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戦慄!不注意人間!

10センチ以上の高さのあるハンバーガーを持ってきてくれたウエイトレスさんに「楊枝で止めてあるので注意して下さいね」と言われて「はい」と返事しておきながら、3秒後に上あごに楊枝を突き立てていたことのある私である。

ハワイで、拳銃を撃てるスポットでシャープな顔立ちの黒人さんに扱い方を教わって自分でやってみる際に、一動作目から食い気味に「ノ~」と深刻な感じで首を横に振られたこともある。直後に拳銃を一旦取り上げられた。

ボクシングジムでバンテージの巻き方を教わった時も、鏡文字のように左右だか裏表だかをキレイに巻き間違えて、先の東京オリンピックでのボクシング金メダリストの会長に「器用だねぇ」と、この時も呆れられた感じで首を横に振られた。

前世に近いほどの昔に付き合っていた女性に付き合い始めて間もなく「右みて左みて、もう一度右をみて、正面から来たクルマにはねられるタイプだよね」と言われた時は笑って返したが、言い当てられ過ぎると笑うことしかできないんだなと学びながら、同時に女性の直観力に慄いた。

若い頃は、自分では慎重なタイプなはず、と思っていたのだ。なぜかアクシデントに見舞われるな、くらいに思っていた。その揺らぎも含めて見透かされた思いがした。

* * *

「ファイナル・デスティネーション」とか「ファイナルデッドコースター」という、B級ホラー・サスペンス映画のシリーズがあるのだが、どの映画も、死の運命を回避した者には必ず再び死が襲ってくる、という共通のテーゼが軸になっている。

大勢の登場人物が、一度逃れたはずの死の運命に改めて捉えられるのだが、特徴的なのは、どの場合も死に至る厄災のことの起こりが、とても些細なミスから始まる、という点なのだ。

電気のコードが抜けかかっている、とか、床がほんの少しだけ濡れているとか、器具の留め具がちょっとだけ緩んでいる、とか、そんなことから悲惨な事故が巻き起こっていく。

私のようなうっかり型タイプの人間からすると、こうした映画は誠に恐ろしい。歳をとって、一層、注意深くなった自覚はあるが、そんなことを書いている最中にもガスは漏れ、水回りのそばのコンセントでは漏電が起きり、切れた電線が窓を突き破ってくるかも知れないのだ。

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コロナ渦のなか、だから私がうっかりした加害者側になる可能性だけは極力抑えたい。日々是、ステイホームに継ぐステイホーム。

「不注意人間たるもの、うつされる事はあれどうつす事なかれ」
これが不注意人間としての、せめてもの矜持である。




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