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あなたの目指しているところは、どこ?

世の中には、方法論、手法論といった、やり方を教える教材や本、ツールが溢れている。

これをやれば、あなたは成功する。

成功したひとが、どうやって道を歩いてきたか、を書いた本。

これさえ、あれば、大丈夫。

とっておきのツール、などなど。


それは、ぼくたちの目に、魅力的に映る。

成功したひとの本を読めば、じぶんも成功するんじゃないか、とやる気になる。

その本の中で紹介されているツールやモノを使えば、合理的にゴールへたどり着ける。

手法論や方法論を否定するつもりはない。

そのひとが、そのひとのやり方で、成功し、その結果を元にしたものだから、信ぴょう性がある。

理屈が通っている。


例えるなら、手法論や方法論は、歩き方だ。

成功したひとの歩き方を真似をすれば、あるいは参考にすれば、じぶんにも、と。

多くのひとが、この歩き方を、求めている。

そして、歩くには、どんな靴を履いたらいいのか、も探している。


けれど、その歩き方が、あなたに合っているとは、限らない。

その、おすすめされた靴が、あなたの足に合うとは、限らない。


それなのに、その歩き方、靴を、あのひとがやっているから、おすすめしているから、と鵜呑みにして、その合わない靴のまま、合わない歩き方で、歩き続ける。

すると、どうなるか。

つらくなってくる。

合わないから、歩きにくい。

靴だって、合わないから、履き心地が悪い。

もっと言えば、勘違いをして、左右を履き違えたまま、歩いていることだってある。

けれど、それに気づかない。

だんだん、体にも影響が出てくる。

足に負担がかかり、血が出るかもしれない。

でも、気づこうとしない。

引きずって、この歩き方で成功すると、信じて。


一度、ハートに聞いてみて、欲しい。


あなたは、本当に、歩き方が知りたいのだろうか。

あなたは、本当に、その靴を履きたいのだろうか。

あなたは、その歩き方、その靴で、どこに向かいたいのだろうか。


そうなのだ。


歩き方や靴よりも、大切なこと、それは、あなたがどこに行きたいのか、どこを目指しているのか、だ。

目指す場所が、ぼんやりとでも、わかっているなら、あなたの歩き方で歩いていける。

極論を言えば、裸足だって歩ける。


そして、その目指す場所が、誰にもわからない場所だったら、どうだろうか?

その時は、あなたの歩き方で、あなたの目指す方向に向かって、歩いていけばいい。

当然、じぶんしか、目指していないのだから、道はない。

あなたにとって、それは、未知なのだ。


けれど、少しずつでも、歩いていけば、進んでいける。


すると、どうだろう。

振り返ると、道ができている。

それは、あなた自身が、あなたの歩き方で、歩いてできた、道なのだ。


あなたが、歩けば、道ができる。

だから、違うな、と感じたら。

来た道を戻ればいい。

あなたの道だから、あなたは覚えているはずだ。


こっちの道じゃない、と思えば、方向を変えればいい。

あなたが、わくわくする方向に、歩みを進めればいい。


そのちいさくても、わくわくする方が、本来、あなたが、歩きたい、目指したいところなのだ。


途中、道に迷うかもしれない。

靴も合わなくなってくるかもしれない。

その時は、また違う靴を履けばいい。

そして、もし、履き違えたなら。

また、履き直せばいい。


新しい靴も、じぶんの足に馴染むまで、じかんがかかる。

そのじかんの中で、また、立ち止まることもある。

その繰り返し。

その体験が、あなたを成長させる。

あなたが遠回りをしたと思っていても、それもあなたの体験になり、糧になる。


大切なのは、じぶんのハートの声を信じること。

わくわくを信じること。

体の声をきくこと。

無理をしないで、じぶんのペースで歩くこと。


未知に挑んだ先には、新しい道ができて、そして、また新しい未知がまっている。

あなたは、あなたの歩き方で歩けばいい。

それが、どんなにちいさな、一歩でも。


あなたの目指しているところは、どこだろうか。


絶えず、じぶんのハートに聞いて、あなたのペースで歩いて行って欲しい。


ここまで、あなたの貴重なじかんをつかって読んでくれて、ありがとうございます。

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