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雑文 #249 ばらの花譚

ばらの花がきれいな季節。

この季節が一年の中心であるような気がする。夏になる前、梅雨という恵みを経て太陽が輝く季節の直前、ばらは花咲く。

もちろん秋ばらというのもあって、濃い色のきれいな花を咲かすが、そちらは一年の二番目の中心。5月のばらほどの瑞々しさはない。ただ秋という季節特有の濃さがある(個人的に、私はこちらの季節のほうが好きだけれど)


とにかくばらの花がきれいな季節は、私の目線はきょろきょろする。でも写真は滅多に撮れない。なぜなら、ばらはほとんど誰かの家の庭に咲いているか、「ばら園」のようなところに咲いているからだ。通りすがりの公園でパチリ、というわけにはいかない。紫陽花のように、路肩に無防備に生えてはいないのだ。

だからだろうか、ばらには近づきがたさがある。私は「ばらが好き!」と大きな声では言えない。好きではあるが、本当の好きは、もっと、コスモスとか桔梗とかに譲りたいような気がするのだ。でもばらは美しい。何の言葉も差し挟む余地もなく、ただ凛として美しい。

トップの写真は10年ほど前の家の庭のばらのアーチ。田舎で、庭にいろんな草花を植えていた。母の趣味で、野菜やハーブはなく、ただ観賞用の草花だけを。そんな中唯一ブルーベリーを植えた私。数年後にたわわに実をつけ、夏に収穫するのが趣味だったっけ。

ばらの香りも何だか近づきがたい。他の野花の香りとは違う。やっぱりなんと言っても気品がある。私は少し苦手だ。

花(フラワーアレンジメント)を習っていた。2人の尊敬する先生から、合計10年くらい習っていたのではないか。その中でもやっぱりばらは特別な花で、後年私は敢えて使わないようになった。尊敬する先生の後の一人の方も、ばらは苦手だとこっそりこぼしていた。


母はばらが好きで、誕生日や母の日にはちょうどばらの花がきれいだから、よく贈った。私にとってばらは花束のイメージが少ない。だいたい鉢植えで贈る。花束のイメージが大きい人もいっぱいいるだろうけれど。


だから、くるりの「ばらの花」という名曲でイメージするばらも、私の中では切り花ではなくどこかの家の庭の木のばらなのだ。

私はくるりの大ファンだけど、この名曲を、長いことそんなに重視していなかった。好きだけど、いい曲だけれど、私のくるりトップ10には入らないような。でも2015年くらいのライブで、この曲が意味を持つ瞬間がガツンとくる。ライブってそんな化学反応の起こる場だ。



”思い切り泣いたり笑ったりしようぜ” ”安心な僕らは旅に出ようぜ”には勇気が出るし、この僕と君との関係の解釈も年々変わっていく(真相は、もはや知りたくない)

胸がちくちく痛むとき、その痛みを例えられるのは、やはりばらの棘しかないなのかな。

ばらには必ず棘があって、かつばらの花は圧倒的に美しい。


ばらの花譚。

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