実写版「耳をすませば」の盛大なるネタバレを含む感想

※実写版どころか柊あおい氏原作漫画とジブリアニメのネタバレも含みます。お気をつけてどうぞ。



10/14公開の実写版でした。

耳をすませばというと、まず真っ先に思い浮かぶのはジブリアニメの方でしょう。そして、大抵の場合、アニメから実写化されると猛攻撃をくらうんですよね。

てことで、期待半分、不安半分で観てきました。

なんせ同じ耳をすませばとはいえ実写版は10年後の未来。そもそも原作漫画は途中打ち切りでしたし、アニメの方も将来が見えない形で終わっている。配給は違えど同じ耳をすませばで、柊あおい氏やジブリが関わっていないはずもなく。

そんなわけで、あの夢溢れる青春キラキラストーリーをどう昇華するのか、非常に楽しみでありながらも、正直あまり期待してもいませんでした。


さて、映画を語る前に私がいかに耳をすませばのオタクかを語っておきます。

多くの人と同じようにジブリアニメを最初に知りました。当時小説家になるのが夢だった身として、また、ファンタジー好き、歌も好き、ということで雫ちゃんに自分を重ね、地球屋の雰囲気に憧れ、お家には、アニメで出てきた大きな古時計の置き時計バージョンが飾られています。いつかバロンとルイーゼも欲しいところです。

そこから柊あおい氏原作の漫画を知りました。少女漫画誌のりぼんで連載されていたのですが、途中で打ち切りになったよう。とはいえ番外編があったり、その後雫ちゃんが書いた小説、として、「猫の恩返し」も漫画化されています(実は猫の恩返しも柊あおい氏原作です)。
柊あおい氏としては、当時打ち切りにあった漫画がジブリによってアニメ化されるなど想像もできない話だったよう。設定の改変はありつつも、ジブリが、柊氏が描ききれなかった物語を完成させてくれたとして、原作者からも大切にされる作品になったようです。このあたりの、原作者とジブリの関係も好きです。

ジブリとは少し設定の違うストーリー。とはいえ、根底に流れるテーマは同じです。思えば、原作とリメイクという感覚を知ったのはこの作品のような気がします。

耳をすませばはストーリー自体も共感できるところが多く好きなのですが、耳をすませばに関連するものが多くあるので、一つずつ繋がっていくのが楽しい作品でもあります。

まずは先に挙げたように、アニメと原作の違い。また、耳をすませばから猫の恩返しへの流れ。アニメではこの二作品しかありませんが、柊あおい氏は、その中間ともとれるような短編を描いていたりします。それも夢うつつ、という雰囲気で面白いです。

耳をすませばに欠かせないのが地球屋の存在。骨董品店なのですが、このお店の存在が耳をすませばの良さを引き立てています。作中の猫の置物バロンは猫の恩返しのヒーローですし、アニメ版の古時計には、Porco Rosso(ポルコ・ロッソ)のサインがあります。紅の豚の主人公の彼です。ちゃんと置き時計にもサインがあって嬉しい限りです。

さらに他の作品に繋げていくこともできます。
アニメ版耳をすませばで一部背景担当された、画家の井上尚久氏。描かれている世界観は「イバラード」と言われ、大阪府茨木市を元に設定された架空の世界です。茨木市を元にされているのは、井上尚久氏のルーツがそこにあるからですね。
耳をすませば以降も宮崎駿氏と交流があるようで、ジブリ美術館入ってすぐの受付の天井の絵も担当されています。
また、井上尚久氏原作の絵本「星をかった日」は、宮崎駿氏によってアニメ化され、現在ジブリ美術館で上映中です。今月公開月なので観てきます。内容は原作とかなり違っていて、名前こそ違えど若かりし頃のハウルと新たな魔女の物語、という絶対になっているようです。

ちなみに公式グッズもとても好きです。
ジブリ作品で一番好きなのはナウシカですが、商品化された時に欲しいと思うものは大抵耳をすませばとハウルだったりします。センスが良すぎる2トップです。

少々語りすぎました。
とにかく、耳をすませばという作品から、連想ゲームのように色んなところに繋がっていく感覚がとても楽しいのです。


さて、そろそろ本題に移りましょう。
散々書いたのでお分かりかと思われますが、連想ゲームができすぎる耳をすませばという作品に、実写版という枝分かれができたのです。どんな枝分かれになるのかとても興味がありました。

結果、最高でした。ただの実写どころか、漫画からアニメへ受け継がれたものがそのまま大人になって上手く作り上げられている。未来版耳をすませばの大正解でもある作品だと感じました。いや泣いた泣いた。


