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「心が震える」とはこういう事なのだろうか ー「キンキーブーツ」鑑賞

待ちに待った、映画「キンキーブーツ」が公開になり、さっそく見に行った。大きなスクリーンで見れるということが楽しみで楽しみで、昨日の夜は遠足の前のような気持ちだった。

私はこの作品名を知ってたくらいで、詳しく知ったのはあの夏の日以降だ。少しでも知りたくて、Youtubeで動画を見たり、Amazon Musicを聞いたり、映画を見たり、ネットで演者の話を読んだりした。日本オリジナルキャストのCDを手にしてからは、春馬くんに想いを馳せながら何度も聞いた。だけど今まで頭の中で想像をしていた、見たことのないシーンも全部見れるんだ!と思ったら、興奮した。

すごく早く席について待った。「予告はやく終わって!」と思ったのも久しぶりだった。だから会場が暗くなって、一番最初の社歌の音を聞いた時に「いよいよ始まる!」という想いからか、誰も出てきてないのに鳥肌がたって、何故だかうるうるしていた。まだ、早い!

出てくるキャストを、Youtubeで見て知ってる限りの顔に重ねてしまう。今日はこうやって、日本キャストを重ねて見てしまうのかしら、と思っていたところ・・・フーリガン達にからまれる後ろ姿の女性・・・出た、来た、待ってたよ、ローラだ!!そう思ったときに「Land of Lola」がかかって、ローラの顔がこちらを向いた。ごめんなさい、マット・ヘンリー。やっぱりどうしても春馬くんを重ねてしまう。こんな早い段階からこの状態で、この先どうしようって思った。

見れる限りの映像だとチャーリーしか出てないけど、ローラもいたんだね!ってシーンがあったり、この先はこんなに踊っているんだ!ここはこういう繋がりなのね!なんて思って見るシーンが多くて嬉しかった。スピード感、躍動感が心地よくて、話に引き込まれるとはこういう事をいうんだと実感した。あ、あと「レーーーーーッド!」は春馬ローラの言い方が好きだし、「Sex is in the heel」では、春馬ローラのもう女性にしか見えない視線、表情、指先に至るまでのしなやかさを思い出した。

「Not my father's son」ではスクリーンの中のチャーリーは涙を拭いていた。歌番組で英語で歌っていた春馬くんもきれいな涙を浮かべながら歌っていたことを思い出し、私も頭で一緒に歌った。いちいち春馬ワールドになってしまう、わたし。

でも見ているうちにストーリーに入り込んでしまっていた。実際に観客をいれて撮っているから、笑い声、拍手なども聞こえる。ミュージカルを見ている感覚だから、映画ということを忘れて、うっかり拍手をしてしまいそうになること3回。わかっているけど、体が勝手に拍手をしようとしてしまう。さすがに隣の人に見られた気がする。

「Hold me in your heart」が流れた時、賑やかなステージにはLOLAしかいない。私の中では、あの白いロングドレスに身を包んだ春馬ローラも、切なさ溢れる美しい姿で一緒に歌っていた。そしてその曲は作品の終わりが段々と近づいていることがわかって、もっと見ていたいという寂しさか、また涙が出だした。

「Raise you up」が流れた時は、あぁ、本当にもう終わってしまうのだ、と思ってか、涙が止まらない。ここはYoutubeで何度となく見ているシーン。私には、あのローラを象徴する赤いドレスに身を包んだ、美しい春馬ローラもスクリーンに見えた。「Just be」での6ステップの時も、もちろん一緒に踊って軽やかに飛んでいた。映画という事をまた忘れてしまい、手拍子をしたくなる。

実際の公演では、みんな一緒に歌って踊っていたと読んだ。うぅ、羨ましい。私だって立ち上がって、あの音楽に合わせてみんなと一緒に踊りたいし、手拍子だけでもしたい!心からそう思った。映画が終わった時、館内は拍手が起こった。私もずっと我慢してたから、涙垂れ流しのまま、一生懸命拍手したら、少しだけ心が満たされた気がした。でもほんとに少し。

