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旅鴉~旅芝居で一番好きな芝居から思う鴉たちの生きることや矜持やら~

私が旅芝居・大衆演劇で一番好きな芝居はもう上演されることのない芝居2本です。
100%とは言いませんが98%上演されることはありません。観られたことは私の宝物です。それはさておき。
ほな今舞台にかかっている芝居の中で一番好きな芝居は、というと国定忠治の芝居です。
といっても新国劇でおなじみ「赤城の山も今宵限り」でお馴染みのあのシーンもないし
ワルい山形屋からいたいけな娘さんを助ける山形屋のくだりもない芝居です。赤城の山をおりて、つまり処刑されたと言われたあとの・・・。なのです。

忠治の子分でありながら、忠治を育てたとされる日光の円蔵、
円蔵もまた追われる身である中、忠治そっくりの落ちぶれた男に出会う。
みすぼらしい男。「忠治であるわけがない、忠治は死んだ」
しかし男は自分は忠治だと言い張る。
忠治なら証としてあの名刀を持っているはずだと円蔵が問うと
「刀を持っていても腹の足しにならないから握り飯と替えてもらった」と!
この男が忠治か。忠治であるはずがない。あったとしてもそれは認めることはできない。
だって忠治ののちに何人が死んだ。あいつも死んだ、あいつも、
ここにいる矜持もなにもを捨てた男は決して忠治ではない。
円蔵は忠治を名乗る男に出会う前に知り合った侠客弟子入り志願の田舎もん男に「斬れ」と命じる。
だってこの男が忠治であってはいけないのだから。
しかしそこに・・・・。

地味な芝居です。
ほぼ円蔵と忠治(あ、書いちゃった。でもわかるよね)の二人芝居かというほど二人のシーンが長い。
もちろん他にも(重要な)登場人物は出てくるのですが。
とても地味で「この芝居やっても客こんもん」「芝居好きな人にしかわかってもらえん」
と役者さんに言われたり
追っかけさんから「あの芝居だけは意味がよくわからない」と言われたりもした芝居です。
(私的には「えー!&うーん…」ですが、それらの意見すべて、うんうん、でもありますね。)

私はこの芝居にとてもいろんな思い入れがありまして。
そもそも芝居自体も好きなのですが登場人物と演じる役者さんがリンクする瞬間がみえる…という
私的旅芝居のお芝居で一番グッとくる「これや」というものがあり好きな芝居です。
とある劇団で偉い役者さんが老け役の役者さんに
「俺(円蔵)が目立つように忠治をもっとショボく演じてくれ」と言ったときき
喧嘩をしたこともある。
「はあああ?何言うてるんですか?!役のこと考えてますか?!」
&この先を書くとネタバレになりますが物語の核心となる瞬間の「気づき」について
「なぜそうなるか」を役者さんと喧々諤々言い合いをして
「いやそれ絶対間違ってますって。
●●さんはカッコよさとファッションで演じてるからそんな解釈なるんですよ。
侠客とはって考えると・・・・・・・・」
と生意気にも本気でぎゃーぎゃー言い合いをしたこともあるのですが。
(ほんとにもう私は嫌なやつ面倒臭いやつですね・・・)

私がこの芝居に惹かれるのはやはり矜持と滅びの美学を感じるからなのだと思います。
滅びの美学とか言葉にすると簡単すぎてあまり使いたくはありませんが。

人はおちる。
人は老いる。
どんな人であっても。
富や名声、人から讃えられていようと。
それはずっと一生は続かない。
特に見栄で生きている人たちは。
でも支えてくれる人はいて。
その名と光はずっとずっと誰かの心に残ってその誰かの生きる力となるんだ。

(※すべて私の解釈)

そしてさらに言うとね。

忠治だったり円蔵だったりの話なのだけど。
つまりこのことは舞台で生き続ける旅芝居・大衆演劇の旅役者そのものにも
当てはまるような気がしてならないからなのです。

生きること。老いること。
ゲンジツ。
矜持。気持ちの力。
旅。


やはりとても印象深く、私にとって旅芝居における大事な芝居のひとつです。
出来れば、どこかで、またいい形(笑)で目に出来ればなあ。

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