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強面アラブ人男性を最後には笑わせた、成田空港のバカ殿様。

昨日2020年3月29日に逝去された志村けんさんのご冥福を心よりお祈りいたします。
大好きだった志村どうぶつ園で、志村園長と動物たちとの掛け合いを、もう再び見ることができないとは…。よもやの事態ですが、志村けんさんに関する一番の思い出を、昨日の予告通りに書かせてもらいます。

* * *

成田空港のどこかのロビーの壁掛けテレビに、志村さんのバカ殿様が流れていた。私が帰国したのか、帰国した誰かを迎えに行ったのか、たしか到着ロビー側の一角だった。
バカ殿様が流れているだけなら特に気に留めなかっただろうが、テレビのそばのソファからそれを見上げている日本人男性が笑い転げている姿が異様だった。

バカ殿が面白いことは、私も重々承知していたが、公共の場で、よくあそこまで身も世もなく笑い転げることができるものだと畏怖すら覚えた。
男は、それほど笑っていた。
志村さん本人がその様子をたまたま見かけたとしても、やはり喜ぶよりはヒクのではないかと思える程、バカ殿コントは彼にとって圧倒的にツボだったようだ。

そして、その爆笑する日本人を、私以外にも驚いた様子で見ている者がいた。それは筋骨たくましく、精悍な面構えをしたアラブ系の男性だった。

アラブ男性は、白塗りのバカ殿の躍動するテレビ画面とバカ笑いの止まらない男性を、少し離れたところから交互に見ていた。

驚いた表情にはやがて軽蔑の色が混ざり、そのうちアラブ男性の顔には爆笑男への嫌悪の情がにじんできたように私には見えた。

私は中東世界の価値観をよく知らないが、しかし、男性原理が強く発達したとてもマッチョな世界観が支配的であろうことは察しがついた。
してみるとその価値体系の方々には、バカ殿が国際空港に流れていることも、それを狂喜して見ている者も、許しがたく感じたのではないかと思う。

周りの様子も目に入らない爆笑男と、こめかみに血管の浮き出そうなアラブ男との妙な緊張関係に、私は私で目が離せなくなっていた。
(バカ殿様が畳みかけるように面白いことを云うのをもう少し控えてくれたら、ここの緊張がちょっとは和らぐのに)と、見当違いなことも思っていた。

バカ殿に魅了されきって魂を鷲掴みにされている男と、それを冷え冷えと見つめるアラブ男と、その両者を窃視する私、という構図が成り立って、どのくらい時間が経っただろう。
たぶん、まともに5分ちかくはそれぞれがそうしていたと思うが、均衡が崩れる瞬間はふいにやってきた。

アラブ男が、笑ったのだ。

バカ殿様と、体力の限界まで笑い続ける超絶バカ殿ファンが、強固なアラブ的価値観を絆した瞬間だった。

アラブ男は、声を上げて笑ったわけではなかったが、冷笑というほど酷薄な笑いでもなかった。
結局、志村さんが若い頃から備えていたあの”間”と、役をカリカチュアする天才性と、何十年と演じてきたキャラクター群の厚みが、結果としては勝ったのだ。
アラブ男は、もう馬鹿にしてはいなかった。
笑いは伝染し、彼も志村世界と発作的爆笑男のいる眺めを面白がっているように見えた。

そういう意味で、バカ殿が日本の玄関口で流れていたことはとても正しかったと言える。
世界を席巻した日本のアニメ等も、必ずドリフや志村コントのファクターに無意識に裏支えされている事だろうし、日本のコントバラエティは日本的サブカルのメインストリームとも言えるからだ。

* * *

それにしても。

成田空港のロビーという場で、あそこまで志村さんのコントに大爆笑を続けていた彼は、この訃報にどれほどのショックを受けているだろうか。

しかし一方で、全く悲しんでいない可能性もあるのではないかと思うのだ。笑わせてもらって、笑わせてもらって、一片の悔いも残っていないのではないか。
「これが見納めになっても後悔しないくらい今回も楽しむぞ!」という集中力が、彼にはあったように思う。

* * *

とはいえ、志村けんさんを失った喪失感は、この国を覆い尽くしているようだ。
失礼を顧みない言い方を率直にすれば、意外なほど、つらく、悲しい。
亡くなったと知って、こんなに、ここまで、私は志村さんを好きだったのだと気づいた。

成田の爆笑男の悔いなき接し方とはえらい違いだ。
志村さん亡き今が、私はとっても寂しい。


謹んで志村けんさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。





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