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雑文 #140 岸田繁交響曲第一番

岸田さんがセルフライナーノーツを書かれているのを見て、慌ててノートをパタリと閉じた。
そのご自身による種明かしや、おそらく素晴らしいCDのライナーノーツを読む前に私の素裸な感想などを書きたいと思う。
音楽の知識はなくただ主観なのでご了承ください。

CDの収録も、実際のコンサートで演奏された順番どおりになっている。省かれたところはない。

Quruliの主題による狂詩曲
I 幻想曲
ワンダーフォーゲル→ばらの花→ジュビリー→虹 か?
ジュビリーの部分がとりわけ美しい。

II 名もなき作曲家の少年
「ブレーメン」である。こちらのほうがオリジナルにあった曲で、これまでのアルバムに入っている曲やライブで演奏された曲のほうがアレンジされたものではないかと見紛う(聴きまがう)ほど自然だ。

III 無垢な軍隊
「Army」である。
重層的。
木管楽器を吹いてたことのある人間の端くれとして、これは木管楽器の人たちが演奏していて楽しいだろうなと思った。

Ⅳ 京都音楽博覧会のためのカヴァティーナ
冒頭のハーモニカでクスクス笑いが起きる。指揮者の広上さんが指揮台でおもむろに吹き出したのである。一気に私はあの日の京都ロームシアターに戻った。目の前に、ずっと広上さんがいた…
荒天で途中で中止になった去年の京都音楽博覧会。岸田さんはその日のぶんも歌う。その声が朗々とホールいっぱいに響く。楽団のやさしい演奏とともに。
私は秋の夕暮れを思い出す。そこは京都ロームシアターでありながら梅小路公園であり、また鴨川デルタだった。

〈実際のコンサートではここで休憩があった。私はとりあえずトイレに行ったが「なんだなんだこれはすごいぞすごいぞどうしようー‼︎」っていう感じだった。まだ本編を聴いていないにも関わらず。〉


岸田繁 交響曲第一番

第一楽章
不穏な始まり。
何かを探している、といった印象。
美しいメロディが尻尾を掴まれないように逃げ隠れしているような、かくれんぼでもしているような…
ティンパニが激しく鳴り響く。9分くらいのそこから物語が本格的に始まるのだ。ファンファーレ。目覚め。
堂々とした始まりではあるけれど、それはしょっぱなからではなく楽章の途中からというのが岸田さん流なのかもしれない。

第二楽章
また不穏。掴みどころのないメロディがひょこひょこ飛び出す。
ちょっと異国的。
旅に出たんだと思う。周りはわからないことばかりで。わからないなりに楽しんでいて。
森に迷い込んでいるような画が見える。木管楽器たちがリスとか小鳥とか、森に住む小動物みたい。
冒険という言葉が浮かぶ。私はドラクエ脳になる。
最後の最後におもちゃ箱をひっくり返したかのようなわちゃわちゃなメロディが来て、私は笑ってしまう。毎回ここで笑ってしまうのです。ふざけたんですか?
旅に出ていろいろ危険なことあって不安だったけど、結局夜には仲良くなった現地の人とどんちゃん騒ぎして、ほなさいなら。みたいな。

第三楽章
ライブで聴いて私が一番好きだった章。
よく聴いたら私の好きな旋律はしょっぱなから出てきていたんだな。
やさしい章だと思う。旅に出た主人公は恋をしたのではないかしら。
私は東京のオペラシティでこれを聴いたとき大粒の涙をぼとぼと落としていたのだけれど、それはどこで泣き出したのか、すぐわかった。思い出した。
中盤、ドラマチックに大きな音が鳴り、直後にヴァイオリンが美しい主旋律を奏で出す。そこだ。そこからずっとだ。だっていまも泣いてしまうもの。
とても感傷的で、切なくて、そして美しい。人は、悲しいとか悔しいとかうれしいからだけではなく、ただ目の前にあるものが美しいからというだけで泣くこともあるのだ。きれいな夕焼け空や色とりどりの紅葉の景色を見たときみたいに。そのときはなぜあんなに泣いたのかわからなかったけれど、ただきれいすぎて泣いたのだと思う。自分で言うのもなんだけど、その日の涙はきれいな涙だったと思う。
私はとても感動したのだ。胸の奥まで届いた。
私は個人的に、この主旋律が岸田繁交響曲第一番の主旋律だと思っている。一番印象的で一番素敵なメロディだと思う。コンサートの日、私はそのメロディを覚えて歌いながら帰った。あの幸せな帰り道を忘れないだろう。
私はCDを聴くたびまた胸を打たれる。
抱きしめたくなるような終わりかた。

