PGGP_表紙用

GPPG(9980文字)

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高校は一日前から冬休みに入っていた。
朝早く目が覚めたのは私の体がまだ通学モードで自然に目が覚めたというわけではないと思う。
終業式の日には調子に乗ってすごく夜更かしをしたし、朝寝坊する気満々で携帯のタイマーも切った。だから冬休み初日は昼近くに起きた。ところが冬休み二日目、やはり夜更かしをしたにも関わらず、早い時間に目が覚めた。胸騒ぎのようなものが体の奥で芽生えてそのままお腹へくだり、くすぐったさに近い何かを感じたのだった。
その感覚はまるでクリスマスの朝、目が覚めた途端にプレゼントを探すようなパッと目が覚める気持ちで、決して気持ちの悪いものではなかった。だけどクリスマスは明後日だと知っている私は、その胸騒ぎ、おかしな期待が恥ずかしくて昂ぶり、脳内会議の感じでは全然二度寝という雰囲気でもなく、なんとなくトイレに行きたい気もしたので膀胱の訴えに応じて部屋を出た。トイレにいる間、私が体の中に感じたむず痒さはすべておしっこのせいだったのだと思った。

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用を足してからリビングに寄るとお母さんが台所で何かしてるのに気付いた。お母さんは休みとか前日の夜更かしとか関係なく同じ時間に起きて、午前中はいつも台所で何やらやっている。ご飯を作っていることもあるけど、その日は私が起きてくるわけがないと踏んでいたのか朝ごはんなんかは作っておらず、食べられないものを作っていた。
食べられないものっていうのは食べ物じゃないってことじゃなくて、私が食べられないものということ。
作っていたのはガーリックペーストだった。

夏の終わり頃に収穫した大量のにんにくを、風通しの良い物置で干しておいたもの。40玉くらいあるから加工して使う方が得策で、毎年3分の1ほどがガーリックペーストになって冷凍庫へ、残ったにんにくの半分ほどはガーリックチップ。そして残りの半分が室内で常備される薬味としてそのまま保存される。ガーリックペーストとガーリックチップがあれば出番はほぼないけれど、一応取ってある。たいてい芽が出る。
私はまったくにんにくを受け付けないというわけではないけれど、できればあまり口にしたくない。一応女子高生なのでニオイが残るものというだけで気になるし、あまり大量に食べると汗がにんにく臭くなったりしないだろうかと考えてしまう。もう冬休みで、体育なんてしばらくないのだから、男の子に近寄る機会だってそんなにないのだから、多少にんにく臭くなってもかまわないだろうと思うけれど、それでも私には、一度でも汗や口がにんにく臭くなったら負けだ、という信仰がある。

晴れた真冬のお外の空気はどんな抵抗も受けつけず、太陽の真っ白な光が視界の隅々まで照らしている。屈託のないスカイブルーを受け止めるのは2日前大量に降った雪で、普段はのっぺらぼうに見えるけれど、白い光に当たれば陰影が深く入り込む隠れイケメンの様相である。
「外寒そうだね」なんて言いながら私は、母の作業を手伝うことに決める。
スマホの天気アプリによると零下9度のお外に対し、室内はコツコツと溜まった熱気で充満し、裸足でフローリングを歩くことにも抵抗はなく、時計の針もカチカチと順調に時を刻んでいる。カチカチの音に合わせているわけではないけれど、ニンニクの皮を剥く私の手、にんにくを刻むお母さんのナイフのリズムが1秒とか3秒とかそういうスパンでマッチして、ちょっと着いてこないでよ、みたいな気持ちになる。
つるんと丸いお尻が並んだみたいなニンニクの佇まいは味やニオイと違って可愛らしく、丸裸に剥いて眺めるは吝かではなく、少々嗜虐的な気持ちになる。
「つるーん」とか「トゥルーん」とか言いながら次々ににんにくを剥いているとお母さんが横から「なに言ってるの、バカだね」と笑いかけてくる。
同じ厚さに輪切りにしたニンニク。
緑色の芯をつまようじで突いて落とす母。