ここから映画の盛大なネタバレになりますので、それでもいいという方、映画を観た方のみどうぞ。



まず、オープニング。
25歳の雫ちゃんが、翼をくださいを歌うところから始まります。
場所は、物語の最後に聖司くんが雫ちゃんに告白していたあの丘。音楽にのせて、イタリアにいる聖司くんが映され、映画が始まります。
オープニングからすでに最高ですね。映画が終わったところから始まる。そして、当時同様夜明けを眺める雫ちゃんに対して、イタリアにいる聖司くんは昼間。時間の流れと、物理的な距離が感じられます。

そこからは、基本的に今の雫ちゃんの日常と、10年前の中学3年生の雫ちゃんの場面が行ったり来たりします。一回しか観てないので時系列などバラバラですが、印象的な場面は思い出せるだけ挙げてみます。

まず、中学3年生の頃の場面は、ほぼ漫画とアニメの再現で泣きそうになりました。先生に頼んで無理矢理図書室を開けてもらうところ、ベンチで二人で恋バナしてるときに杉村が来るところ、杉村の告白シーン、雫ちゃんの教室に聖司くんが来て大騒ぎになるシーン。
演出の再現度が高すぎるのもびっくりでしたが、子役の演技がうますぎてびびりました。違和感がない。ちょっと前にほぼ中学生しか出ない某映画見た時は割と頭抱えたのに。
各キャラクター、本当に似た子を連れてきたなというところもですが、雫ちゃん役の子が本当にうますぎました。くるくる変わる表情や、少し夢見がちなところ、ところどころのちょっとした仕草や動作、完璧でした。私の中では、どちらかというと漫画の雫ちゃんに近いのかなと思いました。

中3の場面で一番嬉しかったのは、雫ちゃんと聖司くんの初対面シーン。アニメでは、「コンクリートロードはやめといた方がいいと思うぜ」なのですが、漫画では、「中学生にもなって妖精でもねぇよなぁ」と、聖司くんが雫ちゃんの読む本を馬鹿にしてくるのです。自分もその本読んでるくせに。
で、今回は漫画準拠でした。カントリーロードが使われていないからなのでしょうが、ちゃんと、漫画とアニメを少しずつ取り上げてくれているんだと実感して、そこだけで感動してました。早い。

原作準拠は他にもあります。みなさんご存知猫の男爵バロン。
昔、ドイツを旅行していた地球屋のおじいさんが一目惚れして買ったのですが、漫画だと、バロンの恋人は修理中。アニメだと製作中で、ドイツ人の女性が買うと申し出るのです。
詳細は省きますが、この場面で漫画版を採用したのは、恋人になるルイーゼという猫の置物がジブリオリジナルだからだろうなと考えています。また、私が好きな地球屋の古時計も出てきませんでした。これもおそらく同じ理由です。
全編通してみた時に、原作もジブリも大切にしつつ、でもどちらにも偏らず、大人になった二人の物語を描きたいという意志が見えました(少なくとも私はそう感じました)。
カントリーロードしかり、ルイーゼしかり、時計しかり。出てくるとどうしてもジブリを意識せざるを得ません。そのかわり、中学生の頃の場面展開でこれでもかとジブリを意識させる。
物に頼らない魅せ方が、私はとても好きです。

一方で、原作を意識した単語は、雫ちゃんが書く小説の中に細々と描かれています。
猫の図書館、ゴイサギ、といったワードで大歓喜してました。そして、これは不確かではないのですが、「碧」という人の名前が何度か書かれており、「あおい」と読めることから、柊あおい氏を意識しているのかなと感じました。芸が細かいですね。

原作へのリスペクトは分かったとして、ジブリリスペクトは中3の場面再現以外にあるかなぁと思ったのですが、翼をくださいかなと思いました。

前提ですが、実は聖司くんの設定が、漫画、アニメ、実写全てで違います。漫画は画家志望、アニメはバイオリン職人、実写は作る側ではなくチェロの演奏者です。雫ちゃんが一貫して小説を書くのに対してコロコロと変わってますね。
画家ではなくバイオリン職人にし、作れるんだから弾けるという設定にしたことで、雫ちゃんとカントリーロードを歌う場面が出来ました。そして、今回そこから演奏者になったのは、プロのバイオリン職人よりプロのチェロ奏者の方が、画面的にも映えるし、なんとなく凄さが伝わりやすいからじゃないかなと思います(主観です)。凄さが伝わることで、より雫ちゃんとの差が浮き彫りになるのを狙ったのかなと。こちらは後で書きますが。

とにかく、漫画をアニメ化する工程でジブリがやった一番の功績は、物語に音楽をつけたことです。アニメの雫ちゃんは、聖司くんのバイオリンに合わせて歌うことで心を開きはじめます。
実写版では、ジブリらしさを外すためにカントリーロードではなく翼をくださいになっていますが、音楽で心を通わせるという点はしっかり受け継がれています。
ストーリーの大事な局面で必ず翼をくださいが使われており、大人になった二人が心を通わせるシーンはとても素敵です。
カントリーロードを聴きたかった気持ちもありますが、代替案が翼をくださいだったのも個人的に好きです。日本とイタリアで遠く離れているから、今すぐ飛んで行きたい、という解釈もでき、日本人なら誰もが知っている曲。最適解だったんじゃないかなぁと思います。

