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がんばらない育児を乗り越えるー「その場をやりすごす」態度とは

近年、「がんばらない育児」が流行している。がんばらない育児とは、育児の領域でほどほどを目指す態度や行動を指す。がんばらない育児は次第に定着しつつあるようで、最近では差別化を図るため、「本当のがんばらない育児」なるキーワードもみられるようになっている。

わたしはこのがんばらない育児にどうも違和感がある。

その理由はいくつかあるがその一つには、「がんばらない」という軸だと前提に「がんばる」という価値観が露呈してしまうことがある。

がんばらない!と宣言したところで、がんばることからの価値観からは逃れられないのである。

またがんばらない育児の問題点は、人によってがんばらないの線引きが異なることだ。ものすごくがんばっているようにみえても本人は全くがんばっているという意識がない場合もあれば、全くがんばっているようにみえなくとも本人はもう限界の状態である場合もあったりする。

がんばらない育児は既存の価値観「育児はがんばるもの」から解放されるようにみえてそのような価値に縛られ続けているフレーズのようにも感じられる。

一方、近年「楽をする育児」も言われるようになっている。しかしそのようにうたう記事や書籍の内容をみていると、「手抜きと楽をすることは全く違います」などと冒頭に書かれていて、その時点で読む気をなくしてしまうことが多い。

手抜きと楽をするは違いますと言われたところでそのような線引きは非常に個人的、主観的なものである。明確に分別することは難しいのではないだろうか。そしてそうやって「楽する子育て」をうたっている本や記事に限って、意外と楽をするための具体的な方法を提示していない。

どうにかがんばる、楽をする以外のフレーズはないものか…

そんなことを毎日考えていたある日(育児しろ)、友人からのLINEで
イヤイヤ期はやり過ごすしかないよね~」というメッセージが届いた。

ん?やり過ごす…これは...ありだなと思った。

やり過ごすは「何かが通り過ぎるまで待つ」「なすがままにして放っておく」といった意味でつかわれる。
文脈によって、ポジティブにもネガティブにも捉えられる言葉である。どちらかというとネガティブな意味合いが強いので、今まで使われてこなかったのかもしれない。

やりすごすは周囲の環境に対して積極的に働きかけるというよりは、自分は特段何もせずに、ただ時が過ぎるのを待つイメージである。

これは特に小さいお子さんを育てている親御さんには有効な態度なのではないだろうか。

子どもが小さいときは、積極的にがんばろう、関わろうとすればするほど、ストレスがかかったり、それが原因で子どもにあたってしまうという悪循環も生じ得る。意外とやり過ごすくらいの態度のほうがうまくいくことが多いのではないか。しかし一般的な育児書にはほとんど、やり過ごすための、具体的な方法が示されていない。せいぜいイライラしたときは深呼吸しましょう、とかその程度である。

わたしはこれは育児書がいわば教科書化していて、今まで伝統的に言われてきた模範的な母親になるための手段しか紹介されていないことが原因ではないかと考えている。

また行政がかかわる子育て支援講座でも同様の傾向がみられる。
子どもの食事、栄養の講座では「一生モノの舌を育てる食育講座」
子どもとのかかわりでは「子どものほめ方講座」
大方、模範的な母親になるための方法が紹介されている。

そのような状況に対抗しようと、がんばらない育児 楽する育児などが提案されてきたと考えられる。しかしながらがんばらないといっても、どこまでががんばるでどこからががんばるになるのか?線引きの議論にたびたび陥ってしまう。

そのような議論を乗り越えるものとして「やり過ごす」育児が果たす役割は大きいのではないかと思っている。

それでは育児において、やり過ごすとは具体的にどのようなことなのか?

