こおりの塔(5243字)
透明なコップいっぱいに氷を入れる。横からしばらく眺めて、シンクに捨てる。そんでまたガシャガシャカラランと氷をコップにぶち込んで、眺めて、捨てる。何がしたいんだよって俺は思う。思うから聞く。氷の形が気に入らないんだと。
うまく氷が積み上がらないと、俺の娘は何も飲まなかった。
「小さなお子さんは脱水症状があっても自分で気づけないこともありますから、お父さんお母さんがよく見ててあげてくださいね」と、脱水症状になんかなったことなんかなさそうなみずみずしい肌を持つ看護師に言われたとき、俺はなぜか強く責められているような気分になった。
反省はしたが、その気持ちはすぐには湧いてこなかった。看護師は小柄で肩が小さくて、目は大きくてちょっとつり目の猫顔だった。そんな子の前で娘を大事にする良いお父さんをアピールしたい気持ちがむくむくと持ちあがって、反省より先に立つ気持ちがあった。
この看護師はプライベートでも、たとえば友達や、自分の男に、優しい口調と切れ味の鋭い大きな目でじっと相手を見つめて、咎める内容を探しながら巧みに甘えるのだろうかと想像した。
でも本当に、見てるさ、俺は誰よりも娘のことを見てる、と思った。若い看護師のプライベートを想像しておいて説得力はないけれど、今は娘のことしか見ていないとすら思った。ちゃんと見てない、と思われるのだけは我慢できなかった。
娘は氷がうまく積み上がらなきゃ何も飲まないんだって言い返したくなった。君は知らないだろそんなこと。初めて見ただろ俺の娘を。俺は娘のことを心から愛しているし、大事に見守ってきた。
けれど、相手は俺を責めてるわけじゃないことが分かっていたし、そんなの反論にならないことも分かっていたから、「すみません、どうも、今後は気を付けます」なんて挨拶を返しただけですごすごと退散した。
みずみずしい看護師の手とは違う可愛さが娘の手には宿ってる。娘の小さくてかたい手を掴んで、家に帰ったら何をするかを話しながら、情けさや浅ましさが襲ってくる。今日は娘のわがままにいくらでもつきあってやるんだと思った。
今日は父さん休みを取ったから、一日遊べるぞと言ったら、娘はジェンガがやりたいと言った。子供らしい屈託のない表情でそう言った、わけじゃない。娘は建築家が製図を引くみたいな真剣さでジェンガを組み上げるし、大工の棟梁のような厳格さで俺がどのブロックを引き抜き、どこに積み上げるのかもいちいち指示してくる。
まったく面白くない。どちらが先にいびつな塔を崩すかではなく、最後まで積み上がったとき、どんな姿が現れるかにしか興味がない。俺の娘は。俺がジェンガを崩すと普通ににらむ。
紅茶やなんか、暖かい飲み物ならなんのこだわりもなく飲んでくれるんですけどね、冬はそれで良かったんだけど、夏になってからは俺も紅茶を淹れるなんて発想がなくて、気付いたら具合悪そうで。
あの看護師にせめてこれくらいの説明はしたかった。医者じゃなくてあの看護師に。俺がちゃんと娘を見ていて、ちゃんと娘を育ててるってことについて、誤解してほしくなかった。
氷が尽きていることに気付かなかった俺の落ち度。娘は飲み物を飲むとき必ず氷をコップにいれるところから始めた。冷たい飲み物は凍るくらい冷たくなければいけないらしかった。それはただの好みだろうと思うが、娘に感性の乏しい愚物だと思われるのが嫌で口が出せない。
とにかく娘は氷が入ってなきゃ嫌だって言うし、氷が入っていてもたとえばファミレスなんかではほぼ確実に娘が気に入る形に氷が積み上がっていないものだから、せっかく頼んでやっても口をつけない。
ドリンクバーを勧められると俺は必ず断った。娘が自分でジュースを取りになんか行ったら最低でも15分程度は戻ってこないだろうし、他の客と店に迷惑だ。運が悪ければ製氷機の中の氷が全部なくなる危険性だってあるんだ。
だからと言ってウェイトレスが娘を見てドリンクバーを勧めてくれているのに断るのもなんだか情けない。ケチだから断ってるわけじゃないんだ、娘の癖で、コップに氷がうまく積み上がらないと飲まないので、ドリンクバーなんてとてもとても、なんてこと、言うわけにもいかない。
だからファミレスにももうほとんどいかない。食事を作りたくないときなんかは良いもんなんだけど、ファミレスに娘と二人でいるとなんだか無性に惨めな気持ちになる。
ハンバーグが鉄板に対して小さく見えるとき、付け合わせのコーンが多すぎるように思うとき、ピンポンの音、ドアが開くときのカランコロン、ウェイトレスがメニューを下げる慣れた手つき。そういうのが全部、居たたまれなく感じる。俺の何かを刺激する。惨めを見つける。自信のない自分を見つける。
いろんな形の製氷皿を買った。娘の爪と同じくらい小さい氷が作れるヤツ、娘の描く女の子の目と同じくらい大きい氷が作れるヤツ。ウィスキーグラスにいれる丸い氷を作るヤツも買った。
100均にもいろいろあるもんだ。ウィスキーグラス用のを見つけたときは、もしかして、これだったらあいつも氷一個で済ませられるんじゃないか? これだったらやりなおしがなくなるんじゃないか?
