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ようちえんのせんせい②



9:30くらいに朝の会が始まる。

季節の童謡や定番の童謡を数曲うたって、朝のご挨拶をして、今日はこんなことやります~、風邪がはやっているから手洗いうがいしっかりしようね~などをお話して、お当番さんのご紹介。

お当番さんというのはいわば日直で、その日選ばれし者だけがつけることを許されるお当番バッチをつけて、朝の会でみんなの前でお友達からの質問に答えたり、給食を配ってくれたり、朝に集めたお便り帳を配ってくれたり、この日一日先生のお手伝い(雑用)をしてくれる。子どもたちはこのお当番さんが回ってくるのをとても楽しみにしている。 学校や職場での雑用や、朝礼でのスピーチが嫌になるのはいつからなんだろう、どうして「お当番が楽しみ♪」という気持ちのまま大人になれないのか。

朝の会の後、午前中は製作(おりがみやはさみを使った図工のようなもの)をしたり、運動会や発表会に向けてお遊戯の練習をしたり。年少は受け持ったことはないが、年中の4月頃の製作はてんやわんやだし、年長のお遊戯はもはやハロプロ研修生なのかというくらいハードだ。

午前の製作だが年少からあがってきた3年保育の子たちは年少クラスでハサミやノリの使い方に慣れている子も多いが、幼稚園で初めてハサミを使う子もいるので注意が必要になる。「ノリは1の指で少しずつぬるんだよ~」「はーい」という掛け合いがあっても、ノリ祭りになるし、初めてハサミ使う子は目を離したすきに自分の前髪を切っていた。「あ~~~!」と心の中で大絶叫だったけど本人はニコニコしていて「楽しかった?」と聞いたら「うん^^」といっていたのでかわいいって思ったし、落ち込んでなくて良かったと安心した。

午前の活動のあとは給食、食べ終わった子から玩具で遊んだりお絵描きしたり、なんとなくみんな食べ終わったら外遊び、帰り仕度、帰りの会となる。 さらっと書いたが、給食はかなり大変だった。そして外遊びがもう一回あるのもポイントだ。もう14:00にはぐったりしていた。

運動会や発表会など大きい行事があれば午前の活動は行事の練習をしていく。

年長運動会はかなり激しい。 

10月にある運動会では業者のCDを買ってそこから曲を選び、学年の先生たちで振りつけを考える。自分たちで考えながらこれを練習するのきついなとおもったりするが、年少→年中→年長で成長してきて「さすが年長さん!」と伝えられるようにどうしても難易度高めの振り付けになる。さらには保護者たちがどこにいても見えるように、何度かフォーメーションを変え、移動すする。手足につける装飾品を本番用と練習用の用意をする。

夏休み前に各クラスで振付をいれて、夏休み明けの残暑厳しい季節から園庭での練習が始まる。石灰で園庭に目安となる円や線を描くのだが、やたらと正円を描くのがうまくなる。そして石灰と日光と汗で髪の毛がぱさぱさになる。まだまだ暑い中、水分をとりながらフルで踊るのでこの時期はかなり痩せた。夏休みにぐーたらすごしてちょっと太ったなぁとおもっても「運動会練習はじまるから痩せるか」と思ってそんなに気にしなくても大丈夫なくらい痩せる。

年長は遊戯(フォーメンションありのおどり)だけでなく、全員リレー、組み立て体操、鼓笛などもありやること盛りだくさんなのである。組み立て体操ではいまややっているところは少ないであろう全員ピラミッドをやったりなかなか見ごたえがあるものだった。

12月には発表会があり、音楽劇のグループとダンスのグループに分けて発表する。配役や衣装、小道具の準備、曲の編集など担任がプロデューサーだ。

音楽劇グループの各役は2名以上で組む。ストーリー上主役でも脇役の方が登場時間が長いなど色々配慮された題材を業者さんが毎年用意してくれているのでそれを使用する。ダンスはその年にはやっている音楽を使うことが多かった。衣装はデザインは担任が行い、製作は保護者の方がしてくれていた。衣装を考えるのが1年の中で一番楽しくて保護者の方から「モモタウ先生の衣装は今まで一番難しいけど、一番かわいかったよ!」といってもらえて、ご満悦だった。かなり自分好みのアイドル衣装を作ってもらっていた。衣装だけでなく髪型から靴下まですべて指定する。自由に、とするとかなり差が出てしまうからだ。

2月には作品展があり、牛乳パックで大きい製作物をつくったり紙粘土、1年間で描いた絵を飾って年間の成長を展示する。作品展までおわるともう進級・卒園がみえてきてさびしくなる。

3月は別れの準備をしながら、要録というものを書く。 子供たちが1年間でどんな成長をしてきたかをレポート用紙1枚くらいの量を正式な書類に手書きで記入する。一度レポート用紙に手書きで描いて園長先生に提出しチェックを受け、その後めちゃくちゃ小さい記述欄に清書する。間違えたら訂正印を使うのでできれば間違えたくない・・手がペンを持つのを嫌がるくらいに手が痙攣する。 

要録を書くために、というわけではないが1人1人の成長を1年間メモしている。何もできなかった子が、頼りなかった子が要録を清書するころには何でもできるようになっている。うれしいような、少しさびしいような。1年間一緒にすごした時間の重みを感じる。

1年目のときに受け持ったのが年長だったので卒園式は大号泣した。終わった後に主任の先生に注意された。こいつは人間じゃねぇなと思った。 当時一緒に住んでいた姉にその話をしたら「どうせみんな幼稚園のことなんか忘れちゃうよ!」と超前向きかつ無神経なフォローをされた。

たぶんそのときに卒園した子はもう18歳~19歳くらいだと思う。職場で再会する可能性も出てきた。

その後3年目、5年目の時も年長を受け持った。3年目のクラスは年中から持ちあがりでクラス替えはあったものの2年間見た。かわいすぎて悶絶した。卒園式では前回の反省を踏まえ号泣までいかなかったが、やはり大泣きした。5年目にのクラスは最後まで受け持つことができず卒園式で見送れなかった。ストレスが重なって自律神経失調症、うつ病になってしまい、学年の途中で解雇された。これはこの園ではかなりレアだった。

この時見送れなかったことが心残りで10年経つ今でも子どもたちが夢に出てくる。

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