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十数分後、「飽きたー」と言って私は、とりあえずシャワーを浴びることをお母さんに宣言し、もうこの作業を手伝う気はないことを言外に伝える。
悪くない朝だったが、お母さんと朝からキッチンでクッキングなんて、高校生にしてはあまりにハートフルな気がして、あまりにも健全な気がした。バランスを取らなければ。
身支度を終えて改めてダイニングに入ると、お母さんはまだにんにくをいじっていた。それは予想通りだったのだけど、予想外はお母さんの横にもう一人女の人がいることだった。
午前9時40分。早すぎず遅くもない時間に家へ来て、にんにくの加工を手伝う。そんな面倒を働いて何かメリットがあるのだろうか。あるのだろう。出来上がったガーリックペーストやガーリックチップを、お母さんは少し分けてあげるに違いない。私が食べないのだから、保存が利くとは言え毎年あまってしょうがないらしいのだ。
ところが、こうしていざ誰かにあげるとなると少なからず惜しいもので、もちろん作業を手伝ってくれているのだし実際私はにんにくをあまり口にしないのだから使う人にあげるのが良いことだとは分かっているどころか感謝すらすべきことは分かっているけれど、それでも、第一印象は理屈ではなくとにかくコンマ何秒で形作られるものらしいから、私の感情も否定すべきではない。
なんか嫌だなと思った私は間違ってない。
お母さんとの二人きりを邪魔されたからかもしれなかった。この非の打ちどころのない透き通った真冬の朝に、部外者がいるということが気に入らなかった。5歳の私ならきっと泣いてた。急になんの脈絡もなく泣くものだから、お母さんのお友達に、「ごめんね、びっくりさせちゃったね」とか言われてただろう。びっくりしたんじゃないよ、邪魔だしキモイと思ったんだよ。そんなことも言えないだろう。それは今も一緒だけど。お母さんのお友達だよー、智子おばちゃんだよーって見当違いのあやされ方をされて、きっと一生苦手な人になってただろう。
実際、「あ、こちらお母さんの同級生で、智ちゃん」とナイフを持ったままのお母さんに言われて、「智ちゃん」には「お邪魔してますー」とか言われても「はい邪魔くせー」とは言えず、それどころか「おはようございます、母がお世話になってます」とか普通にいい子な受け答えをしてしまったのち、別に不愉快なことは何も言われていないのに苦手な人になった。
「お母さん、ちょっと天気良いから散歩でもしてくるー」と言って私は、ダイニングを出る。
「あんた上着は?」
「いらない」
いらないことあるか。外はマイナス9度だった。体感は、もう少し暖かかったけれど。


