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ヴィア・ドロローサ~イエスが歩いた悲しみの道【第1巻】~イスラエル聖地巡礼記とイエスの生涯

「彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた」
(イザヤ書53:5)

■ノンフィクション作品の概要

ノンフィクションライターの百瀬直也が、実体験に基づき下記の3つの物語(実話)を綴れ織り(つづれおり)のように織り込んでいます。

・「イスラエル聖地巡礼記」
・「イエスの生涯」
・「イエスの謎についての小論」

■はじめに

イスラエルという国は、ご存知のように、非常に危険な国とされています。隣国とよく戦争をするし、ちょっと買い物するにも、常に爆弾テロと背中合わせ。スーパーに入るにも、手荷物検査をされます。
そのような国に、観光目的で気軽に行こうという人は少ないでしょう。

クリスチャンの方々が聖地巡礼をしたいと思っても、家族や友だちに止められるかもしれません。
しかし、そんな危険を冒してまで行く価値は、この国にはあります。
まず何よりも、3千年以上の人類の歴史が刻まれた土地であり、旧約・新約聖書の舞台となった国です。
イエス・キリストも足跡を残した土地を、現代のわれわれが歩くことができるのです。

私は1999年に、SE(ソフトウエアエンジニア)としてイスラエル製の某システムの技術を担当する仕事に就きました。
その後3年間に研修のためにイスラエルを4回訪れ、通算6週間ほど滞在する機会に恵まれました。

私はキリスト教徒ではなく、また他に特定の宗教団体に属してもいませんが、若い頃から聖書に親しみ、イエスの教えに深い共感を覚えていました。
十代の頃から不思議な話が好きで、超常現象の研究を続け、スピリチュアル世界を探求し続けてきました。

【写真:首都テルアヴィヴの街中】

世界にはさまざまな宗教があって、神仏もたくさんいますが、宇宙創造の神は様々な形で降りてきても、その大元は一つだと信じています。
そしてイエスは偉大な神の子であると思っています。
「聖地巡礼」と称して日本や世界の各地の聖地を訪れ、その国の平和や世界全体の平和を祈ってきました。
そして、イスラエルでの研修の合間にも、週末にエルサレムやベツレヘムのイエスゆかりの聖地を何度も訪れました。

このノートは、全3巻で1冊の本(新書版)ほどのボリュームがあります。
過去に何度か、電子書籍として発行したもので、それをnoteの方で復活させることにしました。

■「ヴィア・ドロローサ」とは?

本書の題名にした「ヴィア・ドロローサ(Via Dolorosa)」とは、ラテン語で「苦難の道」あるいは「悲しみの道」という意味です。
それは、イエスが十字架に架けられる前に重い十字架を背負って歩かされた、エルサレム旧市街に残る道の名称です。

【写真:ヴィア・ドロローサ】

この悲しみの道や他のキリスト教の聖地を周りながら、さまざまな疑問が湧いて来ました。その疑問を探求するのも、本書の目的の一つです。
そのため、本書は単なる旅行記とはなっていません。
「イスラエル聖地巡礼記」、「イエスの生涯」、「イエスの謎についての小論」の3つを、綴れ織り(つづれおり)のように織り込んでいます。

小論の一部を紹介すると、次のような謎を探求しています。

・本当にベツレヘムで生まれたのか?
・イエスは本当にクリスマスに生まれたのか?
・処女から生まれたというのは本当か?
・イエスはエッセネ派だった?
・少年時代にインドやチベットで修行した?
・マグダラのマリアはイエスの妻だったのか?
・イエスは奇跡を行ったのか?
・本当の「十字架の道」はどこか?
・イエスは生まれ変わりを説いたのか?
・復活は本当にあったのか?

