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私は「人」に恵まれている

#この仕事を選んだわけ


 もともと子どもが好きだったわけではない。人並に子どもを可愛いと思う気持ちは持ち合わせているものの、電車やスーパーでキャーキャー騒いでいる子どもを見れば今でも“五月蠅いな”と思う。盆正月に親戚の子どもが来た時も、積極的に面倒を見るタイプでもない。ましてや、保育に関わる仕事をして、食事中に排泄の世話なんて出来るわけがないと思っていた。
そんな私が幼稚園で長く働くことになるなんて、考えたことすらなかったのである。

 遡ること、中学時代。
高校時代の担任が希望する地元の歴史ある女子高に勝手に願書を出されてしまったところからスタートする。
今ではあり得ない話だが、私の希望する高校と担任の希望する高校が合致せず、第2志望に友だちの真似をして書いた高校の保育科(担任が希望していた学校)で願書を出されてしまったのである。
そして私は、自分の希望とは裏腹に、ふざけて書いた第2志望の高校に合格してしまうのである。(当時はそんな心境)

入学した高校は「保育科」ということもあり、高校には付属の幼稚園があった。この付属幼稚園で実習を経験することになったわけなのだが、ここで私は人生の転機ともなる<けいちゃん>と出会うわけである。
付属幼稚園の子どもたちは実習生に慣れていて、「お姉さん、お姉さん」と人懐こく寄ってくる。そういう子と遊んでいれば実習もそこそこ楽しく、実習後の記録に書く内容にも困らないわけだ。
そんな中、私は<けいちゃん>という男の子のことが気になった。<けいちゃん>はわがままな上に悪態をつくので、実習生からはすこぶる人気がなかった。友だちもあまりいなかったように思う。
私はそんな<けいちゃん>が気になり、「何を作ってるの?」と話しかけた。でも、話しかけても返事が返ってくることはない。黙々と自分のしたい遊びを楽しむだけで私が隣りにいることすら迷惑そうなのである。平気で「あっち行け!」なんてことも言う。<けいちゃん>はいつもそんな感じだった。
いつまでたってもツレない素振りの<けいちゃん>に対し私もだんだん意地になり、“何とかして<けいちゃ>んと遊んでみせるぞ!”という謎の使命感に燃えてきた。毎週実習に行く度に、私はあの手この手で<けいちゃん>にアプローチをし続けた。<けいちゃん>には無視され続けたが・・・。

そんな実習が数週間続いたある日、ミチコちゃんという女の子に「おねえさん、一緒に遊ぼう」と声をかけられた。<けいちゃん>はいつものように黙々とブロックで遊んでいた。私もそんな<けいちゃん>にいささか疲れてきており、一緒にいてもダメだなと思い始めた頃だったので、ミチコちゃんの誘いに乗ることにした。
ミチコちゃんと遊ぼうと<けいちゃん>の隣りから立ち上がったその瞬間、

「おねえさん、行かないで」

それまでさんざん私を無視し続けた<けいちゃん>が私の腕を掴んだのである。

あの日の感動は今でも忘れられない。こうなるまでに何週間かかったのだろう。
私は遂に<けいちゃん>の心を掴み取ったのだ。これが幼稚園教諭や保育士を目指す人の喜びなのだ。子どもと心を通い合わせることって、なんて嬉しいことなんだろう。こんな感覚は初めてだった。

そこからの私は、人が変わったように幼稚園教諭を目指すことになる。保育士ではなく幼稚園教諭を目指したのは、<けいちゃん>との思い出が幼稚園での実習だったからだろう。

東京の保育科の短大を卒業し、地元の幼稚園に就職した。
まだまだ幼稚園教諭・保育士が余っている時代だったので、田舎では縁故がなければ就職できない業界であったが、たまたま私が勤めることになった幼稚園の理事と私の父が知り合いだったことからすんなりと就職が決まった。地元の友だちは就職先がなく、パートでの勤務しか出来ない中、1年目から正社員として働くことが出来たのは父のお陰であり、年数が経つほどに有り難いと感じている。
なので、就職時のエピソードはここに書けるものは何もないというのが実情なのである。

<けいちゃん>と出会うまでは憧れたことすらなかった職業ではあるが、「自分が本当に頑張ったことは何かの形で返ってくる」「毎日が違って毎日が楽しい」「子どもにとって初めて出会う先生であり、その後の人生にも関わっていける」のは、この仕事ならではの醍醐味だと知った。
しかし、楽しいことだけではない。幼稚園教諭の相手は子どもだけではなく、園長先生、先輩の先生、同僚、後輩、そして保護者・・・
気を遣い、嫌な思いをすることの方が正直多い。クレームがあった時や理不尽なことで怒られた時などは「絶対に辞めてやる!」と思うこともある。
頑張ったことを認めてもらえないことも、いわゆるサービス残業が多いことも、給料が安いことも、女の世界のいざこざも嫌だ。
保育だって思い通りにいかないことの方が多いし、子どもにイライラすることだってある。
でも、「この仕事は99%は辛いけど、残りの1%が、その99%を上回るくらいの喜びがあるから頑張れる」って誰かが言っていた言葉の通りに、どんなに嫌なことがあっても、子どもたちのちょっとした一言や嬉しいエピソードで全部帳消しになるくらい、その1%の威力は凄い!

気が付いたら本当に長い間幼稚園教諭をやっていた。
その間、教え子の結婚式には4回招待してもらった。今でも連絡をくれる子どもや保護者が沢山いる。そして、定期的に連絡をくれ、会う教え子がいる。私に憧れて幼稚園教諭になり、同じ職場で働いている子もいる・・・。
こんなに幸せな幼稚園教諭人生を送っている人はいないと思う。
ただ、そうなるまでに私は出会った子どもたちのことを自慢できるほどに大切にしてきたと思っている。担任した356人の子どもたちのことは誰一人として忘れてはいない。
これは同業の先生たちにも驚かれるほどだ。私の数少ない自慢の1つである。

お陰様で私は「人」に恵まれている。幼稚園教諭になったことに対しても、一点の曇りもないほど後悔がない。
そんな風に思わせてくれる私に関わった全ての子どもたち、保護者、先生たちには感謝してもしきれないのである。
仕事を選ぶ上でも、続ける上でも、「人」は大事だ。

今日もこれから教え子たちとの飲み会がある。
久しぶりに会うあの子たちが、どんなパパママになっているのか楽しみだ。


#この仕事を選んだわけ
#幼稚園教諭
#保育士
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#子ども

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