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外に出るとすぐ目に入ったのは、黒いファミリーカーだった。
家の前に目いっぱい寄せて停めてあるそれは、厳密に言えば別に邪魔じゃないけど邪魔っていう、智子さんそっくりの車だったから、智子さんが乗ってきた車だと分かった。
失礼な話だけど、黒いファミリーカーを見て私は意外に思った。あの人にファミリーがいるのかって、考えてみればおかしくも何ともない。でもそれが何故か許せない。どうしてあの人は何も悪いことをしていないのに私に嫌われるのだろう。波長が合わないってやつか、生理的に受け付けないってやつか。
車の脇を通るとき、視線を感じた。後部座席はスモークガラス? になっていて、覗き込んで見てみたりしない限り中の様子は分からなそうだったけれど、確実に中には人がいて、こちらを見ていた。
私はその視線に気づかないフリをして車の横を通り過ぎる。上着を着ないで出てしまったので一瞬で芯から体が冷えてしまう。だけど私は智子さんから逃げるためではなく、自分の意志で外に出たのだし、慌てていたからコートを忘れたのではなく、高校生だから寒さを気にせず、むしろエネルギーを持て余した体と頭を冷やすためにコートは着用しなかったのだ、というような顔を作る必要があった。車の中の人に馬鹿にされないために、私は私の行動に、一貫性や信念というものが必要だと思った。それを聞けば誰でもたちまち納得して、ひれ伏してしまうようなものが。
冷たさを肩に背負って、私は辺りを一周する。否応なく震えてしまう体を目いっぱい大きく動かして、凍り付く頬とかち合ってしまう歯を意識的に緩めながら、やせ我慢の散歩をする。それが、今私の家で、私のお母さんと一緒にガーリックペーストやら、ガーリックチップを作っている智子さんの当てつけかのように、私は私の信念に従って辺りを一周したあと家に戻った。
家の前のファミリーカーが激しく揺れているのを見た。
なにあれ怖い。
恐る恐る車の横を通り過ぎて家の中に入る。
「あの黒い車、おばさんのですか?」と私は、おばさんの「ば」に気持ちを込めて言ってみた。
「そうだよー」と智子さんはフランクな返事をするが、にんにくから顔を上げて私を見る顔がやけに細く、頬がこけているように見える。チークが濃く、突き出た頬骨と、月の表面のように乾いた肌が目に付く。休日にも、快晴の冬にも、お母さんにも似合っていないこのおばさんが私は気に入らず、質問したのは私なのに、次に話す言葉がなかなか見つからない。
「車、すごい揺れてましたけど、大丈夫ですか?」とようやく言うと、智子さんは「あー」と言う。
「なに?」と聞いたのはお母さんだった。
「暴れてるのかも」と智子さんが言えば、「え、信ちゃんたち連れてきてるの?」とお母さんが言う。
「うん、連れてきてる。家に置いといてもアレだし」
「いや、寒いでしょう」
アレ、の中には、きっと智子さんとお母さんに通じるいろいろがあるんだろうと思う。いろいろがあるんだろうと察せられる程度には、アレが放つニュアンスには後ろめたい空気があった。少なくとも私の前では、口に出すのがはばかられる内容なんだろう。
そういう風に、興味ないおばさんの秘密を、伏字にされることが気に入らなかった。伏字にすることで、ここに何か重要なことが書いてあるのとちらちらこちらを伺うような態度に腹が立つ。そしてその伏字の中身が、自分と、お母さんには分かっているのだという優越の気配に対して、私は強い反感を持った。
「うちに入れてあげればいいじゃない」とお母さんが言う。
「え、でもほら、前みたいなことがあったらさ……」
こんなコミュニケーションを繰り返す女、クラスにもいるなあとか考えてると、お母さんが「いいよ、あれはしょうがなかったよ」と言う。それから私に向かって「ね、大丈夫よね?」と言う。
お母さんの顔と声には私に対する信頼が籠っていたから、私は大丈夫もなにも何のこっちゃ分からないけどという言葉を飲み込んで、「大丈夫だよー」といつもより眉の位置を上げて物分かりの良い顔で言う。
「それじゃあ」と玄関に向かう智子さんの背中を見送ってから、お母さんが私に言ったのは、「双子の男の子がいるんだけどね、ちょっとやんちゃで」ということだった。


