悲しみの感情の受け止め方について

今悲しみのどん底にいらっしゃるあなたへ。もしくは、悲しみの感情を消化するのが苦手なあなたへ。もしかしたらご参考になるかもと思って書きます。

まず、私は感情の処理の仕方は得意ではなくて、かなり悪戦苦闘する方なので、そういう方に読んで頂ければ嬉しいです。例えばお坊さんの書いた怒りの処理の仕方の本を読んでも、あんまりにも自分が上手く出来なくて怒り続けてしまう人向けです。

私は2度の離婚を経験して、どちらも海外での経験だったので頼れる家族や知人がほとんどいませんでした。2度目の離婚は34歳でしたが、ひとりぼっちになってしまった…という孤独からくる悲しみは相当なもので、当時はマンハッタンに住んでいたのですが、1人になった部屋で涙がポロポロ零れ落ちて、気晴らしに外に出て人混みの中を歩いても涙がポロポロ出てきて相当に苦しかったです。

ある夜、仕事帰りにまた深い悲しみが湧いてきていても立ってもいられないような深みにはまり、どうしたらいいんだろう、悲しい、どうしよう、と心の中でもがいていたその時、ふと思ったのです。

悲しみだって喜びみたいにいい気分ではないけれども確かに私の中から湧き出る深い感情に間違いはない。今まで喜びや嬉しさは長引かそうとするのに、悲しみは避けて通ろうとしてきた。だからいつでももっと苦しくなってた。それに、悲しみを味わい尽くしたことが34年間一度だってなかった。じゃあ、この悲しみをとことん味わってみようじゃないか。おばあちゃんになって、人生を回顧する時にあのとき夜1人でマンハッタンの60丁目をとぼとぼ歩いたこの瞬間がが人生で一番ひとりぼっちで悲しかったなぁ、と思い出せるくらいにこの悲しみを味わって覚えておこう。と決意したのです。

それでももちろん悲しみがスッと消えたことはないです。目的は忘れたりやり過ごすことではなく、味わい尽くすことだったので。

悲しみに耳を澄ませたら、心が感覚的にヒリヒリしてお腹に重い石みたいなのがあって、目頭が熱くてという身体的感覚と、重い胸を切るような悲しみのエネルギーが持続していましたが、それが少しずつ少しずつ消えていったのです。その時の空気の匂いや密度、夜の街の雰囲気、全部忘れまいと記憶するために感覚を最大限に研ぎ澄ませていました。最後は感覚を研ぎ澄ましても悲しみは体のどこにもありませんでした。


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