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34にして人生を振り返る

この歳になり、ふと自分の人生を振り返ったみて思うのは、あの時きちんと勉強を頑張っておけばよかったということ。これをnoteに記していって、自分のコンプレックスを乗り越えたいなァ…と思う。

うちは姉(9歳上)と兄(6歳上)の年が離れた兄弟がいて、物心ついたころには姉・兄の進路の話が飛び交っていたのを覚えている。

姉は市内の公立進学校→県内の公立大学へ、兄は隣の市のそこそこ進学高校へ進学後ひと悶着あり中退、大検獲得後東京の専門学校へ進学していた。

姉が受験勉強をしている姿が目に焼き付いてて、「勉強ってつらそう」という記憶が残っており、「自分はなんとか勉強しないで生きていこう!!学力より生活力!!」と小学生ながらに心に決めていた。

親も専門職なもんで、大学進学の経験がなく、予備校や受験にお金がかかることにいたく驚き、嘆いており、勉強はできない方が親孝行なんだなとも思ったりしていた。父親は大学なんて言ってもしょうがないとまで言っていた。

自分の成績は学年で240人くらい中の下から数えたほうが早いくらいだった。でもそんなことはさほど気に留めておらず、とくに勉強への意欲もなかった。(あまりにも数学ができなくて理数系の塾へはすこし通った。)市立の人気の高校へ進学したが、自分の実力よりチョイしたくらいの高校で、学級委員やなんとか委員長などを率先してするタイプでほぼ内申書で高校へ入ったようなものだった。

いざ高校へ進学すると、授業中起きているだけで5がもらえるようなレベルで、勉強せずに受けた中間試験では、クラスで3位という今までにない好成績をたたき出した。今思えばかなりやばいけれど、当時は「人生楽勝!」と浮かれいた。そんなこんなで勉強せずとも3年間の評定平均は常に4.2以上だった。

前述の通り、勉強はしたくないから大学受験は無理だ、センター試験とかいうシステムもよくわからんし…。という潜在意識があり、進学先はおのずと専門学校か短大に絞られた。当時姉がIT系の仕事をしており、自分自身もPCを使うのが好きだったので、IT系の専門学校に進むか、テレビドラマの影響をうけて保育士になるか…と迷っていた。PC相手だと何か失いそうだなと思った&遠足とか運動会楽しそう!という超楽観的な考えで保育の道を選んだ。まわりの友達も地元の保育科へ進む子が多く、なんとなく心強かった。学校も進学校ではないながらも、大学は無理でもせめて短大・専門学校へは進学して欲しいとの意図があるのか、「これからは資格の時代だ!」と強調しており、介護士や保育士を目指す人が多かった。

私はどうしても地元から出たかった。同じ関東圏の東京、神奈川だけでなく、京都の短大も検討していた。京都だとなかなか帰ってこられないよと親に言われて、なるほど、と思い、東京・神奈川にで選ぶことに。

せっかく資格をとっても就職できなければ意味がないよなぁと思い、就職率100%の短大へ進学。個人面接・集団面接・簡単な国語の試験で合格した。なんせ、合格率もほぼ100%だった。先に東京へ出ていた姉が一緒に暮らそうと言ってくれたので、ご飯が食べられない…というほどの極貧生活にならず、暮らすことができた。こうして神奈川での新生活が始まった。


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