これまで40年以上にわたって超常現象などの研究・探求を続け、不思議世界の探求のための知識は十分にもっているつもりです。
また元エンジニアという職業柄、ロジカルな思考法によってこのような謎を探求しています。

その他にも、ダン・ブラウン著『ダ・ヴィンチ・コード』に関連する話題や、フリーメイソンリー、薔薇十字団、エッセネ派、死海文書、エドガー・ケイシー、復活と生まれ変わり、奇跡と超常現象などの話題も登場します。

■古代イスラエルの民来日説も

現在日本では、古代イスラエルの失われた10支族が古代日本を訪れたとする説が一部の人々の話題になっており、テレビでもよく取り上げられています。
イスラエル製システムを扱っていた頃には、このような話題にはあまり関心がありませんでした。
その数年後にこの問題を関心をもって探求を始め、10支族が本当に古代に渡来していた可能性を現在は検討しています。

そのため、これらに関連する内容も今回若干加筆しました。
具体的には、聖徳太子や秦氏に見られるイエス信仰の形跡、空海は景教の影響を受けているか、などです。

本書は、いままでキリスト教に無縁だったという人も念頭において、そのような方々にも理解できるような内容としました。
しかし、クリスチャンの方々も読むに耐えるように、そういう方々も恐らくご存じないような事実を盛り込み、イエスに対する理解を深めるための本を目指しました。

やはりヴィジュアルに訴える部分も重要ということで、私がイスラエルで撮影した写真や地図・キリスト教の絵画などの画像も使用しています。

このノートは、書籍1冊分ほどのヴォリュームがあるため、全3巻に分割して発行します。
これを読むことにより、みなさんも、2千年前にイエスが歩いた「悲しみの道」を、イエスとともに歩くことができます。

現実にはなかなか行けないところだから、せめて本の上でも、想像の翼を広げて、ひとときの旅に出てみませんか?
そして、イエスが最後に歩かれた道で、神とは何か、人間にとっての救いとは何かを、一緒に考えてみませんか?

※このノートは2006年8月25日に出版した同名書に最新の情報を盛り込み、加筆訂正したものです。

■全3巻の構成

全3巻の構成は、以下の通りとなっています。

【第1巻】
はじめに
■「ヴィア・ドロローサ」とは?
■古代イスラエルの民来日説も
■全3巻の構成
■本書の小見出しについて
第一章‐イエスの誕生~ベツレヘム
◆あなたがたの心は私たちの心と同じですか?
■はじめてのイスラエル行き
●ナザレ
■エルサレムへ
◆五つの福音書
■ベツレヘムでのデ・ジャ・ヴュ
●おさなごの誕生
◆本当のイエス誕生の地は?
●割礼と聖別
■ベツレヘム生誕教会
◆クリスマスはイエスの誕生日ではない?
●イエス親子のエジプト行き
■ベツレヘムからエルサレムへ
◆処女懐胎は真実か?
◆イエスの教えは古代日本に入っていた?
■ 賢者のことば
■著者略歴
■著作権について

【第2巻】(別ノート)
第二章‐少年時代から伝道開始へ
●エルサレム神殿へ
■古くて新しい国
■悲願の建国
◆死海文書と謎の教団
◆ヨハネとイエスはエッセネ派だった?
◆エッセネ派とイエスの教えの共通点
■安息日のテルアヴィヴ
◆エドガー・ケイシーとフリーメイソンリー
■妖しい街
◆イエスはインドやチベットで修行した?
◆アジアに広がるイッサ伝説
◆チベットで秘密の巻物を見た女性
◆チベットに伝わるイッサ(イエス)の生涯
◆それでも残る疑問
◆創作の可能性は?
●バプテスマを受ける
■四回目の渡航
●伝道の開始
■財布をなくした
●イエスの奇跡
◆奇跡は事実だったか?
◆物質化現象の奇跡
■悪名高き出国審査

第三章‐エルサレム
●エルサレム入城
■旧市街探検
●聖都での教え
■エルサレムへ
■主の祈りの教会
●イエスの涙
■主の泣かれた教会
●血と肉と
■最後の晩餐の部屋
◆『ダ・ヴィンチ・コード』の謎
■イエスに妻がいた???
■ダビデ王の墓
●ゲッセマネでの苦悶の祈りと逮捕
■万国民の教会・ゲッセマネの園
●ペテロの否認
●鶏鳴教会

