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〇〇ちゃんの肌の色かわいくて好きだな


心の底から出た言葉だった。

小学5年生の時、同じクラスに褐色肌の女の子がいた。
よく遊んでいたし、同じ合唱クラブだったし、まあまあ仲は良かったと思う。

ある日の放課後、教室に残っていたいつものメンバーと担任の先生とでキャッキャと話をする中で、私はその言葉を口走った。
勿論当時、口走ったという感覚はなかった。

空気が張り詰めた。
まだなぜかはわからない。
彼女は少し眉をくねらせ、わかりやすく苦笑いをして黙った。

「なんでそんなこと言うの?」
「〇〇ちゃんかわいそうだよ」

友達は私を責めた。
先生も、そういうことは言わない方がいいよと言った。
そんなつもりは…と言いかけてやめた。
納得はしていなかったが謝罪をし、その場は異空間へ続く穴がスーッと塞がれていくように次の話題へと移っていった。

私はその時初めて、『人の肌の色を話題にしてはいけない』『こちらが褒めたつもりでも不快に思う人がいる』ということを悟った。

その頃は空前のコギャルブームで、テレビの中ではその肌色を素敵!かっこいい!ともてはやしていた。
私はGALS!という漫画にドンハマりして、主人公の爆イケギャル寿蘭を崇拝していた。
蘭ちゃんはガングロになるために痛い思いをしてまで日サロに行っていて、私もいつかは…とまで思っていた。
今になれば、そうなりたくて肌を焼いた人と、生まれた時から日焼けしたような肌だった人とは全く別物だということはわかる。
だけど、だけどさ。
20年以上経っていまだにモヤモヤとするのは、完全に納得していないからかもしれない。
そんなことがあってもまだ私は褐色肌をかわいいと思っている。

言わなきゃ良かっただけではあるが、あの時の私も今の私も、人を傷つけたいわけではないのだ。
でもあの一件がなかったら、私は今でもずっと、なんでもかんでも思ったことを口に出すやばいおばさんになっていたかもしれない。

そして今この記事を書きながら、たしかに私もこの猛烈な癖毛を褒められても全然嬉しくなかったなと思い出した。
レベルは違うけどそういうことか…。

そのあと私たちの関係がギクシャクしたり、いじめに発展するようなことはなかったが、今でも時々思い出しては気持ちが沈む出来事である。


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