楽しみにしてたことが終わってしまったという想いと、いつか目の前で生の演技を見たい。でも春馬ローラではそれを叶えることが出来ないけど、という想い。どっちの想いもあったのだと思うけど、一人なのに涙がなかなか止まらなかった。

家が近い友人が同じタイミングで同じ地域にいるというので、車で一緒に帰る約束をしていた。終わった瞬間に「泣いてるし、一人で余韻に浸りながら帰りたい」と思って、約束したことをちょっとだけ後悔した。でも約束の10分前のキャンセルはさすがにないな。

自分がどんな顔をしてるのかわからず、お手洗いに行こうと思ったけどかなり行列。マスクしてるからいいかと思いながら、泣いたまま劇場を出ることにした。外に出たら落ち着くだろうと思っていたけど、涙は止まらないどころか、止めようとしたら更に出た。

約束の場所に向かう途中に友人に会った。余韻に浸りたいどころか、すぐに会ってしまった。でも一人で歩きながら泣いてるよりもいい気がして、更に泣いた。涙が止まらない私をみて「そんなに悲しい映画を見たの?」と言うから、なんか泣き笑いになった。そうだよね、わたし普段はこんなに泣かない。彼女の車に乗ってから、聞かれてもいないのに想いの丈を語った。

・映画が始まる前から泣いたのは初めてだったということ
・何の涙かわからないのに、どうしても涙が止まらないこと
・こんな素敵な作品を知れて嬉しい反面、春馬ローラが見れない悲しさ
・情報番組や歌番組で見てたのに、チケットを取ろうとしなかったこと
・春馬ローラが叶わないのなら、ブロードウェイかウエストエンドで見たい

なんてこと泣きながら話したら随分落ち着いた。やっぱり約束していてよかった(勝手)。それにしても頭がすごく痛かった。泣いた後に頭が痛いの、すごく久しぶり。見終わってから何時間もたってる今も、思い出すと涙が出るので、まだ頭はずっと痛いし、目は腫れている。

最初は、見に行けることが単に楽しみだった。春馬くんが憧れ、掴み取り、演じたものがどんな作品なのか、春馬くんを重ねたかったんだと思う。話自体がすごく楽しい。元気になる。フライヤーには「派手だけどセンチメンタルで、悲しいけど愉快なスーパーミュージカル」と書いてある。本当に物語そのものがスーパーだ。「宝物に相応しい時間を過ごすことが出来る作品」その通りだった。フライヤーを読むだけで今も躍動感を思い出して、心が揺れる気がする。本当に、また1つ、宝物をもらった。

なのに、こんなに涙が出るというか、「泣く」と思っていなかった。

悲しいだけではないのに、なぜこんなに涙が出るのだろう・・・自分でもよくわからないけれど、前半と後半の涙の種類は、どこか違った気がする。もしかして「感動して心が震える」というのはこういう事なのか?と思った。これが「心が震える」ということなら、春馬ローラで「心が震える」感覚を味わいたかったと、ついまたあの夏の日の感覚になってしまう。でももうそこを嘆き悲しむのはよそう。今日は「キンキーブーツ」に元気をもらったんだから。

でももう一度だけ言いたい。やっぱり見たかった。春馬くんの演じるローラを。あなたは世界で一番美しいローラだったはず。でも私のように「キンキーブーツ」を見なかった人、見れなかった人、知らなかった人、たくさんの人に、この作品の素晴らしさを教えてくれた。春馬くんが不在になってから知るのは、残念で心がすごく苦しいけど、素敵なものを残してくれて、ありがとう。今日はとてもそう思う。
私は今日こんなに頭が痛くなると思ってなかったけど、上映してるうちに、また絶対に行く。今度はもっと焼き付けるよ。

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今日感じたこと、どうしても記憶から消したくなくて、記録をしておきたかったけど・・・まだ脳がとても興奮しているみたいな感覚。
春馬ローラを見た人たちもこうだったのかな。心から羨ましいと改めて思った。

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