ぜんぜんダメだった。なんだか急にコップにまでこだわりだして、できるだけ細くてできるだけ長いガラスのコップが良いと言い出した。ウィスキーグラスに入れる氷はそんなコップに入らないし、入ったとしてもまだ上に余白があるから、積み上げる作業は続くわけだ。
多少、反抗期も入っていたんだろうなと思う。いや、今思えば娘なりに甘えてたのかも。そう考えられるようになってからは、この思い出も、苦労して探した長いコップも、良い思い出になってる。
娘との生活は気むずかしいばっかりじゃなかった。俺は娘に飯を作ってやって、二人で食べて、それから一緒に洗い物をする時間が好きだった。
皿を洗って、娘に手渡す。娘は皿を濯いで水切りかごに食器や調理器具を積み上げた。皿の積み上げ方にも独自のルールがあるらしく、この役は必ず買って出た。俺が勝手にやるとおそろしく不機嫌になった。皿を割らんばかりににらみつけて、子どものくせに深いため息までついて、俺は謝るしかなくなる。
とにかく謝るしかなくなって、娘が気に入らない皿はどれかを当てなきゃならなくなる。皿の上に覆い被さるように置いてあるフライパンや鍋を取り除き、いちいち娘の顔色を伺う。
見られるようになると顎がくいっと上に上がって、それまでは怨念がこもったばあさんみたいな顔なのに、一気に少女の顔になる。実はこの変化を見るのが好きで、たまにわざと、娘が気に入らない風に食器を積んでおくことがある。
だんだん、娘の美意識が分かるようになってきたなと思うことは、親として、いや男として誇らしいことですらあった。
俺はふと娘の将来がとても心配になった。
大物になるとは思う。しかし、俺の欲目ですべて許されている今ならまだしも、大人になってもこれじゃあ、つきあってくれる人間は誰もいないだろう。娘のこだわりを理解してやれる人間は俺を除いてそういるものでもないと思う。
賽の河原の話を娘が耳にしてしまったことがある。
親より先に死んでしまった子が、親不孝を償うために行く地獄。
娘はこの地獄の話を、まるで天国を思うような顔で聞いていたと想像する。実に楽しそうに、学校で聞いたという賽の河原の話をした。小学4年生の頃だった。
天国じゃないぞ? 地獄だぞ? と何回確認したか分からない。しかし娘は、賽の河原で子どもが積んだ石をなぎ倒して歩く鬼に感情移入していた。石の塔の形が変だったらやり直しだよね、と言った。いや、鬼は積み上げたのを意地悪で台無しにするのであって、形にはこだわってないと思うぞ? と言っても無駄だった。
このままでは賽の河原に行きたいって言い出しかねないと思った。青森? まあいつかは。石積みがしたいならどこかの川で父さんとしようと言ったが不服そうだった。どうやら娘は鬼の方になりたいらしかった。自らも石を積むが、ガキどものこだわりのない無様な石の塔を突き崩すことを想像するとうきうきするようだった。
あ、ダメだ青森にも連れていけない。宥めすかすしかなかった。
石をバランス良く積むアーティストがいることを知った。
2万円ほどしたけれど、ストーンバランシングアートの本を買って、誕生日でもないのにプレゼントした。案の定大変気に入った。驚くべきことに、どのページの作品もお気に召したようだった。
その夏の週末はよく川に行って石積みをした。そこで娘は親不孝な子どもになった。それより頻繁に鬼になった。
俺は娘に石の塔を突き崩されるたび、頭の中で「永遠」と呟いた。
娘が小学6年の冬、もう、去年の冬だ。
同級生の男子たちと遊んでて、大事故に巻き込まれた。
巻き込まれたというか、娘が友達を巻き込んだ。危ない遊びを危ないと考えずにやろうと言い出したことは想像できるし、そう言い出したら聞かないのも俺がよく分かってる。
近所の公民館の裏手の雪山と、軒からぶら下がる大きなつららに何か感じたらしい。屋根に登り、つららを取ろうとして一緒に落ちた。
