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岡山新報デジタル【慰安婦問題の元凶】
🔴吉田清治14
●朝鮮人慰安婦の強制連行証言
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1977年(昭和52年)に、『朝鮮人慰安婦と日本人 元下関労報動員部長の手記』を新人物往来社から出版。そこでは主に自己の朝鮮半島での出張時の体験談が中心で、慰安婦については触れているものの、強制連行ではなく、話をつけて中継ぎする話になっていた。
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1982年(昭和57年)頃から、慰安婦の強制連行を講演し始める。東京地方裁判所における在樺コリアンの樺太残留者帰還請求訴訟では、済州島での朝鮮人奴隷狩りの証人として出廷・証言した。なお、このとき、被告の日本政府代理人は反対尋問をしなかった。
1983年(昭和58年)に、済州島で200人の女性を拉致したと証言する『私の戦争犯罪』を上梓。いわゆる従軍慰安婦問題の発端となったともいわれ、1989年(昭和64/平成元年)には韓国語版も出版された。
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1983年(昭和58年)11月10日には朝日新聞が「ひと」欄で吉田清治を「朝鮮人を強制連行した謝罪碑を韓国に建てる吉田清治さん」と紹介した。同年12月23日に天安市に私費で建てた謝罪碑の除幕式に出席するために訪韓し、サハリン残留韓国人の遺家族であるとされる人物の前で土下座した。歴史家の家永三郎も『戦争責任』(岩波書店、1985年)で吉田の著作を賞賛した。
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