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文章術の本を読んだら人生観が変わって、「めっちゃ」をやめようと思った話

めっちゃ禁止!

1日に何回「めっちゃ」を言いますか?

「めっちゃ」や「やばい」を使うな、と初めて言われたのは5年前です。

広告代理店に入社し、研修も経て、配属翌日、
グループ長がランチに連れて行ってくれた時のことです。

わたし  :めっちゃ美味しいです!

グループ長:あ!また言った!

何かを言おうとすると「めっちゃ」が付きまとう。

癖になりすぎて、無意識のうちに口を突く。

当時、若手は、1年目のわたしと、3年目の先輩です。

お兄ちゃんみたいな存在で、どんな時も助けてくれました。

そして、一緒に怒られました。

姿勢が悪い!

デスクに沈んだわたしたちは、小学生のように叱られ、
2倍以上離れる上司たちから言葉を直されました。

「めっちゃ」も「やばい」も
褒められた言葉遣いでないことは理解できます。

しかし、語彙力がなさすぎて、
引き出しがないのです。

あの時は、「できれば避けた方が良いな。」
程度の軽い気持ちでした。

そこから言葉を直してくれる人すらいなくなり、
直すきっかけさえつかめず、もうすぐ27歳です。。

憎き「めっちゃ」。

直す兆しが見えた本『三行で撃つ』

「朝日新聞」名物・名文記者の文章テクを記された本を読み、
なぜ「めっちゃ」を使うべきでないか、深く理解しました。

学びが多いことはもとより、
まるで哲学書のようで、
一生読み続けたいと感じました。

感銘を受けたので、
『三行で撃つ』を軽くご紹介します。

これは実用書ではありません。

一人のカリスマ記者の、生き様を書いた物語です。

泣いた、というレビューさえありました。

書くとは?その本質が深く追求されています。

生半可な気持ちで読むべき本ではありませんが、
「うまく書きたい」「人生に迷っている」方にはお勧めします。

書いてあった内容は後述しますが、
「めっちゃ」を直せるかもしれない、
直感で思いました。

読了後、ある出来事が
頭をよぎりました。

何もしても止まらぬチーピンを克服したのは「理由」だった

わたしは感情的な人間です。

ゆえに、自分のことを論理的だとは全く思いません。

ですが、頭で深く理解しないと行動に移せないタイプだと
自分を知りました。

数ヶ月前、ゴルフでスランプになりました。

チーピンが止まらなくなりました。
急カーブを描きながら左に曲がっていく球のことです。

ラウンド中、チーピンがではじめると
同伴者がなんとも哀れな目で
必死にわたしをフォローするのが何よりも嫌でした。

イップスのようにも感じてきてました。
ミスが怖くなり、振り切れないので余計に曲がります。

仕事の前に練習場に行き、球も打ちまくり
YouTubeで動画を漁っても、改善の気配は見られません。

自力では限界があることを悟りました。

そこで、高校生ぶりにマンツーマンのレッスンに通いました。

なぜ左に曲がるのか?

自分のスイングを見ながら
理屈で説明してもらい、
初めて腹落ちしました。

原因が分かれば改善するのも早く、
いつのまにか治ってしまいました。

ベテランコーチの言葉が印象的です。

生徒の中には理由が分からないとできない人と、
理由を必要としない人がいる

言葉を疑いました。

理由を分からずして、
言われたことをできる人がいるのかと。

理由を頭で理解できなければ、
絶対にスイングを治せませんでした。

この時、わたしは行動する前に、
必ず理由が必要だと気付きました。

話を戻します。

私は「めっちゃ」をできれば禁忌としたい。
そのためには、強い「理由」が必要。
でも理由が見つからない。

ここで時が止まっていましたが、
今日、前進できました。

なぜ、「めっちゃ」を使ったらいけないのか?

①子供っぽい
世間に言葉を預けていること
 言葉を預けるとは、自分の頭を、
 魂を、世間に預けるということ。

流行語を使うべきでない理由をこう述べています。

みなが使っている。
みなが、その言葉によって、同じような感覚、判断、思考、
世界を想起しようと努めているのだから。
判断停止、思考停止をし始めている証左なのだから。

実際に、言葉を操れる人は人生有利だと、
出世すると断言していました。

ビジネスだけでなく、アーティストも、アスリートも、格闘家も
トップ中のトップは間違いなく文章力が高いそうです。

言葉は、自分の考え、感情を表す道具ではない。
むしろ言葉が、自分の思想や感情を生起させる。
〜、世間で流行している言葉を使うことは、
自分のマインドとハートを、世間に売り渡すこと
なのだ。

以上の思想は「書き手であるならば」
という前置きが入ります。

文章の書き方について説かれた本だからです。

しかし、「人間としてこの世に生をもったのならば」
と前置くべき考え方だと思いました。

世界は言葉でできている

尊敬する人に、教えてもらった言葉です。

言葉がなければ、ただの動物です。

企画書も書けなければ、
喜怒哀楽を伝えることも、
何かを表現することも、何もできません。

全ては言葉によってできているのだから、
自分の話す言葉に責任を持て、
そんな意味だといま捉えています。

自分の頭を使って、
自分の心で、考える。

便利が過ぎる「めっちゃ」「まじ」「やばい」
を避けて生活することは、至難です。

意識しても、ふとした瞬間に出るでしょう。

中毒になってやめられないタバコのようです。

でも、「自分を世間に売り渡した」瞬間を認識し、直す。

筋トレのようなことを地道に
やっていかなければならない。

自分という人生を生きるために。

「めっちゃ」のない暮らしをしたい。

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