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那珂川の流れを変えて町を救った女性の話(前編)

歴史作家・海音寺潮五郎の小説に、とある女性が那珂川(栃木県から茨城県を流れる一級河川)の流れを変え、那珂湊の町を救ったという話が出てくる。小説だが史実だという。作家の海音寺潮五郎の概観と共に、興味深いその内容を紹介したい。
(長くなりそうなので、2回に分ける予定)


わが敬愛の海音寺潮五郎

若い頃の私は歴史作家・海音寺潮五郎の熱心なファンだった。海音寺作品や彼の事績を多くの人に知ったもらいたく、個人で細々とではあるが活動していた。海音寺潮五郎についてはWikipediaの記述が充実しているのでそちらを参照してほしいが、主なところでは

  • 直木賞作家

  • 直木賞の選考委員を長く務めた

  • 直木賞選考の場で反対する吉川英治と論争し、司馬遼太郎を直木賞受賞に導いた

  • NHK大河ドラマの原作を2作品で提供
    (1969年「天と地と」、1976年「風と雲と虹と」)

  • 西郷隆盛が大好きで、西郷の真の姿を描き出すべく執筆生活の多くを費やした

といったところである。
私が海音寺潮五郎に関心を持ったのはその没後なので、リアルタイムには知らないが今に伝わる様々な逸話から推察すると、頑固者だが愛嬌があり、お調子者の面を持って憎めず、人好きのするオヤジだったろうと思う。

海音寺自身は本人の想定以上に『天と地と』がベストセラーになったことから、
「私が死んでも『天と地と』の作家だったとは覚えておいてもらえそうだ」
という趣旨の発言を残しているが、IT技術の進展と熱心なファン(その一人は私のことだが)のおかげで、執筆した作品群や様々な逸話が後世に伝わっている。こうした状況は本人も予想だにしなかたことだろう。

ちなみに、現在Wikipediaに掲載されている海音寺の履歴や逸話のほとんどは10年以上前に私が書き込んだものだ。その後、情報の補足や体裁を整えるなどのフォローをしてくれた人がいるようで、なかなかに完成度の高い出来になっているのではなかろうか。(それにしても、なぜこの写真なのか、、、)

短編小説「長久保なほ」

さて、海音寺潮五郎が小説の素材に選んだ那珂川に関する興味深い内容だが、ここからはネタバレになるので、もし本作品を先に読みたい方は下記を参照してほしい。(新刊は手に入らないようだが、中古でたたき売られている。どうしても新刊がほしい場合は再販された単行本もあるようだ)

以下、できるだけ引用の範囲に留まるように短編小説「長久保なほ」の概要を紹介する。

  • 那珂川の河口に位置する那珂湊の町が舞台。時代は明治初期

  • 那珂湊は那珂川水運のおかげで繁栄してきたが、あるとき数日続いた風浪で土砂が押し寄せて河口が埋まり、川は他所へ流れるようになった。つまり、那珂湊は水運に利用できなくなった

  • 大量の土砂は除去困難で、水運価値がなくなった町は寂れ、他所に移る人も出てきた

  • そんなとき、ある女性が土砂を取り除く作業を始めた。女手一人の作業は遅々として進まず、「無駄なことはやめろ」と助言する人もいた。しかし、女性は手を止めなかった

  • 女性は季節が変わっても作業を続けた。町の人は誰も気にしなくなった。しかし、地道に続けてきた女性の作業は土砂を確実に取り除き、海に向かって細くはあるが一本の溝を作っていた

  • あるとき大雨が降った。那珂川を流れる濁流の一部が女性の掘った溝に流れ込み、周囲の土砂を押し流し、溝は徐々に広くなり、ついに海までつながった。那珂川は元の流れに戻り、水運業が復活した那珂湊は往時の繁栄を取り戻していった

こうして書くとあっけない内容に思えるかもしれないが、ぜひ本作でこの女性(「長久保なほ」という名だとされている)の行為の尊さを海音寺文学で味わってほしい。

海音寺潮五郎は本作品を次のように締めくくっている。

僕は、昭和十四年の秋、この地に遊んで、親しく無心に流れる那珂川の水、河口に輻輳している船舶の姿、にぎやかな町を見て、殆どこの話を信ずることが出来ないような気がした。しかし、これは事実あったことなのだ。事実あったことなのだ。

海音寺潮五郎「長久保なほ」より

「事実あったことなのだ」とわざわざ2回繰り返しているところに海音寺本人の驚きと感動がよく表れていると思う。私も海音寺作品を読み始めたかなり初期にこの作品と出会い、とても感動したのを覚えている。

史実はどうだったのか

さて、問題はここからだ。
海音寺潮五郎は史実を重視する「史伝」とよばれる歴史文学作品で知られる作家だ。その海音寺が事実というのだから間違いないが、残念ながら小説で表現されているため、この事実の出典が示されていない。私はこの事実の詳細を知りたいと思ったが、その当時、ネット上でこれに関する情報を見つけることはできなかった。

那珂川はどのように流れを変えたのか、その史実はどんな文献に記載されているのか。これを突き止めるのが私のちょっとしたライフワークになった。関心を持ち始めて10年以上が過ぎたと思う。そして、ついに史実を突き止めることがほぼできた。その内容を後編で紹介したい。(続く)

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