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メディアを作る側の「とりあえずやってる」てのは、たぶんバレる

のほほん!

と過ごしながらちょこちょこ企業メディア関係の企画を考えたり、提案書つくったりしている。しているわけだが、同時に発見があった。

「とりあえずやってる」てのは、自己満足的だと。
「好きな人にだけ届けばいい」も自己満足的だと。

企画が自己満足だとしても、せめて文章は楽しさやわかりやすさや発見があれば救いだけど、それもなかったらたぶん、つまり、それって、えっと、言い難いけど……自己満足? 

いや満足することはない、だって結果的に、広がらない、知られない。やったけど無かったことになって不完全燃焼になる(はず)。作り手側だけが楽しかったねで終わる可能性もあるけど、それってすごく寂しいじゃない。それでもいい人はいるかもしれないけどさ。

メディアは誰かに届いたことで、存在価値があるんじゃないかと。

「伝えたいこと、知りたいことそのバランスをちゃんと見極めるんだ」と普段無口で怖い技術部の上司が、飲み会の二次会に参加し笑顔で教えてくれた夜中3時の新橋の居酒屋。

「それはメディアとして出す必要があるのか常に問い続けなさい」と長年ショートカットの女性人事がひとり2000円もする表参道のカフェでランチしたあの日。

この基盤を自分になりに大切にしながらWEBで仕事して思ったのは、どんな情報も「発見がある」が大事だなと。送り手側の最低限のマナーじゃないかと。お時間いただいて、見てもらうんだもの。楽しかったとか、知って良かったとか、誰かに言いたくなったとか。

それゆえにリサーチは大事だなと。発見させるって簡単じゃないから。

発見も何もない、ただの自己中的な発信てのは、受け取る側にバレるもんだとも思ったし、送り手側が気がつかないでいることも多いなと知れたことがWEBの仕事したうえでの発見だと思う


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