役所に電話がかかってきて、俺の娘が病院に運ばれたと知った。俺は仕事を引き上げて、病院へ走った。
病室には娘と、5人、男の子がいて、娘のベッドの周りを取り囲んでいた。男の子たちは俺に気付くときまづそうな顔をした。その中の一人が「おじさん、きいちゃんを危ない目に遭わせてすみません!」と謝った。
他の四人も口々に謝ったが、俺は娘が悪いことは分かっていたし、君たち娘に付き合ってくれてたんだろ? と思うと怒る気にはなれなかった。
娘はベッドの上でぴんぴんしてるようだし、男の子たちの少しいきがった様子を見るに、誰が娘の前で男気を見せるか、誰が父親に強く印象づけるかみたいなところに主眼があるらしいことに気付いた。その感覚には身に覚えがあった。
その場で一緒にいたのはおそらく一人残らず娘のファンだった。
俺は少しの優越感に浸りながら娘の枕元に立って、頭を撫でて、具合悪くないか? 頭打ったって? と声をかけた。
うん、大丈夫! と元気に答える娘。ねえお父さん、ちょっと見てほしいものが、と言って俺の後ろに立ってた男の子に目配せをすると、その子がデジカメを娘に渡した。それは家のデジカメ、というか俺のデジカメだった。
家のデジカメを持っていた男の子は得意げで、それは撮った内容よりも娘によって撮影を命じられたことに対する得意のようだった。
娘が機動したデジカメの画面に白い山が映る。大きな、美しく澄んだ青いつららが、ずっと昔、家族で食べたファミレスのパフェのトッピングのように突き出ている。そういうパフェの写真とかが、何枚か入ってるデジカメだった。
山の隙間から娘の腕が出てる写真がある。ピンと腕を伸ばしたり、白鳥の頭のように手首を曲げたり。
こいつ、自分が雪山の下に埋もれてるのにポーズ取って写真撮らせてたのか、と思うとなんだか腰が抜けるような感覚になった。救急車を呼びに行ったらしい男の子よりも、自分の上に積み重なった雪と氷のバランスを全角度から記録した男の子の方が得意げだ。
「あー、この写真と、この写真以外はダメだな」と言って娘に見せる。
娘の目はキラキラと輝いて、うん、そう。そうだよね、やっぱり。あとは消すねと言ってどんどん消去ボタンを押していく。
「すげぇ、きいちゃんのお父さん」とお調子者っぽい男の子がぽつりとつぶやく。全員が尊敬のまなざしを俺を見ている。
看護師さんが入ってくる。ベテランらしい身のこなし。「まあ、モテモテね」と軽口を叩けば、可愛い男の子たちのお腹がざわつくのが伝わってくる。
「お嬢さん、頭も打ったみたいだけど軽くみたいだし、他にケガもないし、大丈夫ですよ」と俺に優しく声をかけてくれる。あの猫目の看護師さんと違って、責める様子も、甘える様子もない。
「お父さん、ごめんなさい」と娘が言う。
こいつ、看護師さんの前で猫を被ってるというのか。
珍しく娘らしい顔をしている。周りの男の子も口々に謝ってくれる。
まだまだ油断ならないが、娘はなかなかうまく生きてるらしいと思えたとき、幸せの隕石が頭にまっすぐ落ちてきた気がした。
冬だった。
俺は思いついて「ココアでも飲むか?」と娘に言う。男の子たちにも、「好きなものを買ってあげるからおいで。今日はありがとな」と言う。声が震えた。
男の子たちはそれぞれ遠慮するのが大人らしいのか、素直に喜んだ方が好印象なのか、悩んでるようだった。2人が辞退し、3人がコーラを買った。3人は病室に娘と残った2人が気になるようだった。
甘いコーラを苦そうに飲む彼らを見て、俺は腹の底から幸せだった。
それからというもの、ファミレスに惨めが流れない。川に永遠が流れない。
この感覚を分かってもらえるだろうか。
俺の娘以外には理解できないと思う。
積みあがったものの美しさのことは。
いただいたサポートは本を買う資金にします。ありがとうございます。