいと言える人になってください。日本が戦争を起こしそうになったら、戦争はダメ!と言える人になってください」

 私はいま、おかしいことをおかしいと言えているだろうか――。
日々、流れてくるおかしなニュースを目にしながら、改めて自問自答する日々です。


 島袋さんの記事は、いま発売中の「女性自身」(6月18日発売号)に掲載されていますので、また読んでいただけると幸いです。


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福島第一原発事故以降、福島での取材を重ね、12年に福島の今を伝える季刊誌「ママレボ」を創刊。ままれぼ出版局を立ち上げる。「女性自身」でも、原発事故や汚染の問題を中心に発信中。 ままれぼ出版局の本は、こちら。http://momsrevo.blogspot.com/
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