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日々日々

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1日(なるべく?)1エッセイ。思うこと考えることを綴っています
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#生きる

まっすぐなコーヒー

パン屋さんのイートインというか、 ブーランジェリーやらベーカリーというような店も好きだがただただ「パン屋さん」みたいな店ででも喫茶も出来て若い人は勿論年配の方々がコーヒーと新聞を楽しんだりお喋りに花を咲かせていて皆自由で干渉もしないし意識もし合わないしみたいな店がわたしは好きで。 自由な皆の傍らで職人さんが黙々とパン生地を捏ねたり焼いたり淡々と自分の仕事をされている決してきれいなんかじゃない作業着姿で淡々とというのが静かに真っ直ぐな気持ちになる。 そんな店で飲むコーヒーは美

昼と夜

解体工事の若い人たちが土の上で昼寝していた。 ガタイのええ2人が太陽の下クレーン車の横で作業着のまますげえ気持ちよさそうに転がっていた。 熱いやん。焼けるやん。でもああ皆生きてるな生きてるんよあ。 「!」「?!」からの意味不明にじーんとしながら通り過ぎた。   街を歩いていたら桑田佳祐の祭りのあとが流れてきたから思わず言ってしまった。 「なんでやねん」「ダサ!(笑)」 せやけどこれ聴いて歌って泣くおっちゃんらとか少なくないんやろな。 エモいという言葉はこういう時使うのがしっく

アリクイと名月とさんま

最寄り駅ですれ違った人の鞄にアリクイのぬいぐるみが付けられていたから二度見した。 思い出したのは夜のことだった。   なんでアリクイやったんやろ。 アリクイってどこにおる動物やったっけ。 アリクイ。アンツイーター。 めっちゃ強いプロレスラーみたいな名前やな。虎ハンター的な。関係ない。   なぜちいかわではなくおぱんちゅうさぎでもなくサメでもなくアリクイだったのか。 余計なお世話である。  ただアリクイだっただけ。 アリクイが好きなのかもしれないしたまたまなのかもしれない。 意

雷獣と仙人 連載中のTabistory最新話も出ていますおおきにねの話

昨夜、獣に遭った。 近所のコンビニ近くの細道を細長い狸のようなものが歩いていて、 傍で三毛猫とおっさんがぼーっと見ていた。 まず猫に気付いて「あ、猫。猫や―」と呼びかけふと目線を下ろすと 狸にしてはちいさくてイタチにしてはおおきいやつがゆっくり歩いていた。 幻ではない。結構長い時間だったから。 悠然と歩いて行って暗がりに消えていった。 三毛猫はぼーっとしていた。 なんだか気まずいのでおっさんとは目を合わさずにコンビニに向かった。 向かいながらあれは雷獣だったのではないかと思っ

ロングロングアゴー 「今」の話

つい昔の話で盛り上がる。 先日若い頃の芝居仲間から連絡が来た。 自分が芝居を始めるきっかけとなったメンバーの出演する小劇場演劇というかコントイベントに行ってきたという報告だったのだが、 そこからわたしが今年再演? 再再演? された松尾スズキの『ふくすけ』(観たかった!)の話題を振ったら鴻上尚史の『朝日のような夕日をつれて』も「2024」として今やってますよねしかも主演は……! それな! 今をときめく大河俳優ですよ! いや、ほんまに! という話、からの、当時の感想メモとか引っ張

バカサバイバー 櫓とあの階段

祭りの櫓に上って踊ることを望む人を 「ヤグラー」「ヤグリスト」と呼ぶこともあるらしい。 櫓はお立ち台文化の元祖だと考えられる。 とは、昨日書いた話の中でも触れた 「盆オドラー」「盆バサダー」さんのとてもいい本で知った。 (『東京盆踊り天国 踊る・めぐる・楽しむ』 佐藤智彦 山と渓谷社 2022) 「ほぉー」「ほほぉー」ってなって、でも、そっから忘れていた。 せやのに、のに、 今日用事に向かいながら歩いていたら「バカ段」のことを思い出した。 バカ段? 馬鹿段? 文字にしたらどっ

きちんと、丁寧に しっかり

きちんと、丁寧。 大平一枝さんが聞き、書かれる人の話、いや人と話、 そして捉え方書き方にいつもじんわりじっくりと“人間”を感じさせられる。 「市井の生活者を描くルポルタージュ、失くしたくないもの・コト・価値観をテーマにしたエッセイを執筆」 改めて読んだプロフィールにもじんわりひたひたと込み上げてくるものがある。 人間は、苦しい。でも愛しい。愛しいのだ。 そう思いたいし思うのだ。思いにくいことばかりだからこそ。 きちんと、丁寧な筆に思わされる。 きちんと、丁寧な筆がおだやかに