【第3巻】(別ノート)
第四章‐悲しみの道
■本当の十字架の道はどこか?
●死刑判決を受ける
■第1留:普段は入れない小学校に
●鞭打ちの刑
■第2留:鞭うたれる
●主が倒れる
■第3留:初めて倒れた場所
●母は見ていた
■第4留:母は見た
●十字架を背負うシモン
■第5留:十字架を背負った者
●ヴェロニカの慰め
■第6留:布の奇跡
●二度目に倒れる
■第7留:神の子が殺された
●女性たちを慰める
■第8留:女たちを慰める
●三度目に倒れる
■第9留:道に迷う
●ゴルゴタの丘
■第10留:教会の中へ
●十字架に釘付けにされる
■第11留:本当に「無力」だったのか?
●イエス死す
■第12留:心を乱さずに見られるか?
■神の操り人形
■友のために命を捨てること
●十字架から降ろされる
■第13留:聖母の祭壇
●墓に葬られる
■第14留:イエスの墓
◆宗教と暴力
■神使い?
●イエスの復活
■園の墓?
◆イエスは本当に復活したのか?
◆肉体的復活と霊的復活
■マリアの墓の教会

第五章‐昇天とその後
■三度目のエルサレム
●復活後の教え
◆生まれ変わりと復活
■オリーヴ山
■イエス昇天の地の隣で寝る
●イエスの昇天
■昇天教会

エピローグ
あとがき
■参考文献

■小見出しについて

このノートでは、ひとつの章の中の小見出しに付加する記号によって、以下のような意味付けをしています。
小見出しの先頭のマークによって、以下のような分類となっています。

「■」:百瀬の聖地巡礼記
「●」:イエスの生涯
「◆」:小論またはエッセイ

第一章:イエスの誕生~ベツレヘム

◆あなたがたの心は私たちの心と同じですか?

キリスト教がいつ日本に伝来したかについては、歴史学的には、イエズス会のフランシスコ・ザビエルによる布教が初めてとされている。
戦国時代の1549年のことだった。

だが、それよりも千年ほど遡った古代日本に、ネストリウス派キリスト教(中国で景教と呼ばれたもの)または原始キリスト教が、古代豪族の秦氏などによって日本に伝えられた可能性があると考えている。
本書ではそのような内容を深く探求する余裕はないが、あとで多少紹介することにしたい。

そのような訳で、個人的には、古くから日本人の心にキリスト教の影響が知らずの内に入り込んでいたのではないかと考えるのだ。

ケン・ジョセフ(ジュニア)という人物がいる。
この人の父(ケン・ジョセフ・シニア)はアッシリア系米国人だったが、戦後マッカーサー元帥の呼びかけにより、日本の復興を助けるボランティアとして来日し、日本に永住した。

この父子も、日本には古くからキリスト教(景教)が伝わっていたと考えている。
古代アッシリアの自分たちの祖先が、日本に景教(ネストリウス派キリスト教をもたらしたのではないかと。
この分野を探求し始めて間もない頃に、二人が書いた『【隠された】十字架の国・日本』(徳間書店)を読んで深い感銘を受けた。
特に、この本で紹介されている一つの逸話に感動したものだった。

1549年、フランシスコ・ザビエルは鹿児島に上陸し、キリスト教の布教を開始した。
だが、その後250年にわたって、キリシタン禁制の時代が続いた。
隠れキリシタンたちは踏み絵を踏まされたが、多くは自ら殉教を選び、自分たちの信仰の正しさを信じ、天へ召されて行った。

