見出し画像

鬱になった理由①

まず、思い浮かぶのが上司だ。
主任の先生1名以下、各学年に3人ずつ先生がいる。
図解にするとこういった感じ。
◆主任
└・学年主任(クラス担任)
 ├・クラス担任
 └・クラス担任

この主任がクセモノだった。
3年目から主任をしているらしく、若くして職員のトップになっていたらしい。(のちに気付くが、若者が管理職をしている職場は危険。)
1年目のころは事あるごとにこの主任に怒られまくった。
その園であたりまえのことに気付かずのんきにすごしているだけで怒られたり、学年主任を通して遠隔で怒られたりもした。普通に教えてくれればいいのに。

3年目くらいになると、職場でのいじられキャラという、自分のキャラが確立されて居場所ができた。主任との付き合い方もわかってきた。
だが、徐々に、「私はこの主任を喜ばせるために、怒られないために働いているのだろうか・・」と思うようになってきた。
目の前の子どもたちのため、ではなく「こうやっておけば怒られない」ということばかり考えるようになった。

そうするとやはり、クラス運営が難しくなった。
9:00~14:00にいる子どもたちの保育というより、子どもたちが来る前、帰った後の職員室での動き方を重視するようになっていた。
職員室で主任にふられるテレビの話題にちゃんと返答すべく、家ではテレビをきちんとみていた。たぶん他の先生たちは保育のことを考えていたんだと思う。ただ、1年目から怒られまくって嫌な思いをしてきたので、”怒られないこと”が最重要事項だった。

5年目になると、クラスへの愛着も薄れていた。保育ということ自体、苦痛になっていた。自分の保育スキルが上がらず、上げる気もなく、早く1日が過ぎないかなと思っていた。

5年目の時に同期が先に学年主任になった。1年目の時に、私は担任でスタート、同期は副担任スタートだったが、追い抜かれたかたちになった。
もともと同期とは話が合わず、先輩と話していたりでかけたりすることが多かったので、さらに苛立った。仲良い先輩が1人辞めてしまって、それも悲しかった。

そもそも、私だけ1人暮らしで他の先生はみんな実家暮らしだった。
月給20万にも行かない給料で、高い家賃を払って、熱が出た日は1人で耐えて、疲れて帰っても家事をすべてやって、お弁当も作って…
という生活をしたことがない人たちばかりで「心の余裕」が違っていた。
「ね~Tシャツ干すときって、ハンガー下からいれるんだって~」といっている先輩を見て、すごくばかばかしくなり、何とも言えない哀しさを感じた。

鬱になった理由は幼稚園だけではなく、当時同棲していた人との関係がうまくいっていないこともかなり影響があった。

仕事を終えて携帯をみると、私へのクレームのメールが毎日長文で届いていた。そのほとんどが「あの時こうだった!いやだった!」というメールだった。過去のことをメールで言われても解決できないのでその都度言って欲しいということ、メールはやめてほしい、直接話そうと伝えていたが、メールではなく家に手紙を置かれるという、デジタルからアナログに変わっただけで、結局なにも変わらず改善されなかった。
メール→家で話し合い→ケンカ→メール(昨日言っていたあれが許せない!!等)→ケンカの悪循環だった。

毎日保育中も「またあのメールが来ていたらどうしよう」ということで頭がいっぱいになり、小規模なパニックを毎日繰り返していた。

上司の機嫌をとる毎日、保育のスキルが上がらない毎日、同期が先に昇格してますますやる気がない、安月給でワーキングプア、彼氏とケンカの毎日。
何重にも苦悩が重なり、つらかった。
何より、それにうまく対応できない自分が嫌になったのだ。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?