うそとほんとと好きと嫌いとサイコロふたつ

その日芝居小屋で耳にしたピストル歌う『落陽』がよかった。 嫌いな役者が踊っていた。   竹原ピストルの歌は面倒臭い辛気臭い押し付けがましい嫌いじゃない。 でもこういうひとを神格化するまわりは嫌いだ。 気持ちはわからなくないがそういうのは気持ち悪い。   落陽。拓郎。ピストル。お腹いっぱいやな。 拓郎。岡本まさみ。古い。けど、時代など関係なしに中身は届く。   物事を意味だけで判断するのは愚行だと決めつける人たちが居る。 何故なんだろう。それもその人の捉え方だ考え方だ。 歌は歌

花火と場所 祭は日々の中にある

夜空にドンっと打ちあがったときにあなたの居る場所はどこだろうわたしの居る場所はどこだろう。   花火のシーズン、祭りのシーズンである。 今日は淀川花火だ。 正式名称はなにわ淀川花火大会。 大阪で開催される花火大会の中でも結構ビッグかつ皆が注目するやつである。 そう遠くはない地域に住む者にとっては 「見に行きます?」なんて挨拶がわりになったりもする。 昨年チャリを走らせてちょっとええスポットを見つけたので今年も狙っていた。 だがどうも今年はばたばたしていて見られそうにない。 だ

「素敵」と「切り取り」 今日も素敵な1日を

「皆様にとって素敵な一日になりますように」 ある日地下鉄御堂筋線の朝の電車に乗っていたら車内アナウンスで流れてきた。 なんやねん。   行く度にガリバー旅行記みたいな気分になる某大型量販店でも 同じようなこと言う店員さんが居たことを思い出した。 「今日も素敵な一日をお過ごしください」 このときは、このときも、帰りのチャリを漕ぎながらずっとめっちゃ考えた。 どういう意味やねん。   そもそも素敵ってなんやねん。   この言葉って勿論いい意味。 でも広すぎる言葉やなあと思うことも

清濁併呑とか正しさとかその中でも「ぜったい」なこととか

清濁併呑という言葉を自分で使うことがあまり好きではない。 なんだかそれは言えない言い切れないことや言い切ってはいけないかもしれないことを自分の中で言いきれたような感がするというか、そんな気になりもするから。 でも、答えを一方的に「こう!」と決めつけ押し付けられることは、も、本当に好きではない。違和感を覚える。時にこわさも思う。 ほなどうやねんどないやねん。 だからやはり「一緒に考えていきましょう」なんじゃないかと常々思っている逃げや日和見ではなく。 これもなんかずるい

ご飯を食べる その2

また振り返りになってしまうのだけれど、貼っておきたくなった。 またまたドラマ『生きるとか死ぬとか父親とか』を思い出して、 仕事のBGMがわりに観たりもしているからかもしれない。 ジェーン・スーの言うことや書くことは時に「んー?」にはなったりもする。 (でも結構読んでる) ヒグチアイの歌はいいなと思いながらも時にクドいというかあざといなぁにもなる。 (でもこの曲はすげえと思うジワッとくる) オジサン役者好きなくせに國村準はなぜかあんまりそんなに刺さらず「んー?」が多い。 (で

潜るなり泳ぐなり

知らない人によく話しかけられる。 当たり前というか誰でもあることだと思っていた。 どうやらそうでもないらしい。 この癖(?)故にいろいろ巻き込まれたりもしてこなくはなかった。 全部(私的には)笑い話である。人見知りなのに! 何年も何年も前からの芝居仲間は言う。 「ないで普通そんなん。いっつも誰かに話しかけられてるやん」 そうかなあ。 別の観劇仲間にも言われた。 「なんかめっちゃ仲良くなってる知らんおじさんと」 なってはいない。 アホっぽくて隙が多いからだろう。自覚はしている。

4年前の記事からの芝居小屋と私と書くことと

4年前に書いた自己紹介みたいな記事を読み返したら面白かったというか 「ああ、わたし(わし)やなあ」と笑って、 笑いながら拳を握ってなんだかアツくなったので載せます。 よければお付き合いいただけたら嬉しいです。 ここでは、旅芝居・大衆演劇という風に(切り口)書いているけれど、 旅芝居・大衆演劇はいつも言うが〝おおきなものいろんなものの縮図〟だと思っていて。   昨日の今日というか社会や人間を皆が考えたり考えたりまた考えたりする昨今。   個人的にもちょっといろいろばたばたと