世界で稀に見る大虐殺が続いたあとで、日本に切支丹たちは一人もいなくなったかのように思われた。
だが、実際はそうではなかった。

その後、黒船が来航して、日本がヨーロッパやアメリカの国々と貿易を再開するようになり、再び宣教のためにヨーロッパから日本を訪れる人々が現れた。

ある時、フランスから来た調査団は、クリスチャンなど、もうこの国には居ないだろうと思いながらも、教会の跡地へ行ったりした。
時にはわざと馬から落ちたりして、助けてくれる人はいないだろうかと思ったけれども、誰も助けてくれない。

日本にはやはりクリスチャンは一人もいなくなり、教会もすべてなくなったので、国へ帰ろうとしていた頃のことだった。
一人の老婆が、彼らのもとへ歩み寄って来た。
そして、周囲に気づかれないようにして、彼らにこう小声でこうささやいた。

「ここにおります私共は、全部あなた様と同じ心でございます」

老婆はそれだけ言って去って行ったが、彼らには何のことだかわからなかった。
だが、調査団のリーダーだけはその意味がわかっていた。

それは、キリシタン同士が自分と同じ信仰をもっているかどうかを確認するための合言葉だったのだ。

翌日、老婆がまた彼らのもとへ近づいて来た。そして、小声でこう言った。

「あなたがたの心は私たちの心と一緒ですか」

「もちろんそうですよ! 私たちもそうですよ!」
彼らがそう言うと、老婆は喜んで帰って行った。

その1時間後には、その教会跡地に、3000人もの人々が集まって来た。
彼らは泣きながら、自分たちはどんなに迫害されても踏絵を踏まなかったことを、調査団に伝えた。
こうして、日本の自由・平等・人権は生き残って来たという話だ。

これを書きながらも、涙が出てきそうだ。
イエスを心から信じ、信仰のためには死を選ぶことも辞さないという人々が、かつてはこの国に多くいたのだ。

この逸話は、クリスチャンの間では「信徒発見」と呼ばれて知られている。

【写真】大浦天主堂の「信徒発見」のレリーフ(百瀬撮影)

その後インターネットなどで更に調べてみるとと、ケン・ジョセフが書いている話は実際と少し違っているようだが、少なくともその元となる事実はあった。

キリストの愛の教えを信じる人々が日本から絶えなかったということは、非常に感動を呼ぶ話だ。
そして、そのイエスの教えを日本に広めたのが、秦氏や聖徳太子や空海だったとしたら…。

そのことについては、別の機会に本としてまとめたいと思っているが、イエスの教えが古代日本に入り込んでいて文化などに影響を与えていたとしたら、日本の歴史を大きく書き換えなければならない大変なことだろう。

■はじめてのイスラエル行き

チャンスは突然に訪れた。

イスラエル出張の話が、2ヶ月ほど前に突然に舞い込んできた。
しかも、日本で有数の商社M社の大手町にある本社で、業務委託という形で働くことになるという。
世界中を飛び回るビジネスマンたちと机を並べて働くという話は、刺激的な誘いだった。

1999年4月23日、金曜日。
朝、成田空港に到着。これから、2週間のイスラエル出張だ。

私はこのとき43歳のシステムエンジニア。
M社は、イスラエルのN社が開発した某システムの輸入販売をしている。
そこで、英語が話せるシステムエンジニアが必要ということで、ご指名となった。

そのときには、あるソフトウエア会社に常駐して開発を行っていたために、7月からM社の業務委託として仕事につくことになった。
だが、それに先立って、ゴールデンウィークを利用して、N社のソフトウエアの研修を受けにイスラエルへ行ってほしいという。

【写真:テルアヴィヴ】

イスラエルといえばハイテクで有名な国で、独創的なソフトウエアを開発することで定評がある。
首都テルアヴィヴの近郊にあるその会社で、2週間にわたって研修を受けることになる。

というわけで、一生縁がないだろうと思っていた国へ、突如として行けることになった。
うまくすれば、週末にはイエスが歩いた聖地を旅することができる。
それを考えると、心躍る出張だ。

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