幕間

「月はまたおらんのか」

一人が溜息をつく。深い青の瞳に呆れの色が宿り、米神を細い指で抑える。一つ一つの仕草の度に、魚の鱗のような煌めく髪が揺れた。
その場の他の者は、やれ、まただ、だの、いつものことだ、だのと騒々しい。特に誰も意に介さない様だった。

「水よ、放っておけ。いつものことだ。あれは自分の駒がどうなろうとてんで興味がない」

銀色の髪をさざめかせながら、ひらひらと手を振って一人が応じる。重さを感じさせない体は、雲の上で悠々としている。

「風よ、そうは言えども放置もしすぎだ。我らの領地はそれぞれに実りを得ているというに、さすがに駒共が可哀想ではあるまいか」

「水よ、慈悲深いのはそなたの美点ではあるが、同時に汚点でもあるぞ。我らにそこまで慈悲はいらぬ。第一これは遊戯じゃ」

一際高く響く声の持ち主は、青から赤、黒へのグラデーションの美しい巻き毛。真紅の瞳が悪戯っぽく、どこかあどけなさが残る。

「火は容赦がないからの。そなたらの駒を見ようや。皆泣いておるぞ」

烏の羽根のような、黒髪の持ち主がぽつりと呟く。艶やかだがどこか触れ難い印象のそれは、石のように硬そうだった。

火が、ふんっと鼻を鳴らして答える。

「そなたにだけは言われとうないの。そちらの駒かて、手は荒くれ放題、体も痩せ細っておる。わしとどちらが過酷かの」

「全身煤だらけの駒しかおらんような者に言われてものう」

黒曜石の瞳がきらりと輝き、くすりと、冷ややかに返す。

「我が駒らはその手で宝石を産むからの。ただしんどいだけの火とは比べんで欲しいわ」

「ほう、そなた、喧嘩を売るか?乗るぞ。いつでも」

「やめんか」

黄金色の髪の主が割って入った。

「火も石も、遊戯でのことは遊戯の中で決着をつけよ。我らまで巻き添えを喰らっては敵わんわ。とにかく、月はどこへ行ったのか?遊戯の時間じゃが、今回もあやつは抜きで良いのか」

「雷も水も面倒見が良いの。行き先を知ったらそうも言っておられんやもしれぬぞ」

青灰色の瞳を細めて、楽しそうな風の声が歌う様に響く。それを聞いた他の者の空気が張り詰めた。

「どういうことか。風にだけは行き先を告げたのか」

「なんだかやりたいことがあるとかでな。大地のところへ行きよったとよ」

「なんと!」

水が悲鳴をあげた。

「あやつ抜け駆けをする気か?」

火の眉間に皺がよる。

「火、暑い、落ち着いて。にしても遊戯を通さず、遊戯を放り出して大地の元へ行くとは、どういうことかね」

石の声は落ち着いているが、静かな怒りを孕んでいる。

「あやつ、何をしに大地の元へ行ったのだ?そもそも、なぜ風はそのように平気でいられる」

雷の瞳の奥に稲妻が走る。

全方向からぴりぴりとした殺気を向けられ、それでも風はけろりと言ってのけた。

「実験とよ」

「実験?」

「子供というものが欲しくなったらしい」

「は?」

意味が分からないという目で困惑し始める周囲を見て、風はけらけらと笑った。

「月め、遊戯は適当にしておいて、どこよりも駒の扱いが酷いくせによ、駒がそうするように子供が欲しくなったんだと。興味が湧いたそうな」

「なんじゃそれは。呆れる。大地が取り合ってくれるものかね」

「そうは言えども、大地も気まぐれなところがあるからのう。うんと言いそうな気もするぞ」

「だいたい、子供が欲しいとして、駒共と同じ手順で子供を作るものなのか?我らが?月と大地が?」

「そもそも子供というものを作ったことがないからの。分からんが。大地なら方法を知っておったということじゃろか」

「まあなんせ、遊戯が始まる前には帰ると言っておったがの。遅いのう。さすがに今回も放り出すつもりはなさそうじゃったんじゃが」

思い思いの言葉を尽くしていると、その場に鈴の音のような、凛とした音が響いた。

「ご帰還じゃな」

水が立ち上がって見据えた先に、それはいた。

薄紫色の艶やかな髪に、黄金色の瞳の月は、何かを抱き抱えながら蠱惑的に微笑んだ。

「戻って参り申した。まだ間に合う?すまないのう遅うなった」

「そなた、毎度やる気はあるのかえ?だいたい不在の理由が子作りとは何ぞや。聞いたこともないぞ」

火の文句も軽く受け流しながら、両腕に抱いたものをその場の者に見せる。途端、周りが息を呑んだ。

最初に歓声を上げたのが風だった。

「ほう!これが赤子とやらか。駒のものを遠くから見ているだけだからの。間近で見るのは初めてじゃ」

「ふむ、本当に我らをちぢこめたような生き物じゃな。私は欲しいとは思わんが」

「親に似ると聞いたが、髪色以外は大地の面影はないのう。瞳が開かんが、そなたのような黄金色なのかえ?それとも大地のような新緑色かえ?」

「ほう、ぷにぷにしておるの〜。なんだかいい匂いじゃ。なるほど、これは確かに駒共が欲しくなるのも分かるわ」

「して、そなた、留守にしてからそないに時間も立っとらんじゃろう?駒共は一人こさえるのに十ヶ月もかかるに、たった二日三日あけておっただけのそなたが、子供をこしらえるとは何事じゃ?」

「そなたら、なんだかんだで子供に興味津々じゃの」

月が呆れたふうに答えるが、反してその瞳は悪戯っぽく光っている。

「我らが駒の者共と同じような子作りをするわけがなかろう。まあでもこれは私と大地の子であるし、育てれば大きくもなるそうじゃ」

「なんと面妖な。自然の摂理的に大丈夫なのかそれは。大地は何も言っとらんのか」

「我らに自然の摂理も何もなかろう。とりあえず面白そうではあるし、遊戯を初めて2000年経つが、それ以来にワクワクしておるわ」

「して、この子供、何と呼べばいいのか。月の子とでも呼ぼうか。そなた何か決めておるのか」

話題の中心が自分であることを悟ったかのように、赤子の瞳が開く。それは、月と同じ、蜂蜜のような黄金色だった。

「この子はメライサ」

月が、赤子に語りかけるように言う。

「メライサ。私の姫という意味じゃ」

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