CINEMA TALK VOL.4『ニューヨーク 親切なロシア料理店』について(無料公開)


緊急事態宣言が発出され、映画館へ行くのもままならない。映画鑑賞は不要不急だと思われがちだが、すべての人にとってそうとは限らない。

ひとりの友人は、今とても辛い状況に置かれているが、だからこそ『ニューヨーク 親切なロシア料理店』を観に行きたいと言っていた。

本作については語ることは、とても重要なことだと考え、本コラムについては無料公開とさせていただいた。

世界的な大都市ニューヨークにあるロシア料理店を舞台に描かれる本作は、大きな荒波にもまれているときこそ、人は小さな親切に救われるという現実を見事に捉えた作品だ。

夫からのDV、モラルハラスメントに苦しみ、二人の子どもを抱えてニューヨークに逃げ込んだクララ。助けてくれる人もなく、思わず身を隠したのは、マンハッタンで創業100年を超える老舗ロシア料理店「ウィンター・パレス」だ。かつては賑わっていた名店も、今は古びて見る影もない。そこにいたのは、事情を抱える者ばかり。濡れ衣を着せられて服役していた前科者のマネージャー。他人ばかりを優先してボロボロにくたびれ果てた看護師。不器用ゆえに仕事尾クビにされ続け居場所が見つからない青年。オーナーの慈悲深さゆえ、彼らは自然とここに集うようになっていた。

無一文でレストランに寝泊まりしていたクララに、レストランのオーナーやマネージャーは、理由をたずねることなく救いの手を差し伸べる。だが、クララを探していた夫が、やがて彼女の居場所を知るところとなり……。

本作ではっとされられたのは、誰かのヒーローになるのは難しくても、寄り添うことならできるのではないかということ。権力もなく、腕力もなく、財力もないから何もできないと思うのは間違いなのだ。

”親切なロシア料理店”という響きが、とても好きだ。真の「親切」が、どれほど人を救う力となるのるか痛感させられたからだ。クララをはじめ、登場人物は皆、大きな問題に直面している。だが、彼らはロシア料理店が常に居場所を提供してくれることに救われ、そこで優しい言葉をかけてもらったことに勇気をもらうのだ。

これは、大きな不幸に小さな親切が、つまり人の心が打ち勝つ物語だ。誰かが苦しんでいることに気づく。ちょっとした言葉をかける。それだけのことがどれほど自分を救ってくれたか、少し考えればそんな経験を思い出せる人は多いのではないだろうか。

何がそんなに辛かったのか、今ではもう思い出せないのだが、精神的に参っていたある日、手にしていた財布から多くの硬貨が道にこぼれ落ちてしまったことがあった。まさに泣きっ面に蜂状態。辛いときには、小さなことも平常心崩壊の引き金になる。日比谷の街のど真ん中で泣きたくてどうしようもない気持ちを抑えながら、懸命に硬貨を拾っていたときに、すっと手が伸びてきた。通りすがりの女性が一緒にしゃがみ込んで拾ってくれたのだ。ただそれだけのことなのに、彼女が神様のように思えた。すべて拾い終わると彼女は、お礼の言葉も終わらぬうちに、さっそうと歩き去った。彼女にとっては、大したことではなかったのかもしれない。だが、私の心は彼女の親切に大いに励まされた。

自分が抱える問題を他人が解決してくれることはない。どんなに頑張っても、悩みは解消できないのかもしれない。でも、誰かがかけてくれた優しい言葉に救われて、力を取り戻すことは可能だ。小さな親切の力は侮れない。コロナ禍の今、それを実感する人は少なくないはずだ。

クララと同じ問題に直面する人々の心の傷が、映画を観て解決することはないだろう。だが、「小さな親切」が困難に打ち勝つ様子を見て、希望を感じてくれたらいいなと思う。例えばクララが私の友人なら、彼女にできることは、話を聞き、状況を理解し、寄り添うという程度のことでしかない。もうひとつ私ができることがあるならば、書くことぐらいだ。そこで、クララの抱える問題が決して、「くだらない夫婦喧嘩」や「性格の不一致」などではなく社会問題なのだということ、彼女のような女性たちは告発の機会を巧妙に奪われていること、声をあげても今の社会ではかき消されることが多いことを少しでも多くの人に知ってもらうために文章をしたためた。映画『ニューヨーク 親切なロシア料理店』には、そんな女性の象徴として登場するクララを通して、私たちができることを教えてくれてもいるのだ。

言葉や腕力によって相手の尊厳を奪い、精神をコントロールするなど許しがたい。それを繰り返されると人は、自分には価値がないと思い込み、不当な扱いにすら疑問を持てない精神状態に追い込まれてしまう。残念ながら私の近くにも、クララの夫のような言動をする者が何人もいる。何人も、だ。もし、クララの夫の言動に違和感を覚えたら、それは決して珍しい問題ではないことに気づいて欲しい。

今、そこにある危機とも言える社会に斬り込んだ映画を観ることが、不要不急だとは思わない。心のためにどうしても必要な芸術との触れ合いはある。この困難な時期に、芸術活動を続けているすべての関係者に感謝を伝えたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?