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私たちはまだ恋をする準備が出来ていない #92 Yui Side

毎回1話完結の恋愛小説。下のあらすじを読んだら、どの回からでもお楽しみいただけます。
あらすじ:さとみ32歳、琉生25歳は社内恋愛中。琉生の後輩、志田潤はさとみに片思い。志田は琉生に片思いしている由衣と結託して、二人を別れさせようとしたが、飲み会後のはずみでセフレに。一方で志田より前から遊び相手だった斎藤拓真のほうが好きだと気づいてしまった由衣。斎藤からは妻と別居すると言われている。

「井川さん」

廊下で呼び止められたので、振り返ると拓真がいた。

「これ、次回のデザインの仕様書だから、確認しておいて」

A4の紙をぺらっと渡される。その上には“N”と書かれた付箋が貼られている。]この間5秒。拓真はニコっと笑うと、去っていった。

“N”とは、会社の北側にある、いつもの店で合流する、ということだ。

私は付箋を確認して、ゴミ箱に捨てた。

「ゆーいーさーんー」

「げ」

前方にある階段の下から、にゅっと長身の影が見えた。

志田だった。

「見ちゃったんですけど、今」

唇を尖らせて、こちらに向かってくる。

「何よ」

私はさっき渡された紙をファイルに挟んだ。

「今、ゴミ箱に何捨てたんですか」

目ざといな、コイツ。

「付箋よ、付箋。確認したから捨てただけ」

私はデザイン部のほうに歩き出す。営業部は逆方向なのに、志田はついてくる。

「待ち合わせの暗号とかですか?もう」

「なんなのよー。あんたはもう」

私のファイルを覗き込もうとする志田を、手で払った。

「俺は自分が知ってる女の子が不幸になってほしくないんです」

「関係ないでしょ、あんたには」

「ありますよ。あんなに関わっちゃってるんだから」

“あんなに”は体の関係のことを指しているのは明らかだった。

私はイライラして、ぶっきらぼうに答える。

「じゃあもう関わらなくていい。あんたんちにも行かない」

私は歩く速度を速める。志田もそれについてくる。

「って言いながら、酔っ払ったら来るじゃん」

冷やかすように言う志田が、イラつく。

「もう絶対いかない!」

私はベ、と舌を出すと、デザイン部に走り出した。

「後悔したって知りませんからねー!!」

志田は追いかけてこなかったが、廊下で叫んでいる。

恥ずかしいわ、ばか。

私は心の中で毒づいたが、振り返らなかった。


***

定時で会社を上がり、拓真との待ち合わせの店のドアを開ける。

「お、早いな」

てっきりまだ、来ていないと思っていたので、店の奥で手を上げる拓真を見て驚いてしまった。

私は驚いた顔を悟られまいと、わざと表情をなくして拓真のいる席に向かった。

「そっちこそ、早いじゃん。いつも待たせるくせに」

「うん、まあ、打ち合わせが長引くかなと思ったんだけど、そうでもなかった」

そう言って笑う拓真が自分の頬を撫でる。そこは心なしか、赤くなっている。

「え?なにそれ。誰かに叩かれたの」

「うん、いや、まあ」

「奥さん?!」

「・・・じゃないよ、さすがに」

拓真が苦笑する。

「別なコにね。もう会えないっていったら殴られた」

「はっ・・・・・・・」

私はため息とも笑いともつかない、声を上げた。

「あと、そーゆー、私みたいな女、何人いるの」

「ゼロ」

短くそういうと、拓真がメニューを見ずに

「ビールでいい?」

と言った。私はその返事の代わりに

「嘘つき」

と答える。

「関係があるコは今日で全員清算してきたし、もともと由衣のようなコはいない」

そういって今度は私の頬を撫でる。

「最初から由衣は特別だからね」

そういうと、店員さんを呼んで何事もなかったかのように、注文を始めた。

本当にそういうところで、私の気持ちをグラグラさせるのがうまくて嫌になる。いや、嫌なのは拓真じゃなくて、それになびいてしまっている自分だ。

