いつかの私が、いつかの私に言葉を捧ぐ

書き続けることが私なのか、ただ書き続けることをやめられないだけなのか、ちょっとだけわからなくなっている。

連続更新を一年以上続けてきた中で、その延長で続けた、#100日間連続投稿マラソン という企画への参加。
そしてそのゴールにたどり着く直前、ゴールテープを切った後の自分自身が、私には想像できなかった。

なにを書こうか、なにを書きたいのか、それすらもわかっているような、わかっていないような、そんなふわふわとした感じで今日もこうやって書いている。

一度立ち止まってしまえば楽になるんだろうか?

そんな風に思ったこともある。だけど一度立ち止まるのが怖いのだ。情けないくらいに怖いのだ。

私のことは、多分私自身が一番よく知っている。私は、ウサギにもなれないし、鳥にもなれない。魚にだってなれない。
ぴょんぴょん跳んで跳ねて、ときどきひと休みできたらいいのに。
大空を飛んで、ときどき羽を休めることができたらいいのに。
海の中を泳いで、穏やかな波の日はプカプカと浮かんでいられたらいいのに。
だけど私には、歩くことしかできない。

立ち止まってしまったら、次の一歩がいつ踏み出せるかわからない。3日後かもしれないし、1年後かもしれない。なんなら10年後かもしれない。
ただ立ち止まるのが怖くて、結局一歩踏み出してしまう。


サトウ・レンさんのこちらのnoteで問いかけられたふたつの質問がある。


Q「もしnoteにたったひとつの記事しか残せなくなったら、どの記事を残すか? あなたの里程標となる一作を教えてください」

Q「何故、あなたは書くのですか?」


これについての答えを書かれているnoteをいくつか読ませていただいて、私も考えてみた。


たったひとつの記事しか残せなくなったら?

現在、このnoteを除いて、公開しているnoteが1242ある。
短歌や詩、日記も含めてだけれど、こんなにもたくさん書いてきたのだと思うと、このnoteを書いていてかなりびっくりしている。
いろんなことを書いてきた。だけどどれもが私自身で、私の歩いてきた風景のひとつだ。その中からひとつだけしか選べないなんて、酷だなぁって思う。

だけど、今の私が選ぶとしたら、こちらのnoteだろう。

自分の歩いてきた道、見てきた景色、それらを心に残しておく。
大切に大切に、私は私の人生を守りたい。

きっとこれは、ふたつめの問い、なぜ書いているのか? の答えでもある。

私は、私が歩く道を照らすために書いている。
私の人生に、色を塗りたいから、あなたの言葉を感じて、あなたの気持ちを感じて、あなたの想いを感じてる。

出会わなければよかった人なんていない。
たとえ、その人が私を深く傷つけた相手だったとしても、その傷の分だけきっと、私は大切な人を守る強さを手に入れることができたはずだから。


2020.10.19

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