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自助・共助・公助をどう考えるか。

菅さんが新総理に就任。このところ話題になっているのが、菅さんが目指す社会像として掲げる「自助・共助・公助」という言葉です。
私もこの言葉を菅さんが出馬表明をしたときの会見で出してきたとき、「ふぁっ?」となりました。たまたまぽろっと言っただけかなぁと思ったら、その後も繰り返し強調するのを聞いて、いやな気持ちがどんどん増していきました。

私がいやな気持ちになるのは、これを公助を動かす立場の人が言ってしまうということです。さらに、今のこの行き過ぎた「自己責任」時代において格差がどんどん広がり、困っている人がさらに精神的に追い込められているような状況で、この言葉が国のトップから出されるというところです。
政策以前に、この言葉をうかつに出さないでいただきたかった、特に自助。

ただ、この言葉が「自助や共助が健全に働くために、公助があります」みたいな話だったら別だったんです。菅さん、「まずは自分でやってみる(自助)」と、「自助>共助>公助」みたいな順位をつけちゃったんですよね。これが、「たたき上げ」と言われる菅さんから出た言葉だと、結構押しつけがましいものがあるように感じます。
「俺だって農家の息子から苦労して総理になった。みんなもそれくらいやれ」みたいな感じでしょうか。農家の息子が本当に恵まれた環境ではなかったのかみたいな話になると横道にそれるのでいったん置いておきますが、苦労エピソードがウリになっているような成功者から「自分でなんとかしろ」みたいな言葉が出ちゃうと、助けてほしいと思っている人も何も言えなくなるわけで。。。「自分の頑張りが足りないのかなぁ」と思って誰にも助けてと言えないでいるうちに、死ぬこともあるかもしれませんね。
……というか、今すでにそういう世の中ですから、「豊かな国」になったはずの日本で餓死する人なども出てきているわけですね。

私はこれ以上、困った状況に置かれている人、不利な環境でもがいている人たちが「自分でなんとかしろよ」「おまえができないのは、おまえのせいだから助ける必要はない」「自分でなんとかできない人に税金を使わないで!」なんていう心ない言葉を投げかけられて、不必要に自己肯定感を失ったり、その結果生きる気力までそがれたりするような世の中はごめんです。
なので、菅さんにはここから先「自助」という言葉だけでも封印していただきたい。今の文脈で「自助」を語るなら、それは国を間違った方向に向かわせると思うから。

ただ一方で、私も「がんばらなくていいよ」みたいな最近の風潮はイマイチだなぁとも思っています。「がんばらないで、ラクに生きようよ」というメッセージが社会の中で広がっていくと、これまた国は沈没します。がんばっている人が「ダサい人」から「ムリしすぎていて生きるの下手な人」みたいになっていくのも何だかなぁと思います。
がんばるって、結構楽しいことでもあるので、一人一人が「自分でがんばれる」部分を広げていけるように、支え合って成長して行けたらいいのになと思います。

菅さんの考える「自助」は押しつけがましくていやですけど、無料塾をやっていることで、最近は「自助」という言葉をもっと深く考えなければいけないかなと思っています。

私の考えは、子どもが自助できる力を身につけるために、共助で支えていくのが無料塾です。この共助を公助が支えてくれてもオッケーですが(お金とか場所とか)、とりあえず自助できる力を子どもたちに身につけてもらうことが重要だと思っています。(あと、生活や進学のために公助が必要なのにそこにたどり着けていない家庭には、公助につなぐというサブ的な役割もありますが)
私の無料塾は中学生が対象なので、毎年高校受験に挑むことになるのですが、ここが自助できる力を身につけてもらう最大のチャンスとなります。
自分の人生を自分で考え、何か目的を見つけて、今目の前にあるハードルを乗り越える。がんばるための気持ちのあり方を自ら工夫し、ハードルを乗り越えるためのトレーニングをするのが、受験生の1年間です。
ここで「ハードルが見えたら……避ける!」ということを覚えてしまうと、まったく同じところでずっと足踏みをし続けることになります。なんとなく流れに任せて行けるところには行くんでしょうけれど、選択肢はどんどん狭くなっていきます。

自助って、やっぱり大事ではあるんです。
困ったときには共助や公助がもちろん大切なんですが、なんでもない1日1日の中では、自助の力が強いか弱いかで、その人の未来が変わっていくということがあります。「がんばる」ということを知らない子どもは、やっぱり進学の際にも、社会に出るにも、本当に選択肢が狭くなっていると感じます。
だからといって、それを責めるのではなく、そうならば身近な大人たちが「がんばる」ということそのものを教えなくてはいけません。「がんばれ」と押しつけるのではなく、自らが手本となりながらがんばり方を教えることが重要です。
具体的には書きませんが、「がんばる」ことを知らない子は、「がんばる」習慣がつかない環境にいることが、やっぱり多いです。そういうのを放っておいて、つまり共助をせずにおいて、その子が大人になっていざ困った状況に置かれたときに「それ見たことか」とやるのは、卑怯です。
自助できるような力を、みんながしっかり持てるような社会が一番いいですが、そうでなくしているのは公助の足りなさよりも、共助が圧倒的に足りていないからのようにも感じます。というか、「共助すべきだよね」という意識が全然足りていないのが今です。

菅政権に「自助を押しつけるなよ!」というのは簡単ですが、それだけで終わらせるのではなく、自助が大切であること、自助の力を養うことが私たちがより豊かに生きていくうえでは必要であることも、再確認しておかなくてはいけません。そのうえで、私たち自身や、子どもたちの自助の力をつけるために何をしたらいいのか、真剣に考えていかなくてはいけないな、と思う今日この頃です。
……でも、やっぱりあのへんの立場にいる人たちから「まず自分でやってみる」とか言われるのは、嫌だなぁ。


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