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モモ 今なぜモモなんだろう?

ネット上で雑誌のMOEの表紙を偶然見た。あーモモだ…表紙だけで題名が浮かぶ本ってどれくらいあるんだろうか?ふとそんなことを思いながら…あれどんなお話?時間どろぼうってみんなが言ってる?それでも内容が思い出せなかった。表紙でわかったモモの表紙の絵って…誰が書いているんだろうなそんなことを思いながら、MOEが欲しくなって久しぶりに本屋にいった。私は、本屋で迷子MOEがどこにあるのかわからない。夕飯時が迫る時間、私の時間に余裕はないので、レジに直行してみた。       

私「MOEはありますか?」 店員さん「MOEは、あまり入荷しないのでないかも…」 私「昨日発売でしたが、確かに今回人気特集ですが…」店員さん「マニュアル見ながら、昨日発売ですね。こちらですどうぞ(案内しながら)あーモモですか?あーエンデだ!」 私「そうなんですよ。付録のファイルも限定品で魅力ですよね。売れますよ!追加発注してくださいよ」店員さん「売れますね。ありがとうございます。追加発注します。」店員さんの興奮度に、やはりこの本ってすごいんだなと実感した。

モモの本ってそういえば家の本棚のどこかにあるはず…。そんなこと思い出した。MOEの特集はとても充実した内容で、知らなかった表紙もそうだったんだと…。エンデの他の作品も見て驚いてしまった。映画ネバーエンディングストーリーの原作もエンデの作品だった。MOEも映画にもなったんだとふとみると見覚えのある表紙の本が掲載されていた。この本も確か家にあるはずだ。

自宅に戻り本棚を探していると、モモの本も映画の本もあった。でも自分で購入した覚えはない。多分母が買ってくれたんだと思う。じゃあ読まなかったのか?それさえも記憶にない。このタイミングで私は、読むチャンスをもらったとドキドキ、ワクワクした。読む、読んで見ることにした。

そもそもモモの本の1976年に岩波書店から発行され、45年の時を経ているわけである。今でこそ時間管理、手帳時間という言葉が飛び交っているが45年前に時計はあっても時間を考える機会などあったのだろうか。私が持っている本は初版ではないけれど「時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語」と直接本に書かれています。帯ってこの頃あったのだろうか?

時間どろぼう… 現在何に時間を盗まれているんだろう。隙間時間を探す手帳講座みたいなものの需要は、多分自分から時間が盗まれていると気づいて慌てて探しに出かけているのか…。

盗む人には盗む理由があり、盗まれる人には盗まれる隙がある。モモの時間は盗まれなかったところは、モモには確固たるモモが心の中にいて、何が他の人と違ったのか…。この物語の中にはその答えがあった。

エンデが先の世の中を見通す力があったのか?それとも今の私達が進歩しているようで伸びてなかった部分があるのか?いずれにしても読み返してみて何も古さを感じないし、未来には私はモモでありたいと思いました。小説なのに、付箋だらけの本になりました。

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モモを読むきっかけになった雑誌MOEは、花とゆめから始まった白泉社が絵本雑誌として発行しているはずです。児童文学のモモを大特集したのは?日常が当たり前でなくなった予言書として、モモを取り上げたようだ。モモが自分の周りから人がいなくなったと知った時、一通の手紙の中から感じとる場面があるが、私はそこが好きだ。信頼している人の書いた文字から想像するその人ならどうするのか?目の前に起きている出来事の意図に惑わされないことそれが今大事なのではないかと思うからです。MOEには、作者ミヒャエル・エンデの28年前のロングインタービューが再掲載されています。

「私たちは内側と外側に世界を持っているのです。」(MOEミヒャエル・エンデ・ロングインタビューより引用)

MOEだけに語った、MOEだから語って下さった。MOEだからもう一度このタイミングでみんなに触れてもらいたいと気づいてくれた。SNSで誰でもどんな方法でも今発信できる時代ですが、あなたになら話したい、あなたなら感じでくれるでしょう文字以外に伝わること、そんな大切なことも今回のMOEの特集は私に気づかせてくれました。来月は「だるまちゃんとてんぐちゃん」のかこさとしさんが特集のようです。追悼特集として安野光雅さんも掲載予定、絵本が大好きな人にとっては楽しみな内容となっています。こだわりを持つこと、発信するということはそういう視点が必要だと、そして買う方は、その思いに投票していくことなんだなとそんな気がした私です。


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