未知を信じる

いろいろな人が、いろいろなことを言っている

わけわかんない

全部拾い集めようとするから

疲れちゃうよね…

でも「無関心」でいるのを、よくないんじゃないかって思っちゃう

知らないのに、知ろうともしないのに

否定したり、非難したくないんだよね…

私がそれをされたら嫌だから

それをされることを恐れているから

「否定」っていうのに引っかかる
どうしても、こわばってしまう

「これが絶対に正しいのだから、これ以外は認めない」というのを見聞きすると狼狽えてしまう

私が否定されたわけでもないのに、私が傷ついてしまう…

「否定される」「認められない」「理解してもらえない」

私の課題だね

「私は正しい」って口に出すことに、ものすごく抵抗があるし…

ああ~…正しい/間違ってるの世界、どうやったら抜け出せるんだろう…って何度思ったことか…


心が通じ合わないって悲しい

皆一生懸命、真実に向き合って生きているのに

善良であろう、優しくあろうって生きているはずなのに

どうして形の違いで揉めるんだろう

どうして奥にあるものを観ようとしないんだろう…

まあ、人によってそれが得意、苦手っていうのはあるだろうけどね

誰か、何かを救うために、それに反するものは傷つかないといけないなんて…

どうすれば違うままで、全てがいいよってなるんだろう?


「正そう」とする心の働きは、私の中にあって

つい「きちんとしたくなる」んだよね

なんだ、私じゃないか 笑

全てを受け容れようとしながらも、これはちょっと…って顔をしかめてしまうことはある

私も他人の主張する「正しさ」に感化されてきたし、それを自ら採用してきたんだなあ、と気づかされる

狭い籠に囚われていたのは私の方かって


自分自身のものの見方、感じ方を信じるのって勇気がいることだなあって思う

これは私の考え、感情ですって思ってても
実は自分にとって影響をもつ人物や集団の意識にすり合わせたものだったりする

つい答え合わせをしたくなるし
支持者がいると安心するし
自分は間違っていないって確認したくなるんだよね

それは自分自身に対する信頼ではない

わたしはそこを超えていきたいって、今感じてる

絶対にわたしを信じることで、何ができるのか
どんな魔法が起こるのか
見てみたいの

正しい/間違っているというのは、空の星から見たら小さな囲いにすぎなくて、その外側には可能性があふれている

分けられること、分かること、解明できることが全てじゃない


どうしても分からないこと、あまりにも理に適わないことがある度に
人はそれがどういうことなのか分かろう、説明しよう、辻褄を合わせようとしてきた

その恐怖や不安のコントロールの上に、人間私は立たせていただいていて、ありがとうなんだけど

全部は「人間の都合のいいように」思い通りにはならないでしょって感じるようになってきた

え、それでいいのでは?

計り知れない大きなものを、小さな升に詰め込もうとするから
苦しいのでは?
いらいらするのでは?
殺したくなるのでは?

理に適わないことはある
矛盾だってある

そうなんだよねって、わたしはそれをまるっと受け止めようとしている

そしたら、無限への扉が開かれていることに気づいた


もちろん、嫌なことは嫌って言うし
受け容れくないことは受け容れないかも

目の前で起こることに「違う」って感じたら干渉するかも

「好きー!」って気持ちがあるから「嫌い」もある

そういうもんなのだ

だけどわたしは、地球から宙を見上げる存在だけに留まらないんだって気づいた

「それだけだ」「そういうものなのだ」と思われていることは、必ずしもそうであるとは限らないことに気づき始めた

まだ歌われていない歌があり
見つけられていない宝があり
現されていない真実がある

楽しいことはまだある
世界はまだ終わらないよ

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