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えっ、ご先祖様が執着?・・・和多志に❗

前回とろい和多志がやっとアップさせて頂いたこの記事👇

この記事に破壊天使様が下さったコメントです。

コピーが苦手でスクショしちゃいました😅

このコメントの中の「『その予定があったからこそ、深層心理がそう言わせていた』という解釈も・・・」で、また思い出しちゃいました😁

和多志の着付けの師匠は不思議な力があります。
昭和12年生まれ、いまだ現役💪
PCも使いこなし、着付けの本も多数出しています。。

今や、その道で「着物の母」と呼ばれています。

和多志はこの👆師匠のほぼ一期生。

着付けの本も沢山出しています☝️

出会い は(o^^o)
和多志は辛うじて自分で着物は着られるけど、人に着せる着付けを習いたいと思いたちました👘
しかし、大手の着付け教室は和多志の目指す道ではありません(道具は使いたくない)。どこかに意にかなったお教室はないかと、頭の隅でいつも探していました。

何事も一所懸命だと神様はお力添えして下さいます⛩️


ありました。ありました(*⌒▽⌒*)
「月刊 日本舞踊」の最後のページに
東京衣装着物着付け教室開催
受講者募集
のお知らせが(≧∇≦*)💓

「やっ、絶対これだ」と思い立ち、千葉の田舎から代々木八幡まで通いました。
東京衣裳株式会社は貸衣装や時代物の映画やドラマで衣裳付けするので若い男性も習いに来てましたよ。

しかし、数ヶ月も通わないうちに、そのお教室の部屋はトラさんのおばちゃん役で有名だった三崎千恵子さんが着付け教室に使うことになり、先生のお教室は町屋に移ることになりました。

その時、東京衣裳に残るか先生についていくか選べました。
和多志はねぇ、何だかわからない先生の不思議な魅力というか人柄の味わいというか、その何だかわからないものが知りたくて町屋に決めました。

よって町屋のお教室は先生が東京衣裳から離れて、独立した初めてのお教室なのです。

従って和多志は一期生☺️

YouTubeの画像をお借りしました。


少し経ってからお教室は町屋から池袋に変わりました。
その池袋時代の稽古仲間に先生は和多志のことをおっしゃったのです。
すみません。随分前置きが長くなりました😅

なんて言ったかってー?
お稽古仲間に聞いたとき、「えぇ~、なんで~」って思いましたよ😳

「お茶々は結婚できないわよ。コタ家がお茶々に執着してるの」👀❗

えぇ~ェェェ、しゅうちゃくぅ~~~❗❗❗


その時は何でだか、何なのか全くわかりませんでした。
※「お茶々」は着付け教室での和多志のニックネーム       です  😸
    あの頃は頻繁に夜笹島先生と電話で長電話してい        ました。「お茶々がねー、お茶々がねー」って、        猫の話をするうちに和多志を先生はお茶々とよぶ        ようになりました(⌒‐⌒):->


でもネェ、後でつらつら考えてみると全くその通りなのです。


まず、結婚はできました☺️        2度も   😁

だけど一回目は僅か2年で逃げ帰り、2回目は5年籍が入っていたものの同居生活は1年(単身赴任してました)でした。

で、所謂  × 2 となりました(~▽~@)♪♪♪

更に考えると我が家では御仏壇に手を合わせる人間は和多志しかいませんでした。我が家には御仏壇がありませんでした。和多志は幼少期近所の家に朝から夕方まで預けられていて、その家の御仏壇で仏様に手を合わせることを覚えました。

そして年の割にお葬式に出ることがとても多かったのです(これは関係ないかもしれません)。


そんなこんなで先生のおっしゃることを納得しちゃったのです。


「なぁ~るほど、頼りにされてるんだな~逃げられないんだな~」


コタ家のご先祖様へ(お父さんお母さん)
ごめんなさい。
コタ家は和多志で最後です。和多志には子どもがいませんし、ご存知だと思いますが貴方方の次男(長男他界)はお墓を建てることさえ反対しました。そんな兄の息子に墓守りを頼める筈もありません。和多志がいよいよとなったら墓仕舞いして樹木の下に参りましょう。綺麗な桜の下がいいですね。あっちに行ったら三人一緒です。
あっ、萬里ちゃん(姉)も来ます。四人一緒です。
待っててくださいね。
                                                         小太郎



和多志が近所の家に預けられ、仏様の存在を知り手を合わせる姿をご先祖様はご覧になって、和多志に白羽の矢をたてたのでしょうか?

生まれてどのくらいから預けられたのか氣憶にありません。でも、生まれる前から和多志の墓守りは決まっていた?



終わり近くなりました。もう一時、和多志の自慢話にお付き合いください。

笹島先生主宰のイベントで各曜日の弟子達が集まっていました。そのうちの一人が悠然と和多志の傍にきて、なんと❗❗


「先生がお茶々お茶々というから、どぉ~んなに綺麗な人かとおもったわ~」

本人に言う言葉かーーーー一瞬ビックリ👀

(えぇ、えぇ和多志はブスです。ブスですみません)と心の中で言いながらニコニコしていました。
本当は怒るところですよね。

でも、でも・・・・・・嬉しかった💓

「へぇー、先生は和多志の知らない所でお茶々お茶々と言ってくれてるんだー、あの人焼きもち焼いてるんだー」って💖

破壊天使様のコメントで先生の言葉を思い出した和多志は、このノート内で先生を話題にして下さっているんだな方がいらっしゃるか検索してみました。


いらっしゃいましたよ😄なんて素敵なんでしょ✨✨

市川裕子様が👆笹島先生の新刊本をご紹介して下さっています。
先生は昔から軽い、でも風情のある絵が上手で、その絵を帯に染めて楽しんでいました。
和多志はまだ未読なので購入します。
とっても楽しみです❤️


何方かがおっしゃっていました。
人には持つて生まれた運と自分で切り開く運があると。
先生がみられた和多志の「コタ家の執着」は持って生まれた運なのかもしれません。



こんな拙い文章を途中で投げないで、最後までお読み下さってありがとうございます。
今回も感謝の思いでいっぱいです。



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