第四楽章
冒険は森を出て海に出たと思う。空も飛んでるかもしれない。
おもしろいメロディが飛び出す。カスタネット?がししおどしみたい。和の感じがすると言われてたけどこの辺のことか。
そう言われてみれば、平安貴族の恋愛模様なんかを思い浮かべるとおもしろい。忍びの恋とか。竹林も浮かんでくる。幻想的だ。
繰り返される主題は壮大かつ爽快。どこまでもゆける感。

第五楽章
第三楽章の次に好きである。
安心感のある旋律。木管楽器が伸びやかに、爽やかに美しい。
私は京都市交響楽団の演奏の中で、クラリネットのソロをやった女性が一番好きだった。
この章は、家に帰る、みたいな雰囲気がある。
第三楽章が恋であれば、この章は家庭的。
懐かしさを感じる。夕暮れ時。私は部活のあと友だちとふざけたり話し込んだりしていて、なかなか帰りたくない。あの気持ち。またはもっと小さい頃、まだ通学路がほとんど田んぼだった頃の帰り道。花を摘んだり虫を捕まえたり、とりとめのない妄想をしたりして遊んだ。ススキやトンボ。カレーの匂い。帰りたくないけど、帰らないと。夜寝たらまた明日が始まるんだから。
そんな音楽だと思った。
最後には冒険は終わり、傷と思い出を抱えて無事家に帰るのだ。

管弦楽のためのシチリア風舞曲
くるりの曲があってそれを管弦楽用にアレンジしたみたいに感じる。
途中感傷的な美しいメロディがあるが逆にそれに詞をつけて歌ってほしいと思った。

京都音楽博覧会のためのカヴァティーナ
「宙ぶらりん 千の心は」のところがたまらなく好きだ。この音の動きは、「宿はなし」だけでなく「キャメル」や「ジュビリー」や他のいろいろな曲にも出てくる。ここが私の最も好きなくるりのエッセンスなんだと思う。
ところでいつも「宿はなし」を聴いているときはとくに感じなかっだのだけれど、私はこれには秋を感じる。秋の景色が浮かんでやまないのだ。
拍手の音とともにスタンディングオベーションの感じも伝わる。

最後に。
「宿はなし」も「岸田繁交響曲第一番」も結局同じことを描いているように思える。どちらも同じ物語で同じくるりの音楽。
私はそれが好きなんだと思う。どんな形になろうとも。
そして思うのは、『ワルツを踊れ』でくるりに気づいていなかったら私はきっといまとは違う人生を送っていただろうということ。他のことに首を突っ込んでいたかもしれないし、何かしら他に楽しいことがあったかもしれないけど、この気持ちは味わえなかった。
風に吹かれて花を愛でるように自然と音楽を愛すること。
日本の音楽をほぼ聴いてこなかった私は、岸田さんの書く歌詞に驚くほど共感した。それで聴いていたのが最初は大きかったのだろうけれども、それにしても初めて出会ったのが「ジュビリー」や「ブレーメン」でなかったとしたら、いったい私はこれほど夢中になっただろうか?
最初は歌詞で泣いていたとしても、そのうち私はライブでくるりの曲のアウトロやふとしたメロディで泣くようになったものだ。
岸田繁交響曲第一番のように、そんな自分の大好きなエッセンスの詰まった曲を、歌詞のない純度で、たくさんの楽器で演奏されると、どこまでも私の想像が伸びていくようで楽しい。
岸田さんの書く歌詞ももちろん大好きだけど、くるりのエッセンスをこうして緻密で能弁で贅沢なかたちで聴けることはまたこの上ない歓びである。


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