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幸せってこういうことなのかな

まだ明石家さんまさんが若かりし頃、Mitsukan味ぽんのコマーシャルに出演されていて、「幸せ〜ってなんだーっけ、なんだーっけ、ポン酢醤油のあるウチさ」と歌われていたの覚えてますか?

私はまだ小さかったので、ポン酢醤油がある家が幸せなんて、オカシイこと言うな〜、とギャグとして受け止めていたのですが、最近になってあながち間違っていなかったと考えを改めました。

幸せになりたい、とか今まであんまり考えずに何となく生きてきて、それはそれで逆に幸せなことだったのかも知れないな、と。幸せではないような状態を経験して言えるのは、幸せって要するに「生命に深く感謝する気持ち、自分が生きていること、生かされていることに感謝する気持ち、生命に対する愛、肯定の気持ち」なんだろうな、と言うことです。

一見悲惨なことが身の上に起きても、人生を投げないで生きていこうとする、もしくはもう嫌だ全て投げ捨ててどこかに消えたい、とか最悪死んでしまいたいと思っても、自分のどこかで踏みとどまるその生命力というか、その炎が消えるか消えないかのようにか細く小さくなっても、ギリギリ消えてしまわないうちは、自分のどこかで生きていることに対するYesがNoよりも大きいんんだから、それは幸せなんだと考えるようになりました。

勝ち組とか負け組とか一切関係ないし、「人は見た目」とか知ったこっちゃない。そんなどうでもいいことに惑わされないでほしい。海外に住んでると港区なんて誰も知らないし、誰ひとり気にしてない。幸せは住所が港区なんて関係ない。セレブだとか青山のスーパー紀伊國屋で買い物できる権利とか、自分に家族がいるか、とか結婚してるかとか、子供がいるかとか、世間体がどうのこうの、とかそういうところにはない。そういうことでもし自分がもしくは友人や家族が判断されそうになったら大いに怒ってもいいと思う。

社会に貢献できる仕事とか、そういうのも関係ないと思う。それを大元で発信してるのが誰か見極めて自分の発言として納得したうえで言ってるならいいけど。大抵の成功本は経営者になった人が経営者の立場で書いてるから、サラリーマンの人が自分の頭と体の感覚を使って、自分の哲学や自分の限界と照らし合わせて考えずに鵜呑みにして実行すると、都合のいいように消費されて終わるだけかも知れない。私はそういうのにすごく気をつけて読書してます。

幸せに通じるとされるドアは世間に溢れてて、自分では開けられないドアの向こうにこそ幸せがあると感じてしまう。そう見せかけて得するのは誰? 少なくとも私たちではないですよね。

そんなのを全部抜きにして、生命があるだけで本当に幸せなことだと軸を明確に持つこと。今ある問題も全部ひっくるめて、苦しんでる人も悩んでる人も私自身も含めてみんなそれぞれ美しいな、と心底思う。私も最近白髪が一本、二本出てきたけど、よくぞ白髪が生えるまで生きてたな、死にたいことなんて山ほどあったけど、本当によく死なずにここまできたな、それは目に見えないサポートがあったからだし、生きていること自体がミラクルだと思う。

人生に投げやりになっても、もう自分なんか生きていても何もいいことがない、と思っても、生きてるだけで幸せなんだと。そしていつか寿命がきて宇宙の源に帰ることになっても、それはそれで永遠の愛のエネルギー源に戻っていくので、死ぬことも決して不幸ではない。

明石家さんまさんが「生きてるだけで丸儲け」からイマルさんを命名されたそうですが、本当にそうだよな〜と納得できるようになりました。

自分には取り立てて取り柄もない、とか、天涯孤独だとか、「普通の暮らし」ができないとか、確かにモノとして人生を捉えるとそうかもしれません。でも、大変な思い、死にたくなるような体験を心に抱えたままでも、何とか死なずに生きていること自体が素晴らしい才能だし、そしてそれは自己表現でもあるし、生命って美しいな、と感動する。

生きてるだけで幸せ、そう思えない人だっていっぱいいるし、実際私がそうでした。今後も今の精神状態を保てない出来事が起きることだってあるでしょう。でも、長く暗闇を彷徨った後に見えたのは、生きていること、この一息一息が切ないくらいありがたくて、愛おしくて、お金がなくったって、仕事がキツすぎて破綻覚悟でやめたくなったり、友達が一人もいなくったって、何とか生きているだけで、幸せなのだという深い感謝の気持ちなのでした。


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