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愛するチャチャへ

2019年5月10日、1膵炎のため旅立った14歳の愛犬、チャチャ。

彼女はミニチュアピンシャーで、いつもそばにいてくれた。


今回はうつ病の時、精神的な救い、となってくれたチャチャについて綴ろうと思う。

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2019年4月15日。お花見。

毎日先の見えない、体調不良の中、精神的な救いになってくれた彼女へ。

感謝を込めて。




1.なにげない挨拶

うつ病になる前、

学校や活動が忙しくて深夜に帰宅することが少なくなかった。

通常の時ももちろん、

深夜に帰ってきても、わざわざ起きてあいさつしに来てくれた。おかえり、と頭を差し出すからただいま、といって撫でる。それだけ。

だけどそれがほんのりうれしくて、なんだかありがたかった。


家で徹夜作業しなきゃいけないときも、

夜中に部屋の明かりに気づきやってきて、

寝ないの?代わりに寝とくね、といった感じで私の布団で寝ていた。私が1時間だけ仮眠取ろうとすると、やっとか、という顔をしてねる準備をするのを見届けて部屋を出るのだ。一緒の部屋にいるだけ。だけど、

その寄り添いに心のどこかで救われていた


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(植物や花が大好き。あきらか笑顔になるし歩き回る。散策も大好き。アスファルトは歩きたくないから抱っこしてほしい…と立ち止まる。)




2.そっとしてくれる、大丈夫そうな時は、一緒にいてくれるありがたさ

そんな中、私がうつ病になった。ほぼ寝るようになる。

当時、なぜ?どうするの?いつまで?と母や祖母から聞かれることが多く、すっごいストレスだった。彼女らのひねったような汚い音を耳にするだけで叫びたくなるくらいで、そっとしておいてほしかった

そんな時期、一番空気を読んでくれたのがチャチャだった(笑)

雰囲気でなにかわかるのか、気が立って傍にいてほしくないときは大抵近くにこず、そっとしてくれた

それがすっごくありがたかった。


撫でる気力があると、かまってくれる?もっと~と催促し、力尽きるとありがとうと言うように手をたくさんなめてくれた

足をなめられるのは嫌なのだが、嫌がるとしないでくれた

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3.おはよう。とりあえず挨拶はしとこう。

ほぼ寝てる時期は相手できなかったけど、昼にやっと起きると、おはようとあいさつしに来てくれる。何時になっても、来てくれるのだ。すこし笑顔になれる一時だった。


あいさつにチャチャの頭を軽く撫で、トイレに行っている間…

チャチャは私の部屋へ入っていく。ある時何してるのだろう、とトイレ行くふりして覗いてると、私の枕に頭を乗せ、ため息をついていた。なんか…ぐっと来た。

そしてトイレを出るくらいには、爪を鳴らしながら歩いてきて、階段おろして居間へ連れていってくれ、と態度をとる。(14歳にもなると数段の階段降りるのが負担になってた)それを持ちあげて、おろす。一食めをなんとか食べ、テレビを流してボーとしたりできたらストレッチを軽くやって、部屋に戻るなりそこで寝るなりする。部屋に行くまではついてくる、ここまでが謎のルーティンになっていた。

ほぼ寝てる時期は、寝るか、トイレか、食事か、の生活だった。

一日にできる一番の活動が食事をすることだった時期だ。その頃は本当に、老犬のチャチャより動けない、悲しくなった。とりあえず昼間寝る場所は変えようと日の光が入る祖母の部屋で一緒に昼寝するのが多かった。そばにいてくれて、一緒に寝てくれるだけでなんだか救われた


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4.動じない

私が泣いていても、まったく動じなかった。テレビとかでよく見る、どうしたのって舐めてくれるとか、一切ない(笑)

チャチャが死んでしまう2日前に、嫌だよ、と私がガチ泣たした時も驚くほどスルーだった。大変、自立心の高い犬である。


けれど私が構って、と絡みに行くと怒らずに構ってくれた。

体調が悪すぎて撫でることすらできないときは察知して、あまり近寄らずそっとしてくれたり、すこし動けるときは一緒に過ごして一緒に吠えて遊んだりした。しんみりしてても、元気でも、チャチャは変わらない

私はどうしても、周りの状況や人の感じから自分ができることは何でなにすべきか、考えてしまう。合わせない、という選択肢を持って育ってきていなかった。だからこそ、チャチャの合わせようとしない姿勢に救われ、ありがたさも学びもあった

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6.チャチャの寝息

部屋にたまにやってきてはどすん、と腰を下ろし、体の一部をくっつけて寛ぎ、気づいたらスピー…スピー…と鼻息を立てて寝る

これは、不眠がきついときの救いになった。

老犬なのもあって、夜中に目が覚めてなにかしたくて歩くのだ。私が起きているのを察知すると、ドアをカリカリ爪でひっかく。開けると、やっぱり~といった感じでやってきて、布団のど真ん中に座る。どかそうとすると怒る図太さは見習わなければならない。なんとか横になると、じゃれたり撫でたりなめられたりする。遊んで満足すると祖母の部屋に帰ってく時もあればそのまま私の部屋で寝るときもあった。

夜中、静かで寝たいけど寝れなくて、頭が動きすぎて困ってるときの来訪はいい気分転換になったし、私が寝れなくても、チャチャが寝てるとその鼻息を聞いてるだけでなんだか安心して、眠りにつけた日もあった。

