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vol.1 合唱部とはなんだったのか

夏休み、それは定期演奏会の時期ですね。
ももしば おんぷです。

時おり思い出していたことはありました。
でも、まとまって「合唱部ってあれなんだったんだろうか」なんて真剣に考えたことなかったのです。
七面倒臭いことをいろいろいうより、
「夢中」だった、それが最強なのかもしれないなって思います。
そう思いながらも、「何してたんだろうか」って考えてみます。

金賞受賞の合唱部は、何をしていたのか

想像がつくと思いますが、ざっとこんな感じが「合唱部」の毎日だと思います。

体操→発声練習→パート練習→全体練習
大会が近くなると、指揮者(先生)の練習
毎日パートミーティングで反省会
歌詞の解釈とかもあったりする

私の所属していた部活も上記のような感じでした。
何十年も連続で金賞を受賞していたいわゆる歴史のある部活ではありましたが、特別変わったこともなければ、初心者がほとんどですし、一人ひとりが歌もうまいわけではなかったと記憶しています。

じゃあ、何が違ったのか。私はこれなんじゃないかと思っているんです。

自己重要感が満たされた一人ひとりが、
それぞれに主体性と関係性を発揮し、
なぜ歌うのか という目的を共有していた

ももしば おんぷによる言語化

それっぽく書いてみたら、なんのこっちゃ、七面倒臭い。
私も書いててそう思いました。


一人ひとりの歌のスキル < 個人を活かす仕組み

これっぽいな、と。
一人ひとりはうまくなかったです。(二度目)
カラオケで高得点は出せないでしょう。
でも、大人数になると圧倒的な力を発揮していたと思います。
その発揮するための、仕組み、環境作りや具体的な練習内容、ちょっとしたルールがあった気がします。

もちろん、ルールは当時「は?」みたいに思っていたこともあります。
いくつかのことは変えたくて、それで後にパートリーダーになりました。
パートリーダーの決め方も、多数決なんて絶対使わない。
全員が納得するまで、何時間でも何日でも話し合って決めるんです。
それに関わる当事者が自分で決める。
どうやら「民主主義」は教科書じゃなくて、部活で学んだようです。


そんなことをしながら、
わたしはここにいていいんだ
を一人ひとりが満たされていた。

そして
なんで歌うのか
歌うことでどうしたいのか
それを言葉なのか、仕組みなのか、無意識に共有していた気がするんです。

具体的に何をしていたのか、
ちょっとずつ思い出しながら、書いていこうと思います。