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智子さんが車の中から連れてきた男の子は確かに双子で、同じ顔をしていた。二人ともくっきりした二重まぶたを持っており、純粋そうに見えるが同時に言うことを聞かなそうだなという印象、強引そうな印象も持っていた。車の中から私を見ていたのはこの子たちだったのかと妙に納得した。
小学5年生だというがそれにしては背が低いような気がする。でも小学生の頃、男の子はそんなもんだったかもしれない。
智子さんが彼らを車に放置してきた理由はすぐに分かった。
人の家だというのにまったく遠慮がない。兄だか弟だか分からないが、勝手に冷蔵庫を開けて物を物色し始めたから一気に嫌な気持ちになった。まだ口をつけてないコーラの蓋を勝手に開けようとしたとき、智子さんが「こら、ちゃんとおばさんに飲んでいいですかって聞いたの?」と言う。
叱るポイントがなんか変だと思った。智子さんはいかにも弱ったような声で双子のどちらかを叱った。兄だか弟だか、信ちゃんだか何ちゃんだかは蓋をあけ、コップにコーラを注ぎながら「飲んでいー?」とお母さんに聞く。
「一人で飲まないで、賢ちゃんの分も持ってってあげなさい」とまた智子さんは見当違いのしつけを行うも、当の信ちゃん(あっちが賢ちゃんならこっちが信ちゃんだろう)に届いている様子はなく、自分のコップになみなみとコーラを注ぐことで頭がいっぱいになっている。
お母さんが素早く手を洗い、もう一つのコップを出して、「ほら、賢ちゃんの分も注いであげて」と言ったのは、このままいけばテーブルの上にコーラをこぼすことが目に見えていたからだろう。信ちゃんはありがとうも何も言わず、自分のコップをいっぱいにすると、そのままコーラのボトルをスライドさせて注ごうとしたから、テーブルの上にコーラがこぼれ、シュワ~と音を立てる。コップを差し出していたお母さんの手にもコーラがかかる。
「ほおらー、横着するからでしょ」と智子さんは謝ったりするわけでもなく控えめに信ちゃんを責め「それ持って向こうで遊んでなさい」と信ちゃんを追い出す。
「にんにくにかからなくて良かった」と言いながら、テーブルを拭いているお母さんをよそに作業を再開しようとする智子さんを気味悪く感じていると、お母さんがこっちを向く。
向こうにいる子どもたちが何をしているか見てきてくれないかという顔だった。
私は智子さんにはできないような意思疎通をお母さんと行っており、それは智子さんのように強引なものでもひけらかすようなものでもなく、言わば天然の、本物の絆だった。
私は言われなくても双子のもとへ向かっただろうけど、あんな子たちの遊び相手になりたいわけではないし、ましてや世話なんか焼きたくない。彼らの持つ強引な空気が嫌いになっていた。ギョロギョロした目が嫌い。厚かましくて図々しくて可愛さはない。学校でいじめられてたりして、いやいじめられてろとさえ思った。私の中にシンプルな憎しみの感情があることを気付かされてしまったことが悔しい。襖の前で押し合いをするな、リモコンを投げるな、勝手に仏間に入るな、トイレの蓋開けっぱなし、寝そべって頬っぺたを床に付けられるのがムカつく、靴下が汚い、ソファの上で跳ぶな。



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智子さんたちが帰ったあと、お母さんが少しぼんやりと宙を眺め、控えめな声で、「智ちゃんたち、来週も来たいって言うんだけど……」と言う。
「え、来週? 来週ってもう年の瀬じゃん」
年の瀬だから何だという話ではあったけれど、年の瀬に他人と関わる必要ってあるかなと思う。一年のうちの消化試合みたいな時間、三が日に向けて体をダルダルにするための時間。そんな時間にどうしてまたあいつらと関わらなければならないのか。
「年の瀬なんだけど、お節料理、一緒に作ろうって言うから」
「えー」
私は、智子さんって一人じゃ何もできないの? と言う言葉を飲み込んだ。
「何も」の中には「子育て」も入っていた。智子さんには夫がいないだろうこともなぜか私の中で決定事項だった。いろいろな事情があるだろうけど、智子さんはきっとあまりに身勝手で強引で人の迷惑を顧みないから、旦那さんに捨てられたんだと思う。いやそうであれ、と私は思っていた。
どうしてお母さんは智子さんの非常識を簡単に受け入れてしまうんだろう。誰を責めていいか分からず、性格が悪くなる一方の私は不機嫌になり、「じゃあ私どっか行こうかなあ。おじいちゃん家とか行ってて良い?」と聞く。
するとお母さんも少し不機嫌になる。
それも分かる。
私たちは今日、息があっていた。視線のやり取りだけで役割分担をこなし、お互いに味方であることを確認した。
だからこそ、私は智子さんたちの来週の訪問を受け入れたお母さんに裏切られた気がしたし、お母さんはお母さんで私に裏切られたような気がしたんだと思う。
「でも、お母さん一人じゃ、あの子たち見れないし」
それを聞いて、私はピンときた。
あの子たち、以前に家に来たことがあるに違いない。そのとき、家のリビングに置いてあるデジタルフォトフレームを割ったのだ。私が何かから帰宅したとき、それは完全に再起不能になっていて、とても驚いたのを覚えている。
お母さんはそのとき、お掃除してて落としちゃってと言ったが、あれはあの双子が割ったに違いないのだ。お母さんがあれを落とすわけがないのだから。
智子さんが言っていた「またあんなことがあったら……」はそのときのことを指しているに違いなかった。
「もしかしてさ、あのデジタルフォトフレーム割ったのあの子たち?」と私は聞いた。お母さんには唐突に聞こえたかもしれない。
「ごめんなさい」とお母さんが言う。
「いやお母さんが謝るの意味分かんない。あれお父さん買ってくれたヤツじゃん」
お父さんが亡くなったのは3年前だった。私が中学3年のとき。
「弁償とかしてくれないの? てか普通弁償するとか言うよね?」
「それは、智ちゃんもね、一人であの子たち育てててお家大変そうだし。それは良いよって。それに、弁償で何とかなるものでもないし」
私は、何よりあの子たちに壊されたのが悔しかった。あの子たちは何も気にしない。家族の思い出とか最後のプレゼントとかそういうの、他人から見たらどうでも良いことかもしれないけど、取り返しのつかないことが世の中にあるってこと、それを自分たちがしてしまったこと、彼らが気づくことはない。なぜならあの子たちを育てているのは智子さんだから。良い大人になっても自分がしてしまったことに気付かないで、ノコノコやってこられる無神経な親に育てられて、あの子たちが何か心に痛いものを感じる日が来るなんて、私には考えられなかった。
車の中で暴れてれば良かったんだ。氷点下9度、エンジンのかかってない車の中に放置。それって虐待じゃんって思ったけど、今はそれでも良いと思ってしまう。ああそうか、智子さんも一応、反省はしてたってことか。やっぱり、やり方が違うとは思うけど。