店員さんが去った後、拓真が一枚の紙を渡してきた。

「これ。新しい住所」

「えっ」

本当に奥さんと別居するのか?私ははがき大に書かれた住所をじっと見た。

「隣の棟にももう一部屋借りて、そっちは家族が来てもいいようにするつもりだ」

私はさっき以上に驚いて、拓真を見た。

「ふ、二部屋借りるの?どんだけお金余ってんのよ」

「まあまあ、いいじゃないか」

拓真が笑いながら、店員さんからビールを受け取る。

「はい、乾杯」

私に無理やりグラスを持たせ、カチンと鳴らす。

「正直に言うとね、副業で友達と会社を作ったんだ。由衣と住む部屋はその事務所という体で借りている部屋になる。友達自体は海外にいるから来ることはほぼない。安心してくれ」

そういうと、拓真はカバンから不動産の契約書と、その副業でする会社のパンフレットを出してきた。

副業・・・。確かに少し前にうちの会社が副業を解禁したという連絡網が回ってきた気がする。が、まさかそんなことをする人がいるとは思わなかったのでちゃんと読んでいなかった。

「由衣、秘書やる?」

「は?無理無理。なにそれ」

「いや、そうしておいたら、何かと便利かなと思って」

「だって今の会社でもパツパツなのに、無理だよ」

拓真の愛人、という点は置いといて、私が拓真の立ち上げた仕事に関わるなんて想像できなかった。

「ま、無理にとは言わないけど、考えておいてくれると嬉しいな」

「っていうか」

私はグラスをドン、と置いた。

「私まだ、一緒に住むって言ってない」

「この期に及んで、まだそんなこと言うの」

「この期にって。奥さんと別れてないのに、そんなことしたくない」

「セックスはできるのに?」

拓真は酒は飲めるのに?というようなニュアンスでさらりと、とんでもないことを言う。

「ここまできたら一緒だって」

「っていうか」

拓真が真顔になった。

「お前ももう25だろ。家を出たっておかしくない歳だ」

「そうだけど」

「いつまで親の顔色を窺っているつもりだ?」

拓真には、いつぞや話したことがある。親が異常に厳しい事。それのなのに、大学時代に子供が出来て、相手に逃げられたこと。そのせいで避妊リングを入れさせられていることなど。

「俺は由衣を特別に思ってるから・・・不幸になってほしくないんだよ」

昼間の志田と同じことを言う。私はそんなに傍から見て、不幸に見えるのか。

「あしながおじさんのつもり?」

それでも現在、拓真が離婚していないというのは事実だ。私と住むなんてどうかしてる。

「そうじゃない。いずれは光と別れて、由衣を幸せにしたいと思っている」

「じゃあ、さっさと離婚して、私と結婚してよ」

「俺は俺で周到に準備しているつもりだ。失敗したら、由衣とも会えなくなるんだから」

拓真は、いつもややこしい話になると、幼子を諭すような口調で、私に語りかける。

「わかんないよ、そんなの。離婚届一枚出せばいい話じゃない」

私だって、そんな簡単なことじゃないことくらい、わかっている。きっと別れるっていうのは、奥さんには寝耳に水だし、子供の親権、慰謝料、養育費、決めなきゃいけないことはたくさんある。逆に、それを乗り越えてまで・・・私と一緒にいる価値なんて・・・私にはないと思っている。

だから、いつか捨てられることも覚悟してるのに。

「遊びでいいじゃん。何、本気になってんの」

私は、そういっていつのまにか目の前に置かれていた、焼き鳥にかぶりついた。

「まあ。ここは由衣の部屋だから、鍵も渡しておくよ。オートロックの番号は紙に書いてある」

拓真もそういうと焼き鳥の串を手に取った。

*** 次回は7月7日(水)15時更新予定です ***

雨宮よりあとがき:名前に「雨」が入っているのですが、雨はあまり好きではありません。早くすかっと晴れて夏が来てほしいですね。

豪雨の被害に遭われた方、お見舞い申し上げます。


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