スピンオフ!『剃髪式』
大好きなフランツィンが戦争から帰ってきて私はてっきりプロポーズされるとばかり思っていたのに、別の女と結婚しちまった。それが時代遅れなほど髪を伸ばした女でさ。あの女が前にいると、視界がまったく遮られてしまうのに、本人は知らんぷりですましてる。いやあれ絶対わざとだと思うんだよね。
私もいつまでも落ち込んではいられないからさ。あの女がいつフランツィンに愛想を尽かされるかわかったもんじゃないもの。だいたいあんなバカで能天気で男に色目を使う女にフランツィンの奥さんが務まりますかって。フランツィンがボヘミアのヌィンブルクでビール醸造所の支配人の職を得たっていうから、私もフランツィンに頼んでそこで働かせてもらうことにした。フランツィンは「妹のようなものだから」と私のことを引き受けてくれたけど、いつか妹は恋人になるってこと。ふふふ、覚えてらっしゃい、フランツィン。
フランツィン夫婦はビール醸造所内に住んでいるから、まあ、あの女のハチャメチャな行動が手に取るように分かる。ソーセージを作っている最中に屠殺した豚の血を肉屋と塗り合って大騒ぎをして、ははんこれは会長のグルントラート博士に怒られるぞ、とほくそ笑んでいたけど、なんと博士まで一緒になって豚の血で遊ぶ始末。へん! なんだい! 会長はあの女の後ろに立ったことがないんだよ。あの女がいるとあのとさかみたいに盛った時代遅れの髪型で前が何も見えやしないんだから。ちょっとばかり面がいいからって、男どもはすぐデレデレしちまってさ。
まあ一番デレデレしちまってるのがフランツィンなんだけどね。質素で堅実だったフランツィンがあの女に色々貢いでいるっていうじゃないか。仕事でどこか出張に行くときは必ずプレゼントを買ってくるそうだよ。何やってんだよ。釣った魚に餌やってどうすんだよ。つか、私ならあんな女よりコスパ高いよ。プレゼントなんて要らない。私はフランツィン側にがいてくれさえすればそれでいいんだよ。
天が私に味方してくれたと思ったのは、フランツィン夫婦のところにあのペピンおじさんことヨゼフが転がり込んできた時。ヨゼフといったら故郷でも有名なちょっと頭の足りないフランツィンの兄さん。あんな奴が新婚夫婦の家に同居したら、新妻は気持ち悪くて我慢ならずに尻尾を巻いて出ていくはず。そう思うと就業後のビールの旨いこと! まあ、私がフランツィンの奥さんになったら、ヨゼフには闇に消えてもらうけどね。ところがなんてこった! あの「私が主役、みんな見て見て」女ときたら……。いや、あの女がバカだってことは知ってたよ。そしてヨゼフもバカ。バカとバカで気が合っちまった。なんと仲良く同居しているじゃないか。この間なんか煙突にふたりで登って大騒ぎだよ。だいたい仮に私がふらっと煙突に登ったら、その後刑務所が精神病院にぶち込まれるだろうよ(もしくは、まったく気づかれないか……)。しかし、なんだい。男どもは「眼福、眼福」と言わんばかりで、消防団長のデ・ジョルジ氏の鼻の下なんざ、普段の二倍くらいに伸びてたよ。それで、あの女も何のお咎めもなしさ。面白くないったらありゃしない。
でも、ホテル・ナ・クニージェツイーで初めてラジオってものを聞いて、あの女は狂っちまったんだ。短いのが流行と言わんばかりにスカートの丈を短くし、飼い犬の尻尾を短くし、椅子の脚を短くし、とうとう自分のあの豊かな髪にまで鋏を入れちまった。あの女は本物のバカだね。で、あの女を愛しているフランツィンも相当イカれてるってことに今更ながら気がついたよ。二人で「新しい生活をはじめよう」とはしゃいでるけどさ、あんたたちが望んでいる生活はあんたたちの息子の頭が禿げる頃にならないと、この国にはやって来ないんだよ。そんなこともわからないんだから、まったく無邪気なもんだよ。悲しいくらいに。
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