7/9
30日の午後3時近く、智子さんたちはやってきた。今度ははじめから子どもも一緒に入ってきた。
私はあらかじめ、子どもたちには触れたくないものはすべて片づけた。お節料理を一緒に作ると言ったのに、智子さんは手ぶらだった。食材はすべて家で用意したものを使った。
この流れで大晦日も一緒にってことになったらどうしようと私は思った。
案の定というかなんというか、お母さんが「大晦日、うちに来て食べる?」なんて言い出した。なんで?
「いや明日は実家いなきゃでしょ」と言う智子さんのちょっと笑いを含んだ言い方がムカついた。非常識を咎められたような気がしたから。せっかくお母さんが親切で言ってるのに。じゃあなに。今日のこのお料理は実家に持って帰るの? 今日食べるの? こっちが付きやってやってるみたいなつもりなの? だから食材も持ってこないの?
「てかさ、お節って普通元旦に食べるよね?」と智子さんは続ける。うちは大晦日から食べる。昼過ぎからたらたらと。お前が普通とか言うな。
太巻きを作るのを双子もやりたいという。お母さんが教える。ぐちゃぐちゃになる。ぐちゃぐちゃなのに力任せに握りしめるから、もう取り返しがつかない。
「これはもうしょうがないね」と言って、智子さんはぐちゃぐちゃの太巻きを三角コーナーに捨てる。いや双子が食べろよ。茶碗にでも入れて食わせろよ。
飽きたのか双子はキッチンから出ていく。一人はトイレに行くという。トイレが汚れる想像をするとイライラする。双子の欠点を探すようになる。私は「憎しみ」を感じるだけでなく、手に取って抱きしめることにすら抵抗がなくなっていた。
出来た料理はほとんどを智子さんが持っていった。残ったのは汚れた台所と、ちょうど二人分くらいのお節料理だった。


