母の味を再現する
最近私は、味噌汁を作ることに失敗した。
味噌汁なんてお湯を沸かして出汁を入れて(もちろん出来合い)具材を入れて味噌を溶かす、超シンプルな料理だ。下ごしらえも特殊な技法も変わった調味料も使わない。基本中の基本である。
失敗の原因はわかっていた。
ひとつめが、食材の目利きができていなかったこと。よく見ないで大きすぎる小松菜を買ってしまったが、えぐみが強くて食べづらかったのだ。
ふたつめが、火の通りが中途半端だったこと。ちゃんと煮えたのを確認しないで、なんとなく沸騰したからいいかと思って火を止めてしまった。
自炊歴もかれこれ20年になるが、こんな感じで、気を抜くと料理が美味しくならないことがまだある。
実家にいた頃は母が料理を作っていてくれていたが、当時は食べられない料理が出てくることはなかった。ただ、母も特別に料理が得意なわけでもなく、手の込んだ料理が出てくるわけでもなく、可もなく不可もない、代り映えのしないメニューが続くことに、私は飽きていたりもした。
しかしそれでもちゃんとした料理が毎日出てくるのは、なんとありがたいことだったのだろうか。
自分自身も仕事をしながら、家事も一定のクオリティを保つために日々尽くしてくれた母の努力に今更気づき、これまで大した感謝も伝えられなかったことに反省している。
そんな当時の母の大変さを少しでも理解しようと思い、今日は実家の味を再現したいと思う。
私にとって実家の味と言えば唐揚げなのだが、正直一人暮らしで揚げ物をするのは億劫なうえに、料理苦手勢にとってはハードルが高いので、今回は二番目に好きだった肉じゃがを作りたいと思う。
材料は冷蔵庫に残ってい新じゃがいも2個と、牛肉150グラム。そう、我が家の肉じゃがは、肉とじゃがいもしか入っていない、ワイルドスタイルなのだ。
肉じゃがの作り方は、20年前上京したばかりのときに一度母に聞いたのだが、たぶんメールで聞いたっきり、どこにもメモが残っておらず…。
当然当時の携帯も処分してしまったので、私のかすかな記憶と、母が愛読していたオレンジページの下記のレシピを参考にする。
まずはじゃがいもを洗って切って、適当な大きさに切る。最近じゃがいものバター醤油炒めにハマっていて、先にレンジでチンしたらそんなに煮込まなくていいのではと考え、耐熱容器に入れて6~7分チンした。(早速レシピ外の対応をしている…)
次に牛肉を炒める。
ここでかすかな記憶がよぎる。
20年前のメールには、牛肉を炒めて味付けをして、いったん肉を取り出してじゃがいもを煮込んで、あとで肉を入れる、という工程があったような記憶があるのだ。味付けをした牛肉が醤油でめちゃくちゃ黒くなって驚いたので、印象に残っている。
じゃがいもだけで煮込むというのは、おそらく当時はじゃがいもをチンするという発想がなかったからではないかと予想。
なので、ここではレシピとは違った工程になるが、先に牛肉を醤油・砂糖・みりんで味付けすることにした(それぞれ大さじ1)。
そしてじゃがいもを投入。
じゃがいも多かったかな…?
軽く炒めて水を入れる。
記憶ではひたひたになるまで水を入れると言われた気がしたが…水、多くない??肉じゃがってこんなんだったかしら??
でも煮込めば多少かさが減るかもしれないからとりあえずこのままいく。(味付けしちゃったし)
あとは味を見ながら醤油、砂糖、みりんをそれぞれ大さじ1ずつ追加した。
一応それなりに肉じゃがっぽいものができた。
味は…うーん。なんか物足りない。半分食べてしっくりこなかったので、残りの半分にはさらに醤油と砂糖とみりんを大さじ1ずつ足してみた。それでちょうどよくなった。
たぶん一般的な肉じゃがより味が濃いが、これが我が家の肉じゃがに一番近いレシピだろう。
ちなみに味的には、肉じゃがというより濃いめのすき焼きと言ったほうがいいかもしれない。じゃがいも入りすき焼き。
こうして当時の味を再現してみて、実家の味付けの独特の濃さや特徴を思い出したとともに、自分の味の好みは母の料理に形作られてきたんだなということを感じた。
東京は美味しいご飯もたくさんあり、奥深い出汁や素材の美味さや凝った技法など、いろんな味を楽しめる。
ただ、それらの味を好きかどうか判断するのは、自分が育ってきた味が基準になるなということ。
美味しい料理はたくさんあるが、好きな料理と完全一致するわけではない。
しっくりくるのは、自分が育ってきた”好きな味”だったりするのだ。
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