それは模範的な母親になるわけでもなく、暴力や暴言をふるう母親になるわけでもないその狭間でひたすら待つということである。

模範的な母親を目指し、できない部分を妥協するというよりは、子どもにとっても親にとってもつらい暴力や暴言のほうに傾かないようにする、そのような態度や心づもりである。

具体的な場面で想像してみよう。

あなたは今2歳の子供がいる。
彼はイヤイヤ期まっさかりで、とにかく一日中イヤイヤ言っている。あなたはストレスがたまりいつか爆発するのではないか、暴力をふるってしまうのではないかと恐れている。
実際子供に手をあげたことはないものの、物にあたったり怒鳴ってしまったことはある。そのたびに反省し、もう怒鳴りたくない、いい母親にならなくてはと考えている。

ここで従来の模範的なアプローチでアドバイスとして言われることはせいぜい「子どもの気持ちを理解してあげ、代弁してあげる」「親は感情的になってはだめ。冷静に対処しましょう」などこんなところである。

その一部には、
「親が譲れないことは絶対にダメと伝えましょう」とか、
「お菓子やジュースで釣ってはいけません」 など一部の親にとっては
「不可能やろ...」と思うようなことが書かれているケースもある。

私が特に役たたん!と思ったのがこのいやいやにイライラしない方法である。模範的な教科書で多いのが、「深呼吸」「一度部屋を離れてみる」等のアドバイスである。実際に経験された方だとお分かりになられるかと思うのだが、これはほとんど効果がない。
というか深呼吸だけで落ち着ける人って、すごくないか?
あと部屋を離れるですが、私の子どもは部屋から離れるともう手が付けられないほど泣きました。

他にも多いのが、誰かに相談する である。
これは具体的なアドバイスになっていない。誰かって誰だよ。
話す人がいなかったらどうするんだ。

少し話が脱線したのでいったん戻ろう。
それでは具体的に「やりすごすアプローチ」ではどのような策が考えられるだろうか。

まず前提としてイヤイヤ期の子どものイヤイヤの理由を理解することは
相当に難しい。そこで親としてはとにかく「子供に怒鳴らない、叩かない」ようにその場を適当にやりすごすことが必要になってくる。

そのためにはたとえば
・心の中でひたすら数字を数える(自分を落ち着かせるため)
・大好きな曲を歌って我を忘れて踊る(子どもがえ?どうした?となって泣き止んでくれることを期待)
・子どもに敬語で丁寧に話す(これも同様え?何?となって 泣き止んでくれることを期待 )
・ジュースやお菓子を渡す(背に腹は代えられない)
・外に連れていく(環境が変わると泣き止む場合もある。けどノーメイクの時はどうするんだ)
・動画を見せる(スマホは第二の母親)

(ぜひほかにも教えてください)


上記でも対応できないとき、私が実践しているのがイヤイヤ期の対応の仕方をあらかじめ決めておいて冷蔵庫などに貼っておくことである。そしてイヤイヤと言われるのが限界に達したら、一旦思考を停止させ、その指示書通りに対応する。

私の場合は原稿を読む。
「〇〇するの嫌だったんだね」(棒読み、真顔) 
「落ち着いたらまたあそぼうね」 (棒読み、真顔)    おわり。

これでいったん対処したことにする。そして子どもの横でめちゃくちゃ主人公に甘い男性が登場する少女漫画を読んで心を落ち着かせる。
とにかく待つ。過ぎ去るのを待つ。

あぁほんと無理...!となったら、イヤホンをする。ワイヤレスだと子どもに装着していることがばれない(ばれるとはずされるので)。そして歌う。

思考を停止させる。


このような態度は、模範的な母親像からすれば、子どもの気持ちを理解しようとしてあげていない、それどころか無視しているじゃないかと批判されるかもしれない。

しかしやり過ごす育児で大切なのはとにかく「暴力や暴言に頼らない」ことである。なぜなら暴力や暴言は子どもたちの影響だけでなく、母親自身にとっても非常につらい経験になってしまうからだ。

もちろん模範的な母親像を目指すことは否定されるべきものではないし、そのような規範があるからこそ母親の行動にブレーキがかかっている利点もあると思う。また模範的な母親を目指しながら各々が「ほどほど」のがんばりを探っていくことは、ストレスなく生活するうえで重要であろう。

しかしながらストレスフル、もう爆発寸前のお母さんに、理想的な母親像や抽象的なアドバイスを示すことは、あまり意味がない。「ほどほどにがんばればいいよ」とアドバイスを言われても、そのほどほどをどこに設定するかは各々に委ねられるのである。混乱したり困惑するお母さんもでてくるのではないか。

とにかくやり過ごす、その場をやり過ごすだけ。まじめな責任感の強いお母さんに限って、そのようなことができず苦しんでいるのではないだろうか。


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