他の家族は知らない、私とチャチャの過ごした時間、というのがあった。

居てくれるだけで、いい。

一緒に過ごすだけで、ありがたい。

そういう大事なこと、当たり前だろうけどわからなかったことを教えてくれたのはチャチャだった。何気ない、日向ぼっこも、散歩も、一緒にすごして、寄り添えたら最高だ。そんな居心地のよい関係を築けた。そして拠り所となってくれた。本当にありがとう。

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7.死と向き合うということ。

2019年、5月10日の朝。最後の瞬間、立ち会えた。

前日まで自分の足で歩けていた。GWで病院が閉まっていて、数日ぶりに行く日の朝に、もういいよと言わんばかりに朝日が差し込む中、旅立った。

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少し、予想より早くあと数日は、と思っていたのでとりあえず火葬の手配など予約。4日後に決まった

骨を残したかったから。市の火葬場に頼み、それまで保冷材などで冷やして、腐敗を抑える作業が必要だった。

その4日をできるだけ有効に使おう、と思った。

火葬までの時間を、共に楽しめる最後の時間として。


不思議と、悲しみというより、よく頑張ったね、ありがとうという気持ちが大きかった。



人の記憶というのはあやふやだと、私は思う。少なくとも私は無意識に忘れたり、混ぜてしまったりする。それを今回、恐れた。

どうしたら、改ざんなくできるだけありのまま、残しておけるのだろう。動物には葬儀はない、どうしたら、送りだせるのだろう、と考えた。

葬儀は、残された生きてる人間が区切りをつけるためのものだと、どこかで聞いた。それなら、と私なりの区切りの付き方として、チャチャの絵を描くことにした。火葬までの4日間、実物を見て、なんとか完成させた。

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これが私なりの、チャチャの弔い方だった。

検査日から10日まで、できることはしてきた。恩返しじゃないけど、ありがとうっておもってたくさん一緒にいた。チャチャらしい、肉球とか、骨ばった手足とか、鶏もも肉みたいな太ももとか、短くかわいいしっぽ、すっきりした顔だちとか、脂肪がたまりまくってる首から背中のたるむ皮とか、ごわごわからやわらかい肌触りの毛も、謎の渦巻きな形をしてるとか。どれも、ああ、かわいいなあと再度撫でたり愛でた。

それらをなぞり封じ込めるように、絵にした。意外だったのは、耳が亡くなってからもピンとしてたところだ。へなってなるかと思った。この耳も、とってもかわいいのだ。

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8.変化を楽しむ視点

正直、連日チャチャのお世話をして動いていたので、この四日間、まともに絵の制作に取り組めたのは合計2日くらいであとは保冷材を変えたりして、変化を観察し楽しんでいた


死後硬直は、死後1時間半から始まり、氷みたいにカチコチに。

それが2日経つと、だんだんほぐれてくる。やわらかさを持ってくる。

3日後にはお尻が生きていた時と同じくらいぷにぷにだった。

腹は筋肉がたるんでいるから、内臓が一緒にたるんでるのが分かった。


4日もあるから、血や尿など、でてくるのではないかと思っていたが、全く出てこなかった。食事をしなくなって一週間たってたし、前日におしっこもしてた、なくなる瞬間、全身に力が入ったときに出すものは出していたようだ。とてもきれいな状態のまま、火葬場に連れていけた


焼くのがもったいなくて、再度撫でて感覚を覚え、大好きな植物に囲まれた状態にして、火葬場の方にお願いした。

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(食べてなかった割に体重変わらんやんけ…)

ごわごわからやわらかい肌触りの毛を少し、はさみで切って残した。

いまだに掃除や洗濯すると家やどこかからチャチャの毛が現れる。

それを見つけてはなんだかまだいるようで笑ってしまう。




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(ドヤ顔…www)

9.記憶はあせても、記録は残る。残せるものは残しておこう。

絵を描くのと共に、スマホにたまっていたチャチャの写真を大量に印刷した。

写真では形を残せる。自分が見たもの、表情や環境などの記録に写真は有効だ。


vivipriという、写真屋さんのアプリを知っていたため、とりあえず大量にあるスマホデータを送った。印刷した写真を送ってくれる上、画質もいい。写真屋さん…富士フイルムなだけあって(1枚16円~)

大量の写真を入れられる一冊のアルバムにまとめ、採取した毛も火葬前の写真と共に入れた。これで記録は完了だ。健康診断の紙なども一緒にして、会いたいな、と思ったときはこれを見るようにした。


絵は、額縁にいれて、飾っている。

チャチャが、ちゃんと存在していた、という安心がほしかった。

それを、写真や書類の軌跡、あと絵から残すことができた。

それが私が行った私の中の、チャチャの死との向き合い方だった。



10.人に話す

絵で残す、火葬や写真の整理を終えた後、一つの区切りとなったのは人に話したことだった。

当時、まだ学校に所属していて学校のカウンセリングに通っていた。

そこで、写真と共にあったことと、かわいいところを推して語った(笑)

そこで、弔い方をほめられた。精一杯、できることをやった。それをほめてもらえた。とても愛されていたんだね、と言ってもらえて、ああ、ちゃんと愛せていたかなあ、と思った。


チャチャという存在からたくさんのことを学んだ。

傍にいるだけでありがたいとか、自分のペースでいればいいとか、わがままでもいいとか、愛し方とか、愛され方とか、死との向き合い方、自分なりの弔い方。それらを語って、再度整理させていった。無理なく、弔えた。

これは一つの達成感もあった。


けれどこの記事を書きながらガチ泣きしてしまったので、弔いきれていないのかもしれない。

また絵を描こう、と思う。

絵を描くことで向き合い、成仏させていきたい。チャチャは、やってもやらなくても、気にしなさそうだけど。私のためだね。



また、会える日、楽しみにしてるよ。




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