8/9
大晦日の夜と元旦の朝に分けて、お母さんと二人でお節を食べた。
いつもと違ってあまり量はなく、大晦日には年越しそば、元旦にはお雑煮があって丁度良かった。食べ物が余らない正月なんて久しぶりだった。お父さんがいなくなってからは初めてだった。
元旦。テレビがつまらない。外は晴れ。初詣日和の青空。
だけど清々しい始まりとは言えなかった。
「お母さんさ、なんで智子さんとか、家にあげるの?」
私はもう敵意を隠さなくなっていた。退屈紛れに聞くには、ちょっとしんどい話かもしれなかった。
お母さんは少し考えてから言う。
「あなた、学校で意地悪されたりしてない?」
「え、意地悪? なんで? 別に、だけど」
「でも意地悪な子っていうか、人の悪口で味方作る子とか、いない?」
お母さんがお母さんじゃなくて、同級生になったみたいに感じた。
「悪口で味方作るって?」
「だから、あの子ちょっとあのとき嫌だなとか、おかしいなとみんなが思ったとき、そういう空気を上手に捉えて、一番に言い出すの。悪口のリーダーみたいな」
お母さんは智子さんの話をしているのだった。二人は同級生だったのだそういえば。
「お母さん、智子さんに悪口言われてたの?」
「んー、どうだろう。でもあの子を敵にしたら終わりみたいな気持ちはあった。あの子の近くではささくれ立つような、そういうことしない方が良いっていう空気があったの」
「え、でもだからって親切にしすぎじゃない? 智子さん、私から見ても非常識だよ」
「あの人も可哀そうなの。旦那に捨てられて、子どもたちは手に付けられないで、職場も人間関係がうまく行ってないみたい」
私はお母さんの顔に一種のサインを感じ取った。お母さんは本気で言ってない。お母さんなりの冗談を言っているときの顔とすごく近かった。
「そんなに、学校でも仲が良かったわけじゃないんだけどね。まともに話したこともないくらい。でもたまたまお母さんが地元に残って、智ちゃんも旦那さんと別れて地元帰ってきてね」
お母さんは智子さんに親近感を持たれたらしい。同じシングルマザーとして、仲良くしていこうというようなことを言われたようだ。 
「いやお母さんと智子さん全然違うじゃん!」
私は怒りっぽい。ここ最近。というか智子さん界隈で。
「久しぶりにあの子にあって可哀相だと思った。最初は同情もあったし、別に避けるような理由もなかったの。でもお母さん気づいた」
「何?」
「お母さん智ちゃんにずっとムカついてたし、智ちゃんのこと見下してた。学校のときから。それに、あの子たちにアレ割られたのが、今考えても許せないし、本当に弁償どころか慰謝料もらっても良いと思う」
「じゃあなんで」
「あの子たち見てるとね、この人はちゃんと人生を失敗してると思ったの。職場の人の悪口とか言ってるの聞くと、ああ、この子職場で嫌われてるんだろうなとか思うのよ。あの子が非常識なことをすればするほど、うまく言えないけどね、いい気分なのよ」
「はは、お母さんめっちゃ性格悪いじゃん」さすが私のお母さんだった。
「そうなの。性格悪いなあ、って思うんだけど、でも私はちゃんとあなたを育てたと思って。お父さんと一緒にだけど、私はあなたを育てた。あなたが良い子なのを見ると優越感がね、あって、それで、智ちゃんは、もっと不幸に、なれって」
涙ぐむのを隠すように、お母さんはテレビのチャンネルを替え続ける。私はお母さんがそうして欲しいだろうと思ったから、テレビの画面に注目して、「あ、それ、見たい」とか言って。



9/9
お母さんは可哀相だった。
お父さんがいなくなってにんにく余るのに、毎年同じ量作る。
お父さんがいるといくらあっても足りなかった。お父さんいないんだからそんなににんにく、作らなくて良いじゃんって、3年前、言えなかったのは私だ。
私は代わりに、においを気にしてにんにくを食べない子になった。ちょっと前まで、あなたにんにく食べてたじゃない、とか、そういうことをお母さんも言わなかった。
私はお父さんのにんにくを持っていく智子さんが最初から許せなかったんだ。
「でもお母さん」
私は気を取り直したくて明るい声を作った。
元旦のくだらないテレビのテンションに合わせて。
「智子さんは人をイラつかせる何かがあるよ。お母さんの友達なのに悪いけど」
「そもそも友達なのかな、私たち」と真剣に言うから私も笑った。
私たちは年明け一日目からとても性格が悪い親子になった。
「もう今年はさ、よっぽどのことない限り呼ぶの止めようよ。私無理だあの親子」
「そう? 断り切れないとき、娘が病気で、とか嘘ついても良い?」
「いいよ良いよ。なんなら断ってから予定作れば良いよ」

それから私は、勇気を出して言う。
「あとさ、智子さんにあげることになるくらいなら、もうにんにくさ、あんなに作らなくて良いんじゃない?」
「うん」
お母さんが何か考えてる。私には全部分かる。私たちは似たもの親子なのだ。
「もう、いいかな」
「うん、いいよ。大丈夫」
外は快晴だった。
間の抜けた私たちとは違って、冷たく引き締まっている。

GPPG(完)

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