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モモコのゴールデン街日誌 「豆」2023年5月4日

先週のソワレに、ひとり客の中年男が入ってきた。それだけでは珍しくないのだが、日本語に少し訛りがあるので聞いてみると台湾人だそうだ。日本統治時代の台湾で教育を受けたおばあちゃんに教えてもらったのだという。

世界的に有名な車のエンジニアをしているらしく、20年以上もイギリスに住み、国籍もすでに英国のものだという。素朴な短髪に、屈託ない笑顔でフレンドリーだったが、欧米国に長く住むアジア人特有の、淋しさが混じった鋭い目をしている。

「僕ね『深夜の食堂』が大好きなんです」

「『深夜食堂』のこと?あのドラマの?」

「深夜食堂」という日本のドラマは、私のこのゴールデン街日誌に興味を持って読んでくれているなら知っている人の方が多いはずだから説明は省くが、まさにゴールデン街世界観を詰め込んだような内容で、物語の舞台となる店「めしや」も、この界隈にあるという設定だ。

聞くとNetflixで見てファンになったらしく、日本に旅行の際には必ずゴールデン街に立ち寄ってみたいと思っていたそうだ。

「『マスター、卵焼き作って』これ!言いたかった!」

など、セリフまで覚えている。原作の漫画も翻訳されたものを読んだのだという。

夜中1時すぎくらいだったので、他の酔客がバラバラと帰りはじめた。店がいったん落ち着く時間だ。

二階に上がってもらって飲んでいた若者4人が、下の賑わいが静かになったのを感じたのか、降りて来た。

この夜もそうだが、あまりにも客が多い時は、勝手を知った知り合いや常連には二階に上がってもらうことにしている。この4人はオーナーのソワレくんの知り合いで、役者や声優をしている若者たちだ。

店の中はなんとなく内輪だけの雰囲気になり、みな日本語で話していたが、台湾英国人の彼も、出来るだけの日本語を駆使して話しに加わる。

子どもの頃に憧れたという仮面ライダーの話しで役者たちと盛り上がりはじめた。4人は年代的にもっと若かったが、そこはさすが役者で、仮面ライダーの歌に振りまで付けて見せてあげたりと大サービスだ。しばらくすると、若い役者たちはまだまだ遊び足りない様子で、カラオケに行くといって出ていった。

入れ替わりに日本語が流暢なフランス人が入って来た。日本には10年くらい住んでいるという。フランス風の黒づくめの服に黒い帽子のおしゃれな男で、職業はデザイナーらしかった。

今度はフランス人と台湾英国人の中年男ふたりで何やら歴史の話しで盛り上がりはじめた。議論に持ち込んでは白熱の言い争いをし、最後にはハイタッチして爆笑、というフランス人もイギリス人も大好きな酔っ払いの遊びをしている。どちらも日本語が出来るため、興奮するとたまに下手な日本語が交るのが可笑しかった。

おっさん同士の会話が余りにも熱いので、私はあいづちを打つ程度に見ていたのだが、台湾英国人の話のなかに「My Exwife is (僕の元妻が)」というワードがやたら多く挟まれていることに気がつく。

「モモコさん、My Doughter(僕の娘)は日本語でMUSUMEでしょ?Som (息子) は日本語でなんていうの?」

と聞いてくることから、前妻との間には娘がいるのだろうということもなんとなく分かった。

「次は台湾に来なよ、一緒に飲もう」とFacebookのアカウントを交換し、すっかり仲良くなったところで、フランス人デザイナーの方がまた来るよ、と帰っていった。

午前3時の店には、台湾英国人と私のふたりだけになった。Jamesonをロックで3つ以上飲んでいるから飲み足りないわけでもなさそうだが、まだ帰りたくなさそうな様子だ。私は深夜食堂の「めしや」のマスターになってしまったわけだ。

ふと先ほどの会話を思い出し「それで、その前妻とはどうして別れたんですか?」と聞いてみた。

「前妻がね、上司と不倫して妊娠したんだよ。僕とふたりの子どもとして育てよう、なんてとんでもないこと言われたんだけど、当然別れたよ」

前妻はイギリス人らしいが、故郷の台湾にいる彼の母親ともまだ仲が良く、あまりにも親しくなったため、今では中国語も出来るようになったらしい。

「だから母親にはまだ離婚の話はしてないんだ。別れてから3年経つけど、今年の母の日には話さなきゃと思ってるんだけど気が重いね」

男はまだまだ話したそうだったが、とりあえずビールと曲をリクエストする。

「宇多田ヒカルの『First Love』かけてください」

深夜に男性客から宇多田ヒカルの曲をリクエストされることは前にも何度かあった。宇多田ヒカルの歌には傷ついた中年男を救う何かがあり、それは世界共通らしい。

私はこれまで店でリクエストされた曲を溜めた「モモコのゴールデン街リクエスト」というプレイリストを親指でタップした。

曲を聞きながら話をさらに聞くと、その前妻とは別れたものの、時々会っているという。

「もう嫌いなんだけど、身体だけのドライな関係だから」

と言いつつ、こんなところで深夜に宇多田ヒカルを聞いているのだから未練たっぷりなのだろう。さらに聞いてみると、前妻の娘とはクリスマスに会い「”〇〇(彼の名前)おじさん”と呼ばれている」というではないか。

「めしや」のマスターなら、ここで何をいうかは分からないが、私なりに言葉を伝えてみた。きっと、エンジニアさんだから、あまり感情的な話しは効かないだろう。出来るだけさっぱりとロジカルに一括をしてみたつもりだ。

男は私の話しに納得したようで「なるほど、モモコさんのポイントが分かった」といい、やっと満足して帰っていった。

店を閉めてから、いつもの朝ごはんを食べにG2通りのヒロシくんの店に行った。この男の話をしてみると、ヒロシkくんは愉快そうにニヤニヤしていう。

「その男、たぶんいつの間にか前妻の思い通りに娘の父親みたいになっちゃいますね。そのうち可愛く思えてきちゃうんですよ。台湾のお母さんもいい感じで巻き込んでね。前妻のほうが一枚も二枚も上手っすね」

さて、その後の男の人生がどうなるかは分からないが、多少とんでもない展開になったとしても「『めしや』のマスター」が、何十人何百人といるこの街に、またいつでも帰って来ればいいではないか、と思う。

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豆の花ゆれ豆の皮かたくなる 夜桃


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#創作大賞2023 #エッセイ部門



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