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これが わたしのかたち〜旅する光の切り絵展

 やさしさに出会う、少し前。
 ここ最近で最大級の「なんもしたくねえ」期がきた。

 いちばんの原因は、「自分ってなんてダメなんだ」期が来たからである。普段は、自分ダメだな、と思う部分は山ほどあれど、その感情はスルーして、気を取り直して明るく物事に取り組んでいるつもりだ。しかし、テスト、大学の行事、就活、そして自分のいちばんの専門科目における行き詰まりが一気に重なった結果「きて」しまった。
 そこで、突発的に専門科目を休み、街をぶらぶらしたりした。しかし、どうも心が晴れない。今は全てを忘れつつ、目的を持って、どこかへ行ってみたい。
 ー美術館に行くのがいいんじゃないか。

 そんなわけで、前々から気になっていた「旅する光の切り絵展」を見に、岡山シティミュージアムへと赴いた。

https://tabi-hikarinokirie.com

 展示室に入る前に渡されたものを見て、すぐに理解した。
 この作者さんは、なんてやさしい人なんだろう。
 本展覧会の主役・酒井敦美さんは、切り絵と光を融合させた作品を作るアーティストさんだ。細かい切り絵の技巧も、切り絵を光と組み合わせるセンスも、どれも素敵。
 しかし、私がいちばん心打たれたのは、そのコンセプトだ。展示室前でもらったのは、「旅のしおり」。展示会場の見どころが、手書きの文字とイラストで描かれている。手書きってやさしい気分になるのだ。イラストも、色使いもほんわかとしていて、「やさしさに基づいたコンセプト」が感じられる。
 展示が始まる前のシアターでは、それぞれの作品に込めた思いが語られる。単に、「切り絵です、光です、すごいでしょ」って感じでは、全くない。
 絵の中に描かれているのは自分自身、という話があった。自分自身を、作品という形で曝け出せる強さ。そして、そんな作品から滲み出るあたたかさ。この人はやさしいに決まっている。 
 ひらがなが似合う人だ、とも思った。まあるいひらがなのように、光の作品が私たちをまあるく包み込む。
 
 展示室内では、所々涙が溢れそうになる箇所があった。 
 「一画ニ驚」シリーズでは、家族があたたかい色彩で描かれ、あたたかい光に包まれている絵が多かったのが、心にきた。下宿をはじめ、離れ離れになって2年と少し、就職したらもっと会う頻度が少なくなるだろう家族について、考えてしまう。幼少期の出来事が、こんなふうに暖かい色彩の「おもいで」になってしまうのが、なんだか切なく感じる。

 一方、ぼうっと光を楽しむ箇所もあった。
 「地球スケッチ」シリーズでは、光とタペストリーが、民謡的な音楽(好きなタイプの音楽だ)に合わせて、室内全体を動きまわる。
 まさに圧巻だった。手前に迫り出す布と、音響が相まって、「本当に自然の中にいるんじゃないか?」「本当に海の動物たちと遊んでいるんじゃないか?」と錯覚するような場面が、幾つもあった。
 こうなると、ただ光の偉大さに包まれるしかない。体感20分くらいだろうか、椅子に座って、何も考えず、ただぼうっと見ていた。

 第2会場に上がってみる。その一角の部屋の中に入ってみると、「絵本上映まであと5分」との表示。急ぎの用事もないし、待ってみよう。
 5分後に始まったのは、「うごく絵本シアター」。
 自分を卑下する鳥のおはなしだ。思うように跳べない。上手に歌えもしない。満月を背後に備えた別の鳥の巣を、「まんまるの家」と表現する鳥。しかし、当の鳥の巣は凹んでいて…。
 
 ほっこりとした絵柄に、ひとつひとつが短いセリフが相まって、やさしさが滲み出る絵本シアター。
 そして、いつの間にかストーリーにのめり込んでいた。
 自分を卑下する鳥は、なんだか今の私のようで。

 鳥は、憧れの「まんまる」の果実を見つけたが、そばに倒れている、別の鳥に分けてあげる。「ごめんね、まんまるじゃなくなっちゃった」と言う倒れた鳥に、やっと「このかたちもすてきだよ」と返すのだ。
 そして、凹んだ巣に帰って言う。
 「これが わたしのかたち」

 酒井さんのやさしさ、あたたかさ。
 全てを包み込んでくれる光。
 
 「これが わたしのかたち」

 ー難しかったよね、ここ、もう1回やってきてくれる?
 ー結局、どの方向性で卒論を進めようか?
 専門科目について、とにかくうまくいかない。授業では私だけ考察のやり直しを命じられたし、ゼミでも頓珍漢な論文の読み方をして、軌道修正に時間がかかり、次回にも私が発表することになってしまった。
 専門科目は好きだ。教授も優しくて大好きだ。けれど、絶望的に「向いてない」気がしてきた。
 もっと「感覚」「イメージ」についての研究がしたい。自分が普段重視していて、きっと得意なものだから。けれど、その研究のためには、どうしても「論理」を経由せねばならない。感覚なら、イメージなら、ずっと得意でいられるのに。学業と己の事情は棲み分けねばならない。だけど…。
 その場は笑って過ごしたが、後から冷静に振り返り、涙が出てきた。専門科目のことを考えると、なんだか涙が止まらない。前述の授業を休んだときも「体調がすぐれなくて」とメールを入れたが、別に嘘じゃない。
 それでもゼミは、卒論はやってくる。一体どうすれば?ー

 「これが わたしのかたち」
 あの絵本のラストシーンが小さくて切り取られ、ミニキャンバスと一緒に飾ることができる、ミュージアムグッズがあった。
 普段ミュージアムショップで買うのは、大抵ポストカードやクリアファイル。でも今回は、このグッズが心を掴んで離さなかった。衝動的に、レジに持っていった。

 家に帰り、本棚に飾ってみる。  


 そして、ことあるごとに見返す。ほんわかとして絵柄と、素朴なひらがなが、私の心をほぐしてくれる。

 何だかんだつらつら書いてきたけれど、結局私は専門科目で一旦「論理的な」方向に行くのだろう。それでも、きっとどこかに打開策はある。「わたしのかたち」がぴたっとはまる場所が、どこかにある。

 今はまだ、もがいている途中。
 私の凹んだ巣は、凹んだまま。その凹みを、今はあまり愛せていないと思う。
 けれど、自分を大切にしよう、と心がければ、いつかは凹みを愛せるようになると信じている。
 愛せるようになる鍵のひとつは、きっと酒井さんの作品なのだろう。これからも、そのやさしい作品を追いつづけよう。
 そして、このミュージアムグッズをいつでも見返そう。 
 これがわたしのかたち、なのだから。

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