見出し画像

一冊の本とある人のnoteと運命的な出会いをしたわたしは、エッセイストになった

2ヶ月ちょっと前、ある一冊のエッセイ本とある人のnoteと出会い、わたしの人生は大きく変わった。ちょっと大げさかもしれないけれど、わたし中ではわたし史を揺るがす、大事件だったと思う。絶対に期末テストに出てくるレベルの。

2019年末、わたしは毎日更新をしていたひらやまさんをきっかけに、noteの更新を始めた。それもエッセイという形で。

なぜ、わざわざ「エッセイという形で」と言ったのかというと、実は、わたしはエッセイがあまり好きではなかったからだ。だから、今こうして毎日エッセイをnoteに書いている自分にびっくりしている。

画像1

エッセイが好きじゃなかったのは、なんだか美しい言葉を並べた、でも、本当は中身のないペラッペラな、着飾っただけの文章だと勝手に思い込んでいたから。

「エモい」とか「ジワる」とか、よくわからない単語を使いながら、フワフワとさせて着地もしない、それなのに並べてある言葉はそれっぽくキラキラしていて、なんだか好きじゃなかった。これまでエッセイ本を手に取ったこともなかったし、ましてや自分が書くものだとも思っていなかった。あの一冊の本と出会うまでは。

「揺れる心の真ん中で」の作者の夏生さえりさんは、少しだけ関わったことのあるSAGOJOというサービスの代表・新さんのLIG時代の先輩だった。SAGOJOのオフィスにも遊びに来たことがあるそうで、わたしが座ったことのある席に夏生さえりさんが座ったと思うと、なんだかドキドキしたし、近くて遠い存在だと勝手に親近感が湧いていた。

夏生さえりさんの本を手に取ったのは二冊目。一冊目の「今日は、自分を甘やかす」は、二冊目とはまた違ったテイストで、心の支えのような本だ。だから、夏生さえりさんの短編エッセイに触れたのは、これがはじめてだった。

と、いうか、エッセイというエッセイに触れたのは、はじめてだったと思う。それくらい、わたしの中の「エッセイ」という概念を壊してくれて、久しぶりに本を読んで涙が出た。ちなみに、最後に読んで泣いた本はハリポタの7巻。大好きなフレッドが亡くなった時だ(悲しくて認めたくなくて何度も読み返した)。

画像2

夏生さえりさんの魅力は、頭の中でしっかりとその情景がイメージできる言葉選びと、優しさにある。選ぶ言葉が柔らかいのだ。ご本人の写真も何度も拝見しているけれど、その愛らしい見た目からきっと愛される人だったんだろうなと思いながらも、文章には時折孤独が見え隠れしているような気がする。

それなのに感情が揺れ動く様をいろんなもので例えつつ、しっかり文章にまとめてあって、感動した。なんどもなんども読んだ。同じ本は頻繁に読み返さないタイプのわたしが、一度読み終わって、また、すぐ読み返した。それほど「揺れる心の真ん中で」が好きになった。

画像3

わたしも、書きたいと思った。というか、なんとなくだけど、本を読んでから頭の中でぼんやり「こういうエッセイが書きたい」が見えてきていた。ライターの端くれとして2年半仕事をしてきたけれど、こんなにも書きたいと思ったことははじめてだった。

エッセイは、本当は隠しておきたい感情を少しずつ小分けにして、でもさらけ出して書く。これまでわたしにその勇気はなくて、ずっと鎧をつけたまま文章を書き続けてきた。自分のTwitterもブログでさえも、仮面を付けてなんとなくそれっぽい言葉を並べていた。

キラキラとした言葉を選んでいないだけで、わたしもわたしが苦手だったエッセイと同じ文章を書いてきたのだ。なんの感情もない、ただただ言葉を繋げた記事を、これまで書いてきてしまった。それが楽だったし、自分を壊さずに済んだ。

画像5

だけど、エッセイは違う。わたしの見られたくない部分も、隠しておきたかった、知られたくなかった感情を、上手に言葉で表してこそ、出来上がるものだと思う。

そんな文章の途中に、いらない広告に邪魔されたくない。だからわたしは、noteを選んだ。ブログに書くという選択肢もあったけど、何よりわたしがわたしの言葉を、広告に邪魔されたくなかった。最初から最後までわたしは全力で書くから、読者に受け止めてほしいと思った。

画像4

そうしてはじめたnoteでのエッセイ。フォロワーも二桁だし、いいねは全然つかないけれど、それがすべてじゃない。noteを更新しはじめて2ヶ月ちょっと。夏生さえりさんのエッセイに出会って、ひらやまさんのnoteに出会って、わたしの中の「書く」が大きく変わった。

今は書くことが楽しくて楽しくてしょうがない。今日は何を書こうかな、どんな気持ちを書こうかなと、朝から晩までずっとエッセイのことを考えている。

作家の岸田なみさんのように面白いことは書けないし、夏生さえりさんのように優しい言葉を紡ぐ技術はまだまだだけど、最近「あなたの文章が好きです」と言ってくれる人が一人、二人と増えて、涙が出るほど嬉しかった。

今日も何処かでわたしの文章を、エッセイを、待っている人がいるなら、全力で応える。いなくても書き続ける。わたしはもう、エッセイストだから。


写真:桃(@XxPeach
場所:ハミルトン島(オーストラリア)