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正論は振りかざすものではなく、じっくりと浸透させていくもの

品質さん(@chokyori_tsukin)のツイートが、非常にごもっともであり、ここ最近も「正論」について、非常に思うところがあったので、自分の考えを整理してシェアしたいと思います。

正論を振りかざしている人に対しては絶対誰も反論できないので、正論を言っている本人は気持ち良くなっていきます。

でも、相手は反論できないので、フラストレーションはどんどんたまっていきます。

正論を改めて押し付けられているその場所には、自分たちの正義とのギャップが生まれ、「自分たちが間違っている」ということが白日のもとにさらされるからです。

かつての私も、正論を言うことこそ自分の役割であり、正論通りに物事を進めていくことが大切なこと、という考えを持っていました。

しかし、今考えてみれば、それは大きな間違いで、傲慢でした。

いつしかのTwitter(現X)で見た「正義の反対は悪ではなく、また別の正義」という言葉は、私の正論脳をかち割ってくれました。

誰しも、どの部署も、自分たちの正義を持っています。その正義は、その視点から見れば正しいように見え、違う視点から見れば間違っているように見えます。

すべての正義が、正しいのです。

私の上司が部署と部署の間に軋轢が生みそうな場合に、よくアドバイスしていただく言葉があります。それは「落としどころを見つけて来い」です。

すごく的を得た表現であると思います。

自分の部署の正義100%にはできないけれど、向こうの正義から見て、「まあここだったらいいか」と思えるところを探して落とす。

「落としどころ」をどう見つけていくかというのが、非常に重要だなと思います。

ただ、正論を持っている人(正論が正義だと考えている人)が気に留めておきたいのは、その「落としどころ」をできるだけ、正論に近づくように尽力するということです。

やはり、「正論」は最も正しいのです。

誰かの正義と誰かの正義の間を取り続けるだけでは、物事を正しい方向に進めていくことはできません。すこしでもいいので、「正論」に近づけることが必要です。

「正論」をふりかざすことなく、でも、組織の進む道をすこしでも「正論」が実践できるようにしていく…

ものすごく難しいことではありますが、これができるようになりたいと思っています。

自分が最近実践して良かった、「正論」をふりかざすことなくすこしでも「正論」に近づけていく方法は、「相手の正義を否定することなく、共感を示すこと」と「正論をお互いで見つめてみる」ということです。

「相手の正義を否定しない」というのは、わたしのような正義感が強いタイプだと挑戦になります。

真っ向から相対する正義をぶつけられると、どうしても条件反射で否定したくなるのですが、「そういう見方もある」「そういう視点もある」という気持ちでい続けることが有効です。

すこし肩の荷を下ろして、「相手の正義に共感を示してみる」ために、「なるほど」とか「勉強になります」とか口に出してみるといいと思います。

「正論をお互いで見つめてみる」というのは、正論をふりかざすのではなく、その議論の場に出してみて、みんなで一緒に考えてみるということです。

よく私がやるのは、「正論だってことは承知の上なんですけど」とか「なかなか難しいってことは承知の上なんですけど」と敢えて「正論を出しますよ」と宣言をしたうえで正論を出して、正論についての相手の考えと自分の考えを出してみる方法です。

そうすると、実は正論の一部分はやってみても良いかな、と思ってもらえていたり、正論に反対しているのは感情だけだったり、ということがわかって、意外と良い方法です。


あえて、前述の方法を使わず、正論を隠し持ったまま、自分だけが、自分の部署だけが孤独に正論を目指す…

それでもいいんですが、きっと大きな組織全体を正論が実現するような良い方向に動かしていくことはできません。

みんなが、すこしでも正論の実現を目指すようにすれば、自分の部署だけが正論を目指すよりも、もっと理想の形を目指すことができます。

しかし、それには時間がかかります。

前述した方法で、すこしずつ正論に近づける実績を作って、物事を正論に向けて動かして「正論に近づきたい」「近づいてみよう」「やってみよう」
「近づいた!」という成功体験を作り、「次もやってみよう!」という仲間を増やし、それが多数派になるように雰囲気をつくったり、そういう文化を醸成していく…

やがて、あたかも最初から「正論」を目指していたよね!とみんなが言い出して、「いやいやあなたたち最初は違ったやん…」と言い始めた人が苦笑いしている…

そんな状況が理想です。

一朝一夕では難しいと思います。相手の正義や考え方を変えていかなければならないからです。

ただ、それでもやる価値は大いにあると思います。

我々、正論をふりかざしたかった者の最終目的地点は、正論が浸透していき、いつしかみんな正論を受け入れているという状況になることです。「正論」で相手を言い負かせることではありません。

そのことは、しっかりと覚えておきましょう。

それでは皆さんご一緒に、それぞれの持ち場で粛々と、じっくりと「正論」を浸透させて参りましょう。

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