冷首
こういうことばに出会うと、日本語の造語力ってすごいなあと思ってしまう。そして、時代が移り、人の生首など日常にない現代においても、「冷首」と言われると、「うまいこと言うなあ」と感心してしまう自分がいる。なんでだろう。
この冷首には、なにかこう冷笑の気配がある。
「あいつはよお、威張っているがよお、生きてる人間の首を斬ったことがねえんだ」「いっつも、死んだ輩の首を切り取って手柄にしている」
「ぜーんぜん違うだろ。生きた人間の首を斬るっていうのはな。そりゃ、ぜーんぜん違うんだよ」
そんな雑兵の会話をついつい思い浮かべてしまう。どう違うが分からないけど、違うということだけは、「冷首」ということばの存在が示しているのだ。
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