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消極的であることには、とても積極的

若い頃に友達からの誘いにもとても出不精で、その頃住んでいた町の名前を冠して「千駄ヶ谷の寝たきり青年」と揶揄されていたこともある私なので、ある種のお誘いへの消極性に関しては筋金入りである。

「ある種」というのは、「小売店がハングリーマーケット化しているから急いで買い物に行こう」とか「春めいた陽気になってきたのでちょっと海まで行ってみよう」とか、そういう陽キャ的行動原理のことだ。

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自粛、というのは文字通りに、自らの行いを抑えることで、本来は自らを律するという、自律に近い行為なのだろう。

しかし、国や行政から自粛を促される、という世情にあって、自律性というよりも消極性が、だんだんと尊ばれるような転倒が起きているような気がする。

この発現性が低くて潜伏期間が長い疫病との共棲のなかで、日本に限らず、消極性を重んじるかのような相互監視的な感覚が芽生え始めているようだ。

曰く、
「STAY HOME」という規範から逸脱するな。社会生活全般で、体や心の活動がより消極的な方を選択しろ。

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私は、GW=レジャーとか、そういう文脈ではかねて消極的だが、それは自分の規範や価値観においてそれを選択してきただけで、正しい行いをしてきたとは思っていない。

しかし私もだんだん、自警団的・自粛警察的価値観で、コロナへの侮りが感じられるユルいスタイルの人たちに嫌悪を感じていることもある。


自分のなかの自粛警察的価値観への傾倒にこそ、消極的で冷ややかな客観性を持ちたいところだ。

他人を指弾したくなる材料探しにこそ、積極的なまでに消極的でありたい。






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