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人の価値を納税額で決めないでください

相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で2016年、入所者19人を殺害した植松聖被告が先日、死刑判決を言い渡されました。
彼の「社会の役に立たない人間には価値がない」という一貫した主張は、私たちに重い課題をつきつけています。すでにさまざまな方がこのことについて記事を書いていますが、私はこの植松被告の言葉が、今の日本社会全体がどこに向かい、何を失っているのかを示唆していると感じます。

たとえば、ここ数年では生活保護受給者への差別や批判がとても激しくなっています。ネット上だけのことではなく、リアルでも「税金でパチンコ行って酒飲んで暮らせるなんていいよね」という人、めっちゃいます。
「俺たちは働いて税金を納めているのに、その税金で納税していないヤツがのうのうと暮らしているのは許せない」
とか言うんですけど、生活保護受給者の実態や生活保護がなぜ必要なのかということを本当に見誤りすぎていて、何も調べずにセンセーショナルな話題だけに飛びついてデマをまき散らす人と同じなので本当にやめたほうがいいですね。
でも、「生活保護は恥ずかしいもの」「税金で生活させてもらってる人間は楽しんではいけない」「税金を払っている人のほうが、人間としての価値が高い」という考え方は、みんなどこかに持っているのではないでしょうか。
実際、生活保護を受けなければマズイ状態になっても、この価値観があるゆえに申請することを拒み、さらなるドン底に落ちていく人々もいるわけですから。

納税額が高い人のほうが、エライ。そういう感覚を、私たちはもうずっと前からじわじわと染みこまされています。
2000年くらいからよく使われるようになったのが、「勝ち組」「負け組」という言葉。当時私は大学生で、就職活動中の先輩たちが「○○に内定もらったアイツは勝ち組」「あそこは負け組の行く会社」とか言ってるのをよく耳にしてきました。当時付き合っていた慶應大学の彼氏は、友人たちと比べて入社する会社の規模が小さかったために、「俺は負け組だ」「慶應まで行ってこの会社とは」などと言って日々やさぐれていました。何ならその負け組意識を引きずり続けた結果、入社後に鬱で会社を休んだりもしていました。申し訳ないけど、私はすごく引きました。「負け組になった」ことではなくて、勝ち組とか負け組とかいう言葉に踊らされて、今目の前のことを一生懸命やったり、その仕事に意義や目標を見いだしたりできていないことに、でした。
今でも、お金儲け関係の本や雑誌の特集では「勝ち組」という言葉は頻繁に使われていますし(そろそろダサイと思うのですが)、お金を持っている男性と結婚してタワマンに住んでるような女性を「勝ち組」と言ったりもしますね(これも実はダサイと思ってますが)。
とにかく、お金持ってる人が「勝ち組」で、そうじゃない人は「負け組」。負け組は笑われる対象ということになってしまっているのが、今です。

つい最近、私は「無料塾をやっている」という話をしたときに、ある男性経営者から「なんで営利にしないの?あるいはNPOにしても稼げると思うけど、なんで任意団体のままなの?頭悪いの?」と言われてしまいました。
「本当にデキる人なら無料塾で稼げると思うんだけど。俺ならそうするし」
マジで引きました……。無料塾で稼ぐ必要性を感じないし、好きでやってるわけだし、ライターとか編集とかの仕事も好きだし生活する分の稼ぎは得られるから、とあれこれ言い訳のように説明をしてしまったのですが、
「それって、無料塾に対して全然覚悟が決まってないってことじゃない?絶対にやり遂げるって覚悟がないから、それで金を稼がないわけだ」
……何を話しても通じないと思ったので、諦めてヘラヘラと話を変えざるを得ませんでした(涙)。
ここまででないにしても、「無料塾でお金を稼げよ」と言われることは、本当にこれまで何度も何度もあります。で、「いや違うんだって」という説明が、なかなか通じないんです。相手にとってみたら、わかりようがないのだと思います。

「お金を稼ぐ人こそ、価値がある人間」という考えが染みついてしまっていると、ボランティアで何かをやっている人に対面したときに、混乱するのだと思います。あるいは、「ボランティアという名目で、本当は裏でお金稼いでるんでしょ」みたいにうがった味方をする。
ちなみに私は社会貢献団体がお金を稼ぐことについては、悪いとは思いません。規模や活動内容や方針によると思うのですが、たとえば会場数や人数がたくさん必要になる活動であれば、その会場費や人件費を稼がなければ活動を継続していくことも拡大していくこともできません。毎日朝から晩までとか、週の半分とか、その活動をするために必要な作業をしなければいけない人には、手当のような形で給与が出てもいいと思います。というか出さなければその活動が維持されませんから、出すべきです。
とはいえ、「ボランティアでやると言い張り、稼ぐことを放棄しているのは愚か」みたいな言いぐさはないと思います。だいたいこういうことを言う人たちは、ベンチャー企業の経営者か、コンサルと名乗る人か、JCに入ってる人のいずれかという特徴があります(笑)。

植松被告の「生産性のない人には生きる価値がない」に戻りましょう。
多くの人は、これを聞いて「そんなわけないだろ」「なんてヒドイことを言うんだ」と思ったはずです。でも、そういうふうに言わせたのは、この社会であり、私たちに染みついている「お金を稼げる人がエライ人」「稼げないヤツは愚か者」みたいな意識です。
彼を非難する前に、私たちは今のままでいいのか、立ち止まって考えてみる必要がありそうですよね。

と書いてきましたが、私もやっぱり、「仕事で大きく稼げる人はめっちゃスゴイ」と思うことは多々あります。「デキる女になりたい」とも思います。お金を稼いで豪遊ウハウハとかにはまったく興味がないんですけど、仕事ができて成果を出せる人に憧れてしまいます。
そこに「人間としての価値」を重ねていないかと言われれば、重ねてます。
こういうことにひとつひとつ気付いていくことから、始めて行かなくてはいけないんだろうなと思っています。



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