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ぼくから見た、ロドレゲフ

今回『ぼくは ロドレゲフ』という物語をつくるろうと思ったのは、ある記事を読んだことがきっかけだ。


ぼくの好きなnoteを書いている、やせつさんの『愛しのロドレゲフ』を読んで、この物語をつくろうと思った。


やせつさんの書く文章は濃い紫をしていて、ドラマチックでロマンチックだ。まるで映画の中に入ったような世界観で、文章を書いている。ぼくには、そんな印象に映っている。ハートがあたたかくなる。


愛しのロドレゲフ

やせつさんが高校生時代に、不登校を経験した話。

母からペンギンのぬいぐるみ、しかも背負えるタイプのリュックサックをプレゼントされたところから、話が始まる。

『ロドレゲフ』の名前の由来は、母のインスピレーションからだそうだ。

学校に行きたいのに行けない。

そんな彼女に『ロドレゲフ』を相棒にしなさい、と母からプレゼントされる。

最初は困惑するも『ロドレゲフ』と旅をしていくうちに、彼女の中で、だんだんと変化が起こってくる。

ぜひ、興味があるなら、本編を読んで欲しい。



ぼくも不登校を経験していた

小学校、中学校、高校と、ぼくは学校にいけない時期がある。

とくに中学生のときは、合計で一月以上学校を休んだ。

朝、学校に行こうとすると、お腹が痛くなる。

それが、精神的なものか身体的なものか、わからない。

行きたくない。

学校がつまらないわけではない。

けれど、どちらかというと、家でテレビを見たり、何かをつくっていたりする方が好きだったのだ。『がんこちゃん』とか見ていたな。

そんなぼくを、母は無理に学校に行かせないで、休ませてくれた。父からは、何度か、手紙をもらった。


不登校の経験があるからこそ、学校にいけない気持ちがわかる。
行けないでいるじぶんを責めてしまうこともわかるのだ。

『愛しのロドレゲフ』は、あの頃のじぶんに重ねて、読んでいたのだと思う。


学校は無理に行かなくてもいい

学校に行けない。学校に行きたくない。そう感じているひともいるだろう。

ぼくは、行きたくないのなら、無理に行かなくてもいいと思っている。

勉強なら、オンラインで受けられるし、何より、家にいても学べるコンテンツがたくさんある。

集団生活が大事だと言われるが、無理に学校に行って、疲れ、極度にストレスを感じる方が、体とハートに悪い。

それで、体を壊しても、元も子もない。

学校に居場所がなくても、べつの場所に居場所を作ればいい。

ぼくは、そう思っている。

あくまで、ぼくが思っていることで、押し付けではないところは、ご了承いただけたら幸いだ。


さいごに

『ぼくは ロドレゲフ』をつくったことで、創作の幅がひろがった、とぼくは思っている。

他の方のnoteを読んで、降りてきたインスピレーションで、物語をつくる。

どんな風に展開されるかは、ぼくにもわからない。

イメージしたものを、ハートを通して、言葉にしていく。

今回、やせつさんに出逢ったことで、この物語は生まれた。

つながりから生まれる、物語を、ぼくは大切にしていきたい。

巡り逢えたこと。

創作できたこと。

本当に感謝している。


つぎは、あなたのnoteから物語が生まれるかもしれない。


ここまで、あなたの貴重な時間をつかって読んでくれて、ありがとうございます。

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