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人間やめたい

世の中ジェンダーレスとか、性認識とか色々いわれているけれど
そもそも「人間であること」がつらい場合は何のカテゴリーに入るのだろう。

子供の頃から、人間であることが辛かった。
小学生の頃に認識したのを覚えている。
自分は人間ではないのではないかと、得体の知れない悪いものなのではないかと心の中でずっと思っていた。それは大人になっても変わらず、自分だけでなくその他の「人間」に対しても嫌悪感しかなかった。

小学生の頃から、動物や生き物たちには愛情を感じるけれど、人間という生き物には嫌悪感だったのも、子供のころから大人にもまれて生きてきたから、大人の汚い部分を見て育ったからかと思っていたけれど、
おそらく人間であることが生まれた時からいやだったのではないかと思う。

機械にたいしてわくわくして恋心のようなものを抱いていたのも、
人間にたいして愛情が沸かないのも。性行為も交際していたら当たり前なのだと思っていたので「仕方なく」行っていたし、行うのなら相手によくなってもらおうと勉強するのは向上心のある性格ゆえであり、愛情ではなかったし。

大人になり、子宮全摘をして、すごく気が楽になった。
女性として見られなくなるという妙な安心感は、男性にみられたいわけでもなく、今の自分の「人間」である部分がなくなることの解放感に近いものがあると思う。できれば、胃を半分くらいなくなりたいし、肺も片方くらいなくなってもいいと思ったりもしていた。苦しく生きたくはないので、生きる上で問題ない「人間であるもの」がなくなるのは私には嬉しいことなんだ。

20代の頃、身長167cmで体重が37kgになった数年がある。
光合成で生きてみたいという希望から、今口にしている食べ物はいったい何でできているのだろう?という疑問に発展し、素材やらなんやらを調べまくって、毎日口にするもののg数やらを書き出して徹底しているうちに、食べ物というものが必要なのか?といきついてしまった。
口に物をいれるために、手をうごかす。そのための筋肉がうごき、神経もうごく。口に入れたら、口を動かし歯をうごかし、食道を動かし、胃を動かす・・・。

めっちゃめんどくさい作業!!と思ってしまった。

それから、毎日水と、明治のアーモンドチョコレート1箱で2年間過ごしていた。血液検査も問題がなかったが体重だけはへっていた。
拒食症に近いのだとおもうが、痩せたいというよりも面倒だったので自分は拒食症ではないと思っていた。店の前にたっていたら、子供にマネキンと間違えられて、人間じゃなくなれるかもしれないというバカな期待が一瞬よぎった。

完璧主義者の母親に育てられたからが理由ではないと思う。
左右対称なものに魅力を感じるし、完璧なものがとても美しいとぞくぞくする。それは人間には無理で、機械とかロボットとかにぞくぞくとする。
マネキンも、私には褒め言葉だった。

人間の中にたぶんみんな色んなものがはいっているのではないか?

そんなことを最近考える。
例えば、私はきっと中身はゴブリンなんだと思う。
ゴブリンが中身の人間は、秀でた才能はないし、美人でもないし、仕事もできないし、なーーんも取り柄のない人間。
きっとゴブリンの時になにかいたずらをして、人間の殻の中に閉じ込められて修行をさせられているのだと思う。それが完了できないと、多分、生まれ変わっても解放されない気がする。

他にも、SNSでも、最近趣味ですごいもの作る人が増えたと思う。
りかちゃんのカスタムとか、ハンドメイドとか手芸とか、素人じゃできないくらいの素晴らしいものなのに、素人なの。あの人たちは自分では気がついていないけど、なかみは魔法使いなのだと思う。
人間という殻の中にはいって、魔法をつかって楽しんでるのだとおもう。
そして人間たちに感動を与えているの。作家さんもそうだと思う。
いろんな魔法使いがいるから。

そして、ただの人間。これが一番多いと思うし、きっと一番平和だと思う。
平凡といったら申し訳ないけれど、学校いって、恋愛して、就職して、結婚して、家建てて、子供産んで。

それから、悪魔に心を売った人。
これは悪いことをする人。人を傷つけたり。

人間やめたい私が、ばかみたいに買い物をするのも、それがあるから生きようと思えるためのような理由づけ。死にたいわけでもないから、でも生きるのが面倒だし人間としていきたくないけど、それでも明日はくるから
少しでも希望を持てるためのものだとおもう。

たとえば、万年筆のインクがきれい。
それだけで、生きる意味に一瞬なる。
一瞬いきるためだけに、その理由を四六時中探しているんだと思う。

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