さて、そろそろ衝撃のセリフ集に参りたいと思います。

のっけからやられたセリフ、細かくは覚えてないのですが、「夕子が結婚するから」でした。
夕子ちゃん結婚するんですか?!?!?!誰と?!
漫画でもアニメでも雫ちゃんの一番の友人だった、おさげ髪にそばかすの夕子ちゃん。結婚か…。25歳だもんね…。相手誰かな、杉村なのかな、と、まずそこが気になります。
そして続く雫ちゃんのセリフ「みんなどんどん結婚していっちゃう」。
正直、ここで一気に持っていかれた気がします。
漫画、アニメでは少女趣味な、しっかり青春ラブストーリーとして描かれていた耳をすませばが、現実味を帯びたドラマになったんだと感じた瞬間でした。そうなんだよ25歳。みんなどんどん結婚していっちゃうんだよ。
「雫はどうなの?」と母親に聞かれるも、「いやいや、私はまだ」と、曖昧に笑って濁す雫ちゃん。そうだよな、思い人はイタリアだもんな…。
というか中学卒業してからの10年間でどういう付き合い方をしてきたのかめっちゃ気になるなぁ…。

正直、ここからセリフのことごとくにやられました。
10年間夢を追い続けてもコンクールに入賞できない雫ちゃんに対し、夢を叶えてイタリアでプロのチェロ奏者として活躍する聖司くん。

「夢ばっか追ってても仕方がないよ」
「仕事か夢かどっちかにしないと」
「自分で小説書いてて創作する人の気持ちも分からないのか」
「10年やってて何者にもなれない」
「夢に差なんてないよ」
「こんな時に一番会いたいと思う人は遠くて会えない」

つら。現実見せつけてくるじゃないか。
アニメの耳をすませばで一番好きなセリフ、雫ちゃんのお父さんの、「人と違う道はそれなりにしんどいぞ」なのですが、そのしんどさを10年たった今になってびしびし見せつけられた気がしました。
夢を追い続けるのはしんどい。一緒に頑張ろうと励まし合う恋人は本当に夢を叶えて、自分は置いてけぼり。辛い時に会えるような距離でもないけど、頑張って会いにいくと生きる世界が違うんじゃないかと感じてしまう。厳しすぎる現実。本当にあのふわふわ少女漫画耳をすませばですかと、25歳雫ちゃんと同い年の私は涙が出てきました。

現実が厳しい時、決まって雫ちゃんが足を運ぶのが地球屋なのですが、今でも店主である聖司くんのおじいさんとは仲良しらしく、妙齢女性とおじいさんが和やかに話す場面にとても癒されました。歳の離れた友情っていいですね。
ここですごく良かったのは、原題「耳をすませば」と、英題の「Whisper of the Heart(心のささやき)」が繋がったことでした。10年前までは、本を読むといろんな音が聞こえていた(要は感動していた、ということだと思います)けれど、大人になった今、何をしても音が聞こえなくなった雫ちゃん。分かる。感動できることって減ったよね、と、ここもまた共感の嵐だったのですが、そんな雫ちゃんにおじいさんがアドバイスをします。この辺、描写としてはちょっとメルヘンなのですが、「迷った時は、こうして耳に手を当てて。そうしたら心の声が聞こえてくる」。
あぁその、原題と英題が繋がる感じ、とても好き〜〜〜!!!!!メルヘンですがおじいさん、いいこと言う。そうでなきゃ地球屋のご主人はできないよね。

物語に一貫していたのは、自分のこと、周りのこと、過去のこと、将来のこと、そういうものを踏まえた上で、じゃあ自分はどうしていきたいのか、というテーマでした。良。
それぞれにチェロ奏者、小説家という夢をもっていて、悩みながらも自分の心に正直に生きる、という、25歳の耳をすませばでした。文章にするとなんとも夢や希望に溢れた書き方になりましたが、いや結構、心抉られますよ。

総評
漫画とアニメへのリスペクト、再現率の高さ、芸の細かさ、俳優陣の演技力、大人になったが故の現実、夢を追う尊さと難しさ、どれをとっても、耳をすませばという作品において大正解だったんじゃないかと思います。現実見せてきつつもらしさは忘れない実写でした。最高。もうこれ以上のものはないでしょう。

また一つ、ジブリを語る上で大切な作品ができました。
これを機に実写を観てほしいところですが、可能であれば原作漫画もジブリアニメも観てから行ってほしいものです。500倍くらい楽しめます。


さて、あと